館山市

一巡せしもの[安房神社]18

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最初は小母さんの接客に大いに戸惑ったものの、慣れてしまえば何てことはない。

要は一見客にとって非常に取っ付きにくい店ではあるが、魚料理のメニューも豊富だし、店の流儀さえ理解できれば再び足を運びたくなる店だと個人的には思える。

逆にファミレスやハンバーガーショップのようなステレオタイプの接客がなければ不満を口にする向きは、店の敷居を二度と跨がないことだろう。

でも、こうした“幼稚”な客が寄り付かないだけ、酒と魚を味わいたい身には居心地が良かったりする。

現に二本目の剣菱を注文した後、小母さんの態度が軟化したようにも見えたし…多少酔っ払っていたせいかも知れないが。

それに、大々的に宣伝しても品切れでありつけない「新・ご当地グルメ」よりは、ツッケンドンな接客でも美味い魚料理を食べられるほうがよほど有難い。

「有香」を出て、館山駅へ。

しかし次の東京行き電車まで、まだだいぶ時間がある。

そこで西口から一直線に伸びる大通りを海まで歩いてみた。

堤防に腰掛け、夜の海を眺める。

風もなく海面は静かで、対岸の光彩が遠くで瞬いている。

大人しく打ち寄せる波を見ながら、巡礼してきた一之宮の数々を思い返してみる。

結構な数を巡ってきたように思えたが、まだ旅は実際のところ始まったばかりなのだ。

電車の発車時刻が近づいてきたので駅へ戻る。

上空を見上げると、丸い月がポッカリと浮かんでいた。

「次は、いつ出かけようかな?」

そんなことを思いながら、駅の階段を上った。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]17

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あえて剣菱以外の日本酒を置かないことへのこだわりも、こうしたツッケンドンな態度と何か繋がりがあるのかも知れない。

ほどなく「さんが焼き」が目の前に届いた。

見た目だけで言えば魚肉のハンバーグといったところか。

実際には「なめろう」を紫蘇の葉で巻いて焼いたもの。

「なめろう」とは、アジのタタキに刻んだ野菜や味噌と混ぜた房総半島の郷土料理のことだ。

その「さんが焼き」と剣菱の取り合わせが、なかなかハマっている。

そのうち「焼魚定食」が来た。

焼き魚は大きなニシン、ほかにサンマの煮物、こんにゃく、酢の物、お新香、それに御飯とアサリの味噌汁。

なぜ館山でニシンなのか分からないが、値段の割にボリュームがあるし、魚そのものも美味。

ニシンの焼き身を口に放り込み、続けざまに剣菱を流し込む。

淡白な白身が酒に溶け、魚の旨味が口腔いっぱいに広がる。

酢の物で口直ししてサンマの煮物を齧り、コンニャクで口直しし、再びニシンへ。

このローテーションを繰り返していたらアッという間に一本目の銚子が空に。

二本目の銚子が空く頃、おかずの姿はほとんど消失。

最後に御飯と味噌汁とお新香で締めくくり、掉尾を飾る晩餐は終了した。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]16

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ビールと共に出てきた突出しは、塩辛。

これが、なかなかイケる味。

そこでビールから日本酒にスイッチしようと、件の小母さんに尋ねてみた。

「日本酒のメニューはありますか?」

「燗ですか? 冷ですか?」

予期しない返事に面食らい、思わず「ひ、冷で」と答えてしまった。

改めて品書きを見ると、日本酒は「剣菱」しか置いていない。

つまり「日本酒の品書きは無い」が故に、途中で有るべき「日本酒の品書きはありません」という一言が割愛され、短絡的に「燗か冷か」という問いへ至ったものと推測される。

こうした、客を小馬鹿にしたような接客態度を取られると憤慨する向きが圧倒的に多い…それが今の世の中だろう。

その気持ちは痛いほど分かるし、道理で店内に客の姿が疎らだったわけだ。

ただ、品書きに日本酒が「剣菱」しかないという事実を前にして、この店の姿勢が少し理解できた気もする。

「剣菱」は創業五百年を超える灘の名門酒蔵。

赤穂浪士が吉良邸討ち入りの前、蕎麦屋で出陣酒として喉に流し込んだのが剣菱だったとか。

坂本龍馬の脱藩を直談判に来た下戸の勝海舟に、山内容堂公が「この大盃の酒を飲み干したら認めよう」と突き付けたのが剣菱だったとか。

こうした歴史的な逸話に事欠かない銘酒、それが剣菱だ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]15

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とにかくも西口は験が悪いので、気を取り直して東口に向かう。

駅前の道を南に向かって歩いていると「有香」という海鮮料理の店を発見した。

外見は居酒屋というより、ちょっとした割烹料理店の雰囲気。隣が魚屋で、看板に「魚屋の作る店」と謳っている。

しかも入口のところに定食のメニューが掲げられており、酒より食事が有難い身には丁度よい。

中に入ってみると中央の通路から右側が座敷席、左側がカウンター席。

座敷では先客が4名ほど、既に出来上がっている。

カウンターに腰を落ち着け、とりあえずビールを頼み、食べ物のメニューを眺める。

それにしても、どこか店内には微妙な空気が漂っている。

なぜだろうと思ったら、その理由は程なく分かった。

カウンター内にいる小母さんの態度が、とてつもなくツッケンドンなのだ。

例えば、黒板の品書きにある「さんが焼き」について尋ねてみた。

すると木で鼻を括ったような答えしか返ってこず、どんな料理なのか具体的なイメージがサッパリ湧いてこない。

それでも実際に見れば分かるだろうと思い、焼魚定食と一緒に注文してみた。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]14

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館山駅に行くと「館山炙り海鮮丼」「館山旬な八色丼」というチラシを発見。

これらは「新・ご当地グルメ」と呼ばれるもので、観光客へ向けて新たに開発されたメニューだと書いてある。

「館山炙り海鮮丼」は炙り海鮮、刺し身、花ちらし寿司が三段重ねになった丼もの。

「館山旬な八色丼」は南総里見八犬伝に因み、旬の地場産食材を8つの小丼で味わうもの。

どちらも日本酒に合いそうなメニューだが、特に「八色丼」は品数が豊富で格好の肴になりそう。

しかも丼に八犬伝ゆかりの八文字「仁義礼智忠信孝悌」が入っているのもいい。

しかし、ここで大きな問題がある。

駅近くで供しているのは2店だけで、うち1店はランチのみ。

残りの1軒も限定25食というから、売り切れは必至だろう。

それでもダメ元というか一種のリサーチ的な気分で、西口駅前の寿司屋に行ってみた。

すると案の定、昼食の時点で既に売り切れ。

ハナから期待していなかったので別段ガッカリもしなかったが。

駅に向かいながら再びチラシに視線を落とすと、こう記されている。

「全店予約可能 食数限定 全70食(1日)」

つまり「館山旬な八色丼」は市内5店舗で1日当たり合計70食しか提供しないということだ。

ちなみに「館山炙り海鮮丼」も同じ5店舗で1日当たり115食のみの提供。

つまり「予約しないと、まずありつけませんよ」と言っているようなものだ。

気軽に食べることのできないメニューを「新・ご当地グルメ」としてプッシュすることに、一体どんな意味があるのか良く分からない。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]13

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帰路は安房神社前バス停ではなく、もう少し海寄りの相の浜バス停から乗車することに決めた。

なので来る時に通った正面の参道ではなく、一の鳥居を出てすぐに左へ曲がり、のどかな風景に囲まれた道を歩く。

20~30分ほど歩いたろうか、国道410号線に出、相の浜バスに到着。

次のバスまで少し時間があるので、周辺をブラついてみる。

すると、バス亭の脇から海の方角へ延びる細い坂道を発見。

先へ下っていくと「画家が愛した漁村の道」という案内標識を見つけた。

その下には周辺の案内地図が掲げてあったので、観光用に設えたのだろう。

漁村の佇まいを湛えた住宅街を5分ほど歩くと、正面に小さな漁港が姿を現した。

相浜漁港、又の名を富崎漁港。

漁船の群れが暮れていく夕日を浴びて静かに佇んでいた。

相の浜バス亭からJRバスに乗り、館山駅へ。

思えば此度の一之宮巡礼、昼食時に蕎麦とともにビールを嗜んだことはあったものの、一日が終わって酒場へ繰り出したことはない。

一之宮巡礼に目出度く一区切りついた今宵ぐらい、記念に一献やってもバチは当たらないのではなかろうか?


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]12

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境内に広がる神池の東側に、下の宮と社務所を結ぶ細い道が通っている。

その細い道が尽きて参道とぶつかる位置に茶店の「あづち茶屋」が立っている。

平成25(2013)年2月20日に開店したばかりの真新しい一服処。

店名は現在の鎮座地「吾谷山」に由来するという。

それほど大きくない純和風建築で、境内の雰囲気に違和感なく溶けこんでいる。

ただし営業は金・土・日・月・祝日の10~16時。

既に17時を回った現在、残念ながら戸は閉ざされていた。

再び参道を一の鳥居へと歩く。

その右側に注連縄で囲まれた苗床を見かけた。

既に田植えのシーズンは終わっているが、苗床では真新しい苗が育っている。

これから御神田に植えられるのだろう。

反対の左側には「館山野鳥の森」が広がる。

道理で鳥の鳴き声が喧しかったわけだ。

年中無休だが営業時間は9~16時半。

当然ながら既に閉館している。

野鳥の鳴き声だけを聞きながら、安房神社を後にしたのだった。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]11

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神饌所を更に右奥へ進むと、そこは「下の宮」の鎮座地。

養老元(717)年に安房神社が遷座された際、天富命を祀る摂社として創建されたことは既に触れた。

室町時代以降、下の宮は数百年間にわたって途絶えていたが大正時代に復活。

天太玉命が「日本産業の総祖神」と大仰なのに対し、孫の天富命は「房総開拓の神」と身近に感じられる神様だ。

また、下の宮には配神として天太玉命の弟神である天忍日命(アメノオシヒノミコト)が祀られている。

天孫降臨神話では弓矢や刀剣で武装し、邇邇芸命の先導役を務めたことから日本武道の祖神と崇められている。

ちなみに天太玉命と忌部氏の関係と同様、天忍日命は軍事を司った大伴氏の祖先神でもある。

下の宮を出て鳥居をくぐり、石段を下りたところに御神木の太い槙がひっそりと佇んでいた。

御神木といえば拝殿の前など目立つ場所にあるのが一般的だが、目立たない場所にあるのは意外と珍しい。

その先に続く坂を下っていくと、途中に古い社号標が立っていた。

表面が摩耗して文字が判然としないが「勲一等 安房座太神宮 御鎮座」と刻まれているようだ。

安房神社は延喜式に「安房坐(あわにます)神社」と記されていることから、この社号標は昔使われていたものを移設したのだろうか。

風化してはいるが、それが逆に歴史の重みを感じさせる。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]10

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思えば海岸沿いに立っていた、洲崎神社の浜鳥居も真っ白な神明鳥居だった。

往時は安房神社が「男神」、洲崎神社が「女神」で、双方合わせて「安房國一之宮」ではなかったのだろうか?

それを裏付ける物証など無論どこにも存在しない。

ただ、両社を巡拝した結果、そんな雑念が脳裏に浮かんだだけの話である。

拝殿の裏手に回り、本殿を見る。

特に玉垣などで囲われておらず、近接して拝見できるのが有難い。

本殿は明治14(1881)年の竣工。

建築様式は神明造りで、屋根は薄く剥いだ檜の皮を重ね合わせて作られた「檜皮葺き」。

平成21(2009)年には「平成大修造」が実施されて面目を一新。

一見すれば新造されたのかと勘違いしてしまいそうなほど真新しい。

その右隣りには古めかしい建物が立ち、廊下でつながっている。

神様に奉る食事を作る神饌所で、明治41(1908)年の建造という。

現在は毎年1月14日に行われる「置炭神事」(おきずみしんじ)の祭場として主に使用されている。

置炭神事は同日夕刻、門松に使われた松材を薪に用い、浄火を焚いて粥を煮る。

そして燃え残った松材から12本取り出し、その焼き色によって一年間の天候を占うという神事だ。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]09

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天岩戸事件では天児屋命が朗々と祝詞を上げ、天照大神が表に出てきた時、すかさず天太玉命が入口に注連縄を張って後戻りできないようにした。

注連縄が張ってある場所から先は神聖なのは、この故事に由来しているという。

また、邇邇芸命(ニニギノミコト)の天孫降臨でも、天太玉命は祭祀を司る重要な神として天児屋命らとともに地上へ随伴した。

忌部氏や中臣氏ら有力な氏族は、各々の祖先を称えることで自らの存在に箔を付けようとしていたのだろうか。

拝殿の奥、本殿側の壁面に掲げられた扁額には「当國一宮」と記されている。

養老元(717)年、安房神社は現在の鎮座地である吾谷山(あづちやま)の麓に遷座された。

それに伴い、天富命を祭神とする「下の宮」の社殿も併せて造営された。

また、上の宮には配神に后神の天比理刀咩命(アメノヒトリメノミコト)が祀られている。

安房国もうひとつの一之宮、洲崎神社では逆に天比理刀咩命が主祭神、天太玉命と天富命が配神となっている。

天富命は男神山と女神山に天太玉命と天比理刀咩命を、それぞれ祀ったと先述した。

それが現在地に遷座した際、天太玉命のみを安房神社に祀り、天比理刀咩命は少し離れた洲崎神社に祀ったのではないか?


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]08

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参道を進むと正面に「上の宮」の拝殿が見えてきた。

安房神社には本社「上の宮」と摂社「下の宮」の二社が鎮座している。

安房へ“移住”して房総半島を開拓した天富命は「下の宮」の、その天富命が祀った祖先の天太玉命は「上の宮」の、それぞれ主祭神となっている。

拝殿は鉄筋コンクリート造りで、昭和52(1977)年築と比較的新しい。

建築様式は本殿に倣った神明造りで、屋根から手前に庇が伸びている。

拝殿前に三の鳥居はないが、その庇と支える二本の柱が鳥居の形に見えなくもない。

他に参拝客など誰もおらず、なぜか鳥類のけたたましい鳴き声だけが響き渡る境内で一人、頭を垂れ、両手を合わせる。

主祭神の天太玉命は“宇宙造化神”高皇産霊神(タカミムスビノカミ)の孫にして、あらゆるモノを生み出す優れた力が御神徳という日本の産業創始の神様。

遥か太古の昔は天照大神の側近で、中臣氏と共に朝廷の祭祀を司った忌部氏の祖神に当る。

天照大神が須佐之男命の狼藉に恐れをなして天岩戸に閉じこもった折には、天児屋命(アメノコヤネノミコト)と協力して御出現を願う祭礼を挙行した。

ちなみに天児屋命は祝詞の神にして、中臣氏(後の藤原氏)の祖神である。

その折、天太玉命は忌部氏を指揮して祭礼の挙行に必要な鏡や玉、幣帛や織物、武具などを作り出した。

現在でも神事で用いられる玉串や注連縄などの神具は、すべて天太玉命がルーツ。

この故事が天太玉命を「日本の産業創始の神」たらしめる由縁となっているのだ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]07

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神武天皇から「肥沃な土地を探せ」との勅命を拝した天富命(アメノトミノミコト)は、まず南海道阿波国(徳島県)に上陸。

そこで麻や穀(カジ=紙などの原料)などを植栽し、開拓を進めた。

その後、天富命一行は更なる肥沃な土地を求め、阿波国に住む忌部(いんべ)一族を引き連れて船に乗り、黒潮へと漕ぎだした。

忌部氏は朝廷の祭祀を担当してきた氏族で、それに使う祭具の製作部門も管轄していたことから、今ではあらゆる産業の総祖神とされている。

さて、海路はるばる房総半島の南端にたどり着いた天富命一行と忌部一族。

ここが麻の栽培に適していたことから「総国(ふさのくに)」と命名した。

「総」とは古代語で「麻」と同義語で、ここでも麻や穀を播植して産業地域の拡大に尽力。

同時に上陸地点を出発地の「阿波」と呼び、後に「安房」へ変わったとされる。

今でこそ「千葉県」と一括りにされているが、そもそもは上総と下総、それに安房と国が三つもあったのだ。

天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、祖先の天太玉命(アメノフトタマノミコト)と、后神の天比理刀咩命(アメノヒトリメノミコト)を祀った。

これが現在の安房神社の起源になっているそうだ。

なお、阿波国一之宮「大麻比古神社」の主祭神「大麻比古大神(オオアサヒコノオオカミ)」は、安房神社の主祭神「天太玉命」の別名。

つまり、安房国と阿波国の各一之宮は主祭神が同じということになる。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]06

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鳥居をくぐり、安房神社のシンボルともいえる桜並木の参道を往く。

とはいえ、とっくに桜花のシーズンは終了。

今は青々とした葉が枝いっぱいに繁る緑のトンネルだ。

お花見シーズンには“桜のトンネル”を愛でる花見客で賑わうそう。

だが、桜の花も散って久しく、しかも平日の夕方という“逢魔が時”に一人っきりでは、なかなかイメージが湧きにくい。

毛虫が落ちてきやしないか注意しながら上を見て歩いていると、ひっそりと咲いている桜の花瓣を発見した。

地球温暖化ゆえの狂い咲きか?

それとも、今この時期に花を咲かせる品種なのか?

いずれにせよ“残り物には福がある”というのなら、これは縁起がいいに違いない。

参道を抜けると右手には神池が広がり、左手には大正時代半ばの築といわれる社務所が佇んでいる。

木造ながら関東大震災にも耐えたという堅牢な造りは、当時の建設技術の高さを物語っているそうだ。

短い石段を登ると、二の鳥居。

こちらも一の鳥居と同様、純白の神明鳥居。

その先、参道は右側へ大きく弧を描き、さらに一段高くなったところに社殿が鎮座している。

安房神社の創始は今を遡ること2670年以上も前の皇紀元(西暦BC660)年と伝わっている。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]05

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そして、ここにも“不埒”な掲示が。

日本全国いたるところで見かける聖書の看板。

だが、さすが「大神宮」の名を背負う御神域、やることが違う。

その上から「粗大ごみ有料化のお知らせ」のビラが貼られていた。

看板とビラ、どちらが現世の人々にとって有益な情報かは一目瞭然。

“不埒”なのは粗大ごみの告知ではなく、この“大神宮”へ無遠慮に侵入してきた看板のほうだろう。

地味な割にドラマツルギーが横溢していた参道も、間もなく尽きた。

安房神社一の鳥居に到着。

シンプルな鋼鉄製の神明鳥居だが、色は真っ白。

裸木ゆえに白いのではなく、あえて白く彩色されているのだ。

両脇に建つ石灯籠の色も白。

すべてが白で統一されている。

夏になれば白い鳥居は強烈な日差しに映えることだろう。

いかにも海辺の神社という雰囲気を感じさせてくれる。

鳥居の右側に立つ社号標は昭和8(1933)年の建立。

揮毫は全国の社号標でおなじみ東郷平八郎元帥の手によるものだ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]04

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ようやく発車したバスは約20分弱で安房神社前に到着した。

この一帯、地名は「一宮」ではなく「大神宮」という。

無論、地名は安房神社に由来するものだろう。

社号は「神社」なのに地名が「神宮」なのは、それだけ地域からの崇敬の念が篤いということか。

国道410号線沿い、コメリと接骨院の間から山の方角へ延びる道が表参道。

接骨院の前に立つ案内標識に従って道を進み橋を渡ると、ずっと奥に白い鳥居が見えた。

しかし、道の両側は普通の住宅と農地が混在し、商店は数えるほどしかない。

大きな神社にあるような並木道でも、商店や飲食店が立ち並ぶ仲見世でもない。

大きな神社の参道にしては意外と地味な印象を受ける。

ただ、普通の住宅といっても一戸当たりの敷地は広く、建屋も大きい。

立派な生垣を眺めながら奥に見える鳥居の方向へ歩を進める。

と、途中で珍妙な張り紙が目に止まった。

大きな庭を持つ家の入口に掲げられていたもの。

題名に「当家の庭で不埒な行為を働いたもの」とあり、併せて男女の2ショット写真も載っている。

どこか警察の指名手配を思い起こさせるような写真だか、さすがに顔はモザイクで隠されている。

男と女が他人の家の庭先で如何なる「不埒な行為」を働いたのか、そこまで詳細に記されてはいない。

だが、家主に写真を撮られて晒されるほどの怒りを買ったというだけで、その内容が伺えようというものだ。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]03

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他に乗客は誰もいないので一番前の席に堂々と陣取る。

座り心地は快適、視界も抜群だ。

路線バス扱いとはいえ運賃箱が付いているわけではないので、運賃は運転手に前払い。

安房白浜から安房神社前まで440円。

乗車時に乗車券が発行され、降車時に運転手に手渡すシステム。

なお房総半島の先端をカバーするJRバス関東の路線も、すべて「南房総フリー乗車券」のフリー区間に含まれているので運賃を払う必要はない。

なのはな44号は16時10分、安房白浜バスターミナルを出発した。

すると途中の停留所で一人のお婆さんが車内に乗り込むでもなく、運転手相手に延々と立ち話を始めた。

出入り口の直近に座っているので両者の会話が聞くともなしに聞こえてしまう。

どうやらお婆さんは前に乗ったバスに忘れ物をしたらしく、それを後続のこのバスに届けてもらったらしい。

それにしても年寄りは孤独なせいか、運転手相手に延々と話し続けている。

気付けば5~6分は経過していたのではないか?

次第にイライラしてくるが、邪険にするのも可哀想だし。

地方のバスも、なかなか大変だ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]02

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15時30分、バスは安房白浜に向けて発車した。

平日の昼下がりとあって車内は高校生や老人ばかり。

僅かばかりの客を乗せたバスは千倉の古い街並みを縫うように走り抜けて国道410号線、通称「フラワーライン」へ。

春まっさかりの南房総、車窓に広がる麗らかで風光明媚な景色を眺めているうち、ついウトウト。

バスは約30分ほどで安房白浜バスターミナルに到着した。

周囲には数多くのリゾートホテルが立ち並び、しかも源泉が湧いているので、どれも温泉宿。

だが、ここから見えるのは指呼の間にある「南国ホテル」ぐらい。

ほとんどのホテルや旅館は海沿いを通る国道410号線沿いに立ち並んでいるのだろう。

しかし乗り換え時間が僅かしかなく、わざわざ確認に出向く暇もない。

ここ安房白浜バスターミナルはJRバス関東の“駅”でもある。

立派な切符売り場を構え、職員も常在している。

外房線の小さな無人駅より、よほど風格がある。

そのうち1番乗り場に安房白浜発「なのはな44号」東京行が入線してきた。

高速路線バスなのだが、館山駅までは普通の路線バスとして運行されている。

なので座席はロングシートではなく、2×2のロマンスシートだ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]01

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昼下がりの外房線。

平日ということも相俟って車内にはマッタリとした空気が流れている。

それにしても、まだ14時前だというのに高校生の姿が、やけに目につく。

安房鴨川駅で接続列車に乗り換え、15時前に千倉駅へ到着した。

ここで安房白浜行きの館山日東バスに乗り換えるのだが、約30分ほど時間がある。

千倉駅には最初の巡礼地である洲崎神社を参詣して以来、約半年ぶりの再訪。

あの時は洲崎神社から安房神社、そして玉前神社と巡る予定だった。

しかし洲崎神社を参拝した時点で日が暮れてしまい、撤収を余儀なくされた次第。

とはいえ、地方のバス路線網を甘く見ていたわけでは決してない。

計画が甘かっただけの話…というか、ほぼ思いつき同然で始めたようなものだ。

千倉の駅舎は真新しく、非常にモダン。

壁面に打ち放たれたコンクリート、屋根やベンチなどに多用された木目調の建材、ふんだんに用いられたガラス。

この三種の取り合わせが、関東最南端に位置する千倉駅の南国っぽい開放的な雰囲気を醸し出しているのだろう。

駅舎から外に出、バスの待合所に向かう。

安房白浜行きのバスは既に停留所で待機中だ。

ちなみに「南房総フリー乗車券」のフリー区間には館山日東バスの千倉/安房白浜間も含まれている。

このため乗車券を運転手に見せるだけでよく、改めて運賃を払う必要はない。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[洲崎神社]18

RJ洲崎18

19時04分、安房鴨川行き普通列車に乗車。

いい加減この時間の車内はガラガラ。

人口が少ないのではなく、みんな自家用車で移動しているからだろう。

19時32分、安房鴨川着。

同36分発の特急わかしお30号に乗車。

といっても勝浦までは普通列車として運行されるため、特急券なしで特急用車両で寛げる。

内房線に特急はほとんど走っていないので、外房線を選択して正解だった。

これも洲崎神社の御利益だろうか?

20時05分、勝浦着。

特急わかしお30号を後にして同11分発の普通列車に乗り換える。

特急料金を払ってまで先を急ぐアテもない。

20時54分、上総一ノ宮に到着。

駅名が示す如く、程近くに上総國一之宮の玉前神社が鎮座している。

今回は惜しくも参拝は叶わなかったが、またいずれ訪れる時のための予行演習だと思えばいい。

いずれまた改めて訪れることにしよう…ホームの駅名標を眺めながら、決意を新たにした。

21時04分、茂原着。

ここで同07分発の横須賀線久里浜行き快速に乗り換える。

先の普通列車はここで6分間停車し、快速が発車した後の同10分に出発する。

特急は別料金が必要だが、快速は不要なので乗り換える。

なかなかバラエティに富んだ鉄道旅行だ。

22時17分、錦糸町に到着。

既に出発から約11時間が過ぎている。

しかし、とても11時間とは思えないほど様々な出来事が凝縮された半日間だった。


(安房國一之宮「洲崎神社」おわり)

[旅行日:2012年12月17日]

一巡せしもの[洲崎神社]17


RJ洲崎16

17時40分、白浜行きのJRバスがやって来た。

車内には乗客が数名。先のバスマニア氏も乗り込んできた。

薄暗い闇の中を走ること20分ほどで
JRバス関東の安房白浜駅に到着。

ここで18時発の館山日東バス千倉行きに即乗り換え。

車内では先のバスマニア氏が運転手と会話を交わしている。

バスマニアでも何でもなく、単なる馴染み客だったのか。

塩浦バス停で先の馴染み氏が降車すると、車内に乗客は自分一人になった。

車窓が次第に繁華な町並みで彩られていくうち18時25分、
JR千倉駅に到着した。

思えば錦糸町駅を出立してから何も食べていない。

しかし、駅前にはこれといった飲食店が見当たらない。

商業施設はロードサイドに集中し、駅近辺はモヌケのカラというのが地方共通の光景。

それでも駅前から延びる通りを入ってすぐのところに一軒の食堂を見かけた。

名を「菊川食堂」という。

中に入ると店内に「牛もつ煮込み定食はじめました」の貼り紙があったので注文してみる。

メインの牛もつ煮、小鉢の蓮根のきんぴら、それに蜆の味噌汁とご飯。

牛もつをつつきながら、ひとしきり考える。

千倉から東京へ戻るには内房と外房、いずれかを選択する必要がある。

時間的にもさほど差はない。

ならばここは当初の予定を尊重し、外房を経由して帰京することに決めた。

(旅行日:2012年12月17日)

※写真は後日撮影したものです。

一巡せしもの[洲崎神社]16

RJ洲崎17

そんな道をトボトボ歩いていると突然、目の前に動く影が現れた。

追い剥ぎ? それとも熊?

ハッとして身構えると、それはジョギングしていた単なる小柄なオッサンだった。

無言のうちにすれ違いざま、とある想いがフッと脳裏をよぎる。

まだ時刻は18時前だというのに、こんなに心細い思いをするとは!

ここは東京からほど近い、一応は首都圏。

だが、クルマを持たざる人間にとって、特にシーズンオフの時期は、紛れもなく最果ての地であると。

17時30分過ぎ、ようやく相の浜に到着した。

バス停の位置が分からなかったのでガソリンスタンドで尋ねがてら時計を見ると17時38分…まだ間に合う!

バスを待つ間に周囲を見渡すと、安房神社への案内看板が目に止まった。

ここから至近距離に鎮座している。 だが、今回は立ち寄らず帰ることにした。

本来なら洲崎神社の後、安房神社と玉前神社を参詣の予定だったが、見通しが甘かった。

バス停にはコンクリートブロック製の小屋が設置され、待つ間に雨風を凌げるようになっている。

その小屋から若いのか中年なのか判然としない一人の男性が飛び出してきた。

上下ジャージ姿で背中にリュックサックを背負っている。

明らかにビジネスマンではない。

バスマニアだろうか?


(旅行日:2012年12月17日)

※写真は後日撮影したものです。

一巡せしもの[洲崎神社]15

rj14安房t4u30

歩道は整備されているものの、海岸線に近いため海砂でところどころ埋もれている。

すれ違う人もおらず、滅多に車も通らない。

たまに通りかかる車のヘッドライトが唯一の光明といっていい。

館山から乗車したJRバスの終点(のハズ)だった伊戸と、この徒歩行の目的地である相浜。

全長約46キロにも及ぶフラワーラインのうち、伊戸と相浜の間約6キロは「日本の道百選」にも認定されている国内屈指の風光明媚な道路。

道路の海側には砂防用のクロマツ林が広がり、さらにその先には美しい砂浜で有名な平砂浦海岸が続いている。

平砂浦海岸の松林と砂浜が織りなす絶妙の美しさは「白砂青松100選」に選ばれているほど。

とはいえ、それらはすべて昼間、しかも好天時の話。

とっぷり日も暮れ、街灯もなく、車も通らず、もちろん歩行者もいない。

たまに通りかかる車のヘッドライトが唯一の光明といっていいぐらい。

そんな道をひたすら歩き続ける。

空気の澄んだ日には富士山や伊豆諸島が望めるという。

しかし、薄ぼんやりとした視界には左側に大規模な温室群、右側には大海原と防砂林しか目に入らない。

上空に浮かぶ三日月が唯一の“証明”である。

(旅行日:2012年12月17日)

※写真は後日撮影したものです。

一巡せしもの[洲崎神社]14

RJ洲崎14

16時53分、洲の崎神社前からバスに乗る。

車内には高校生が3人ほど。

みんな途中で降車し、最後は自分一人っきりになってしまった。

すっかり日も落ちたフラワーラインをバスに揺られること10分余。

17時05分、南房パラダイスに到着した。

ここは道の駅なので様々な施設が揃っているのだが、残念ながら16時30分にてクローズ。

灯りが点いているのは公衆トイレぐらいなもの。折角なので用を足した。

南房パラダイス…略して「ナンパラ」。

千葉県最大の動物園にして植物園。…のハズだが、それにしては何もない。

本日、ここを発着するバスも先ほどの便にてオシマイ。

休日の昼間には大勢の観光客で賑わうのだろうか?

結局、自家用車で明るいうちに来ないと何の意味もない施設だということが如実に分かった。

空と海がひとつになり、群青色に包まれた水平線を眺めつつ、ひとつの決断を迫られる。

まだバスの便がある相の浜バス停まで歩くこと。

南房パラダイスから約2キロ弱、徒歩約40分といったところか。

寄せては返す波の音をBGMに、フラワーラインを北に向かって歩き出す。

(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]13

RJ洲崎13

観音堂から右手に回ると先出の子育て地蔵があり、その裏手には剥き出しの岩肌に石段が築かれている。

上へ登っていくと、そこには広目の岩窟が穿たれ、奥の真ん中に役行者の石像が祀られていた。

中には灯りもなく、日も傾いた逢魔が時に出くわすシチュエーションとしては、このうえなく刺激的である。

役行者、又の名を役小角。

言うまでもなく修験道の開祖であり、それこそ日本中に“聖蹟”が散りばめられている。

洲崎神社の社伝によると、養老元(717)年に発生した大地変で境内の鐘ヶ池が埋没。

鐘を守っていた大蛇が災いをおこしたとき、祈祷して退治したのが役行者とのこと。

海上歩行や空中歩行などの神通力を有する役行者は、古くから足の守護神として崇められてきた。

このため岩屋には多くの履物が奉納されているのだが、このシチュエーションで見る履物の群れは余りにも異様に過ぎる。

境内には他にも様々な石仏や石碑が立ち並んでおり、洲崎神社よりも興味深い空間ではあった。

とはいえ黄昏時とあって宵闇が次第に濃度を増し、境内の雰囲気は既に黄泉の様相を呈している。

それに保育園の周りを無意味にウロつき不審者と間違われるのも嫌だったので、バスが来るまで多少の間はあったが、そそくさと養老寺を後にした。


(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]12

RJ洲崎12

細い参道を入ると正面に朱塗りの仁王門が聳立している。

境内にある保育園の出入口も兼ねており、ちょうど夕刻とあってか、ひっきりなしに母親たちが我が子を迎えに来ていた。

名称は「子育保育園」。

保育園の名称としてはありきたりのような印象を受けるが、その由来は境内に鎮座する「子育て地蔵」に因んだもの。

地蔵の建立は寛政9(1797)年というから、200年余に亘って地域の子どもたちを見守り続けてきたことになるのか。

夕闇が迫る中、母子が連れ立って家路を急ぐ寺の境内に、得体の知れぬ怪しき男が一人。

我が身を客観的に鑑みれば、こんなところで観音様を拝んでいていいのかとも思うが。

園舎と参道を挟んだ向かい側にはススキが群生しており、それが状況を一層おどろおどろしく演出している。

といっても、これらは「一本ススキ」と呼ばれる由緒正しき代物。

源頼朝が洲崎神社へ参詣した際、昼食で箸の代わりに使ったススキを「我が武運強ければここに根付けよ」と言いつつ地に挿したところ、本当に根付いたという伝承が残っているそうだ。

園舎の前を通り過ぎ、石段を昇ると正面には朱塗りの観音堂。

堂内には本尊で洲崎神社の本地仏でもある十一面観世音菩薩が鎮座している。

(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]11

RJ洲崎11

海岸線から神社へ引き返そうとした時、左側へ緩やかに下っていく小路を見つけた。

興味をそそられ先に向かって歩いていくと、漁船や釣り船が数多く係留されている小さな漁港に出た。

ここ「洲崎漁港」から更に先へと延びる細い道を進めば、そこには小さな旅館が数軒立ち並んでいる。

釣り客相手に営業しているのだろうか。

そこに「明神荘」という名の旅館を見つけた。

名は無論、洲崎神社に因んだものかと思われる。

玄関から寅さんがひょっこり現れそう…そんな佇まいだ。

両脇を竹藪で覆われた「笹のトンネル」のような小路を抜け、フラワーラインを歩く。

やがて、洲崎神社に隣接している「洲崎観音養老寺」前のバス停にたどり着いた。

洲崎観音養老寺、正式には妙法山観音寺という。

次のバスまで時間があったので境内を散策することにした。

創建は養老元(717)年で、開祖は役行者(えんのぎょうじゃ)。

神仏分離までは洲崎大明神の社僧を勤めていたという。

また、ここは曲亭馬琴の長編伝奇小説『南総里見八犬伝』の舞台にもなった。

こちらはこちらで、なかなかに興味深い歴史を刻んでいる。


(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]10

RJ洲崎10

安房口神社の石は先端に丸い窪みがあることから「阿形」。

洲崎神社の石は口を閉じたような裂け目があることから「吽形」。

これら両者で東京湾の入り口を守る狛犬のように祀られているそうだ。

小径を海へ向かって歩いていくと、瑞垣に囲まれた御神石が鎮座していた。

夕陽を浴びて金色に染まった御神石の形状は、どこか男根を想起させる。

ということは、対岸の横須賀安房口神社に鎮座している御神石は女陰の形状をしているということか。

安房口の御神石を目視したわけではないが、洲崎が「吽形」、安房口が「阿形」というのなら、その可能性は十分ある。

一度、確認しに行かねばなるまい。

すっかり西洋キリスト教文明に毒された昨今の日本は、「男根」「女陰」と目にすれば即座に「ポルノグラフィ」を連想させるような、そんな下衆た社会になってしまった。

しかし、陰陽道に支配された往古の日本社会に於いて「陰陽和合」は万物生成の源であり、「男根」「女陰」の形状をした石が御神体として崇められるのはごく自然なことだった。

御神石から海岸線へと向かう。

海は遠浅、海岸線は岩礁で砂浜ではない。

ところどころ海面から岩が頭をのぞかせ、まるで船舶の接岸を拒んでいるかのようだ。

ここ房総半島の先端から、夕日を浴びて金色に輝く東京湾を眺める。

今から800年以上も昔、平家との戦いに敗れた源頼朝もまた、この海を渡って伊豆から逃れてきたのかと思うと、なかなかに歴史ロマンを感じさせてくれる。

(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]9

RJ洲崎09

急峻な石段を下りつつ、遥かな海原を見やる。

海からの冷たい潮風が人気のない境内を吹き抜け、木々の梢がザワザワと音を立てる。

年の瀬も押し迫り、あと半月ほどで年が開ける。

世の大半の神社は新年を迎える準備で大わらわ。

だが、そうした慌ただしさが洲崎神社には微塵もない。

何か願い事があり、それを叶えてもらうために足を運ぶのであれば、これほど無愛想な神社はあるまい。

だが、他に参拝客が誰もいない状況下で、神の囁きに耳を傾け、心を通わせようと願うのなら、これほど適した神社もない。

石段を下りて再び海抜レベルに降り立つ。

大鳥居からフラワーラインの方向に目を向けると、海へ向かって細い道が伸びていることに気付いた。

その小道を海へ向かうと、突き当りにもうひとつ鳥居が見えた。

海から舟で参詣する氏子を迎え入れるための浜鳥居のようにも見える。

こちらが一の鳥居で、石段の下に立っていたのが二の鳥居ということになるか。

空気が澄んでいれば鳥居の中から富士山が望めるというが、生憎この日は大気が霞み霊峰の勇姿を拝むことは叶わなかった。

一の鳥居近くの説明板によると、この先に「御神石(ごしんせき)」なる“聖跡”が鎮座している…とある。

長さは2.5メートルで石質は付近の岩石と異なるそうだ。

御神石は竜宮から洲崎大明神に奉納された2つの石のひとつ。

もう1つは対岸の三浦半島に飛んで行き、現在は浦賀の西にある安房口神社に安置されている。


(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]8

RJ洲崎08

フッと顔を上げると、正面に掲げられていた「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額が目に飛び込んできた。

揮毫は奥州白河藩主にして「寛政の改革」を断行した江戸幕府老中、松平定信の筆によるもの。

文化9(1797)年、房総の沿岸警備を巡視した際に参詣、奉納したという。

拝殿脇から奥へ回りこむと、そこには本殿が鎮座している。

三間社流造で屋根は銅板葺き、千木は外削ぎ、鰹木は5本。

昭和42(1967)年2月21日、館山市指定有形文化財に指定されている。

社伝によると延宝年間(1673~81)に造営された由。

だが、支輪や紅梁・蟇股などの彫刻に江戸時代中期以降のものが多いことから、造営後に大規模な修理が加えられた可能性が高いという。

本殿の右脇には航海安全の神として信仰を集める金比羅神社が、こじんまりと鎮座している。

境内から鳥居の方角を望むと、眼下には一面の大海原。

洲崎神社が海上安全や豊漁の守護神として深く信仰されたのも頷ける。

今から800以上年も昔、この海を超えて源頼朝は安房国にやって来た。

治承4(1180)年8月、伊豆で挙兵した頼朝は相州石橋山の合戦で平家に敗北。

同28日に真名鶴岬(現在の真鶴岬)から小船で脱出した。

翌29日、頼朝は僅かな供回りだけを伴い、下総國初代守護である千葉常胤を頼って安房国へ逃れ、平北郡猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸。

頼朝は雌伏の時を過ごす中、源氏再興と平家打倒を祈願し洲崎神社へ参籠したという。

また、2年後の寿永元(1182)年には北条政子の安産を祈願したこともあり、現在も安産の神様として御神徳を集めているそうだ。


(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]7

RJ洲崎07

鳥居をくぐって先へ進むと、コンクリート製の堅牢な「随身門」が聳立している。

その左側にあるキャビネットの中に、半紙に記入された御朱印が用意されている。

洲崎神社には神職が常駐していないため、御朱印を賜るには宮司が兼務している富浦の愛宕神社まで足を運ぶ必要がある。

そこで「事前に用意された御朱印でもいい」向き用に、引き出しに空いた小さな穴に初穂料300円を納め、一枚拝受するシステムが用意されている。

そのシステムに従い300円を奉納し、御朱印を賜る。

日付欄の数字の部分だけ空白になっており、キャビネの棚に並ぶ筆ペンで自ら書き入れる仕組み。

ここだけ書体が違うのはご愛嬌か。

随身門を潜ると、次に迎えてくれるのは長い石段。

標高110メートルの御手洗山(みたらしやま)の中腹に鎮座している社殿まで全148段。

とはいえ登るのに必死で数えるどころではなく、館山市教育委員会のサイトに掲載されていた数字を拝借。

やっとのことで石段を登り切ると、そこに広がるこじんまりとした境内。

小学校の体育館ほどの面積はあるだろうか。

その正面中央に古色蒼然とした質素な拝殿が佇む。

拝殿の前で柏手を打ち、頭を垂れる。

そしてスーッと息を吸い、境内に満ち溢れる神意の気を身躯の隅々にまで行き渡らせる。

社殿の背後に広がる森の梢が醸し出す清冽な空気と相俟って、気持ちが落ち着く。

この森は神域であり氏子の信仰対象なので、過去に伐採されることなく保護されてきた。

昭和47(1972)年9月29日には「洲崎神社自然林」として県指定天然記念物に指定され、現在に至っている。


(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]6

RJ洲崎06

バス停から徒歩2~3分ほどで「洲崎神社」と大書きされた標柱に出くわす。

アクリル板で出来たそれは、神社の案内標というよりスナックの看板のようだ。

標柱の矢印に従って進むと参道が見えてきた。

入り口に立つ社号標は黒い石に掘られた真新しい巨大な柱と、古い柱の二種類ある。

古い柱には「一宮洲崎大明神」と刻字されている。

社号標が作られたのは安政3(1856)年。

明治維新の神仏分離までは「明神」だったわけだ。

真ん中にポッキリと折れた跡が残る。

安政の大地震か、関東大震災か、それとも先の東日本大震災か。

いずれの爪痕かは定かではない。

入り口脇にある解説板によると「洲崎神社」と書いて「すのさきじんじゃ」と読むそうだ。

バス停の名は「洲の崎神社前」だったが、正式名称にひらがなの「の」は入っていない。

創建は神武天皇元年、西暦にすると紀元前660年。

御祭神は天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)。

安房国にはもう一つ「安房神社」という一之宮があり、こちらの御祭神は天太玉命(あめのふとだまのみこと)。

その后神が天比理刀咩命なのだ。

参道を進むと正面に大きな神明鳥居、その左右に石灯籠。

鳥居の前に金属製のポールが設置され、そこに注連縄用が張られている。

鳥居が大き過ぎ、貫まで容易に届かないので、あえて注連縄用に誂えたのだろう。


(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]5

RJ洲崎05

海沿いを走っていたバスは加賀名バス停から山間部に向けてハンドルを切った。

西岬小学校前バス停で、またも大勢の小学生が乗車してくる。

この路線バスはスクールバスの役割も兼ねている様子。

こうした実情は時刻表の無機質な数字からは、なかなか見えてこない。

時刻表によると、このバスは途中の伊戸止まり。

しかし、なぜか伊戸に到着してもストップすることはなく、その先へと進む。

時刻表が適当なのか、運行がいい加減なのか。

いずれにせよ伊戸から洲崎神社まで歩行での行軍を覚悟していた身には嬉しい誤算だった。

15時ごろ、館山駅から40分ほどで洲の崎神社前バス停に到着した。

バス停には子どもを迎えにきたお母さんたちで賑わっている。

客の中で洲崎神社を参拝に来たのは自分一人のみ、あとはすべて帰宅児童だった。

停留所の時刻表を見ると、バスの便は2時間に1本程度。

ここへ路線バスで来るのは余程の酔狂者ということだろう。

バスに揺られてきた県道257号線は通称「房総フラワーライン」という。

菜の花やポピー、マリーゴールドなど、沿道には四季を通じて季節の花々が咲き誇る。

さすがに今は真冬だけに花の姿は見かけないが、沿道の草木は青々としている。

それだけ温暖な気候が植物の育成に適しているのだろう。

(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]4

RJ洲崎04

14時ちょうど、館山に到着。

今や都心との連絡は利便性の高い高速バスに席巻され、東京駅と結ぶ特急列車も、ほぼ消滅に近い状況だ。

駅前に出ると平日の昼下がりとあってかマッタリとした空気が淀んでいた。

ロータリーでは客待ちのタクシーが所在無さ気にたむろし、真冬にしては熱を帯びた陽光に発汗さえ覚える。

JRバスに乗り換えるため、ロータリーを左手へ回り込みバス停へ。

半島の先端をこまめに廻る路線と、内陸部を横断して外房に出る路線がある。

洲崎神社へは前者に乗車するのだが、それほど本数が多くないので時刻を事前に調べておくのは必須だ。

半島の先端行きは3番乗り場。

停留所では数人の老婆たちが世間話を交わしながらバスが来るのを待ち侘びている。

いや、そんなに焦れるほど待っている風でもない。

待ち寂びてるといったほうか相応しいか。

14時20分、JRバス関東の路線バスは3番乗り場から出発した。

鄙びた駅前通りを抜け、館山城址のある城山公園を経て館山小学校前のバス停へ。

ここで下校する小学生たちが大挙して乗り込んできた。

「◯◯君は次の停留所ね」
「さっ、次で降りるよ」

年長者の女の子が年下の子どもたちを仕切っている。

この世代、やはり女の子のほうが大人だ。

男のガキなんて遊ぶことしか考えていない… もちろん自分を鑑みての話だが。

豊津橋バス停で全員下車していった。

近くに海上自衛隊館山航空基地があるので、そこの子どもたちかも知れない。

(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]3

RJ洲崎03

「まったく、俺みたいな奴に注意ひとつできる大人が一人もいないんだから、ロクな世の中にならないわけだ」

よく言うゼ…とは思うが、タコ入道は悪態をついてはいるのものの、言ってる内容は他愛もない子供じみた戯言。

周囲の乗客は不愉快だろうが、黙って聞いてる分にはユーモアが絶望的に欠落した笑い話に過ぎないのだが。

すると、隣に立っていた高校生ぐらいの男の子がスッと離れ、タコ入道の隣席にサッと座った。

「おじさん、どこまで行くの?」
「俺か!? 八幡宿」

不意を突かれたせいか、タコ入道は意外なほど素直に返答した。

「坊主、高校生か?」
「そう、木更津から千葉まで通ってるんだ」
「千葉までじゃ結構な距離あるなぁ、大変だろ」
「そうでもないよ、慣れてしまえばね」
「偉いなお前。俺みたいな大人になるんじゃねえぞ」

先ほどまでの悪態はどこへやら。

どうやらタコ入道、単に話し相手が欲しかっただけらしい。

それを看破してタコ入道の懐にスッと飛び込んで行った高校生の才覚と度胸に感服した。

八幡宿に着くとタコ入道はスンナリ下車して行った。

「おい、さっきオレを見てコソコソ言ってた2人組! お前ら覚えてろよ!」

そう言い残すのを忘れずに。

12時51分、君津に着くと車内はガラガラになった

上総湊の辺りで車窓に内房の海が開けてくる。

海水浴場が近くペンションや別荘が立ち並んでいるが、冬なので人影は少ない。

保田に着くと列車行き違いのため9分停車。

車内の乗客は高校生だらけである。

(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]2

RJ洲崎02

頭髪は皆無で、緑のジャンパーに黒の作業ズボン。

その容貌たるや東京湾から引き上げられたタコ坊主。

いや、坊主にしては身躯がデカ過ぎる。

タコ入道と呼んだほうが相応しいか。

浦安や幕張を闊歩するオシャレな“千葉”県民ではなく、富津や木更津で鳴らした荒くれ漁師の末裔が如き“房総”族である。

タコ入道は電話を切ると、そのうち近くの乗客に悪態をつきはじめた。

「何見てんだタココラァ!」

そんなタコ入道に周囲の乗客は白い目を向け、ヒソヒソ。

「オイそこ! コソコソ喋ってねえで、かかってこいやゴルァ!」

気がついたら、とっくに電車は千葉駅を発車していた。

駅へ着くたび降車客は足早に駆け去り、乗車客はタコ入道を見て目を白黒させている。

「おぃおぃ、誰もオレのこと注意しに来ねぇのかよぉ、情けねぇ奴ばっかしだなぁ~」

もちろん、誰も注意しない。

車内で暴れているとか痴漢を働いているのなら話は別だが、ただ大声で下品なことを喚いているだけなので、放っておいたところで何の差し障りもない。

「あ~あ、ヤクザ屋さんでも喧嘩売ってこないかなぁ~」

電車の中でこうした阿呆をたしなめるヤクザ屋さんなど見たことがない。

もし一緒に警察に連行されでもしたら、下手すると共犯扱いされるのだから当然の話だ。

(旅行日:2012年12月17日)

一巡せしもの[洲崎神社]1

RJ洲崎01

錦糸町駅4番ホーム。

空は薄く曇り空気は肌寒いが、雨の心配はなさそうだ。

11時24分発の総武本線快速電車「エアポート」に乗り込む。

平日のお昼時とあって適度に空いている車内には、大きなスーツケースを携えた海外旅行客が目立つ。

これから諸国一之宮を巡礼する旅に出ようと思う。

しかも公共交通機関だけを使って。鉄道、バス、船舶、航空機、そして自分の足。

タクシーも一応は公共交通機関だが、あまり使いたくない。

というか、余程のことがない限り使うことはないだろうけど。

一之宮巡礼…略して“一巡”の幕開けは房総半島の先端に位置する安房國一之宮、洲崎神社。

館山駅まで行き、さらにバスに乗り換える必要がある。

12時ちょうど、千葉駅に到着。

内房線に乗り換えるため地下の連絡通路へ向かうと工事中で、元から分かりにくかった駅舎の構造が更に難解さを増している。

案内板を見ては先行く人の後を追ったりして、ようやくホームにたどり着いた。

12時05分発、安房鴨川行き普通列車は先ほどの総武本線とは一転、大層な混み具合。

いくつか車両を覗くが、どれも同じぐらい混んでいる。

そんな中、なぜかポッカリ小さなスペースが空いている車両を発見。

不思議に思いつつもコレ幸いと、そのスペースに身を滑り込ませた。

車中に身を置き初めてナットク。

そこには携帯電話で大声で話をしているイカツいオッサンが大股オッ広げて座っていた。


(旅行日:2012年12月17日)
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