駅前にはペデストリアンデッキが巡らされ、駅舎の全景を眺めることはできない。
近くまで寄って見ると駅舎自体は、こじまんりとしているのだが、そこから伸びるホームが不釣合いなほど大きい。
いや、既にホームとしての役割は終えて現在では駐車場になっている。
それでも昔は実際に使われていたことを考えれば、やはり大き過ぎるように思える。
身延線西富士宮駅と東海道線富士駅の間は、都市近郊ということもあってか運行本数が圧倒的に多い。
ホームに降りて富士駅行きの各駅停車を待つ間、先ほど見た駐車場の方角を見る。
今いる2番線ホームとの間にもう一本、明かり一つ灯っていないプラットホームが凍りついたように横たわっていた。
島式ホームの真ん中を金網で仕切り、手前側が1番線、向こう側が駐車場になっている。
1番線は団体列車専用のホームで、日蓮正宗大本山大石寺へ参拝する信徒教団のために設えられたもの。
しかし大本山と教団が決別した今となっては滅多に使われることもない様子で、乗り換え用の跨線橋は金網で封鎖されていた。
そんなガランとした空間に横溢する暗闇を切り裂くように、富士行きの電車が入線してきた。
富士山の持つ霊力は古来より、その裾野に様々な宗教団体を引き寄せ続けてきたし、今も続いている。
一方、レジャー感覚で気軽に山頂へ向かう富士登山もポピュラーになりつつある。
この先、日本人にとって富士山の価値は何処へ向かうのだろうか?
そんなことをボンヤリ考えつつ、明るい光に満ちた電車へと乗り込んだ。