その隣が万治の石仏のところで岡本太郎の言葉を引用したみなとや旅館。
岡本以外にも小林秀雄、白洲次郎・正子夫妻、永六輔といった著名人に愛されてきた宿である。
みなとやの前に「右甲州道 左中仙道」と刻字された小さな石碑が、ひっそりと佇んでいる。
この文字は白樺派の作家、里見弴が逗留した際に寄贈した書を基に刻んだものという。
万治の石仏といい綿の湯といい、偉大な先達が石碑に揮毫を残しているところに下諏訪という街の懐深さが垣間見える。
道を挟んだ向かい側にある「しもすわ今昔館おいでや」は、下諏訪観光協会が入居している大きなビル。
館内には時計博物館の「儀象堂」と、星ヶ塔黒曜石原産地遺跡など埋蔵文化財を展示する「星ヶ塔ミュージアム矢の根や」、館外には「御柱神湯」という足湯もある。
たかだか100m程度の小径ながら、これだけの歴史と文化がギュッと凝縮されているところが下諏訪という町の凄み。
とても駆け足では全て見尽くせないので、ここはザッと紹介するだけに留めて残念ながら素通りだ。
八幡坂を下りきったところに下諏訪宿の高札場を模した広場がある。
高札場とは幕府や諏訪藩が決めた法度や禁令、犯罪人の罪状などを記した木の板札を、人目を引くよう高く掲げておく場所のこと。
中山道に限らず、特に大きな宿場町には旅人の往来が多いことから必ずと言っていいほど据えられていた。
目の前にあるのは最近できたレプリカだが、記されている内容は江戸時代のもの。
博打ダメ、人身売買ダメ、鉄砲撃つな、切支丹や放火魔を突き出せば高額の報奨金を進呈…といった項目がタップリ列挙されている。
現代は博打(公営競技に限る)や切支丹が許されているだけマシなのか? いや、それほど単純な話でもないか。
裏路地をブラブラしつつ、朝に出立した下諏訪駅へ再び戻ってきた。
ホームに出ると御柱祭で実際に用いられた「古御柱[ふるみはしら]」が横たわっている。
平成22(2010)年の御柱祭で秋宮に建てられた三之柱で、今年の御柱祭で「御柱休め」により役割を終え、払い下げられたものだ。
おんばしら館よいさに据えられていた御柱はレプリカだけに、こうして“本物”を至近距離で拝めるのは有難い。
その横に置かれているのは綱の巨塊。
今年の御柱祭で用いられる曳綱の予備として作られた、いわば“未使用品”だ。
かつて多くの氏子衆の魂が込められた御柱が今、こうして駅のホームで静かな余生を送っている。
その姿は、まるで下諏訪の街から身を挺して邪気の侵入を防いでいる古老の“衛士”のよう。
来訪時に改札口で出迎えてくれた万治の石仏のレプリカに別れを告げ、上諏訪方面行きの電車に乗り込んだ。
[旅行日:2016年12月12日]