境内に視線を向けると神社にありがちな朱色の彩りがまるでない。
隅から隅まで薄墨で描かれたようなモノトーンで統一されている。
飛騨一ノ宮駅の赤屋根は水無神社のどこを見て塗られたのだろう?
直接の関係は無いのかも知れないが、赤屋根が間抜けに思えてくるから不思議だ。
鳥居をくぐって境内に入ると、右側に妙にねじれた木の幹がある。
正確には幹の途中でバッサリ伐られた根の部分。
それでも目通り(立っている人間の目の高さの位置)で直径1。5mはあろうか。
これは「拗の木」といって、摩訶不思議な伝説を持つ檜[ひのき]の大木…の痕跡だ。
その昔、檜の高さが数十メートルにも達したことから、周囲の日当たりが悪くなった。
そこで社家や近所の住民が伐って用材にしようと画策したのだが。
檜は一夜のうちに幹はおろか枝葉に至るまでグニャッと拗[ね]じ曲がってしまったという。
それで「拗の木」と呼ぶのだとか。
一方、この木は江戸時代の中頃に、水無神社の貴重な森林を守る働きを見せている。
大洪水で宮川流域の橋や家屋が流出し、甚大な被害が発生した時のこと。
飛騨高山代官の大原彦四郎紹正[つぐまさ]は橋を再建するため、神域の大檜を用材として差し出すよう命令。
ところが大原騒動で酷い目に遭った村人達は、どうしても素直に従う気にはなれず。
そんな折、氏子衆の中に気転の効く者がいて、拗の木を示しながらこう復命した。
「木を切ろうとしたら、御神意なのか一夜でこんなに拗じれてしまいました」
すると「拗の木」だけでなく他の檜も切ることが沙汰止みになったという。
よく見ると幹は反時計周りに捻れている。
こうなった原因は陽光や風の影響による説、または内部で起こった細胞の分裂による説など諸説ある。
だが、決定的な原因は良く分からないそうだ。
それはともかく、村人からは昔から神霊の宿る霊木として篤く信仰を集めていた。
特に若い婦人衆がこの木に願をかけ、姑の意地悪を封じてもらったという言い伝えも残っている。
[旅行日:2016年12月11日]