とはいえ合併そのものが覆ることはなく、オリックスに吸収合併された近鉄球団は平成17(2005)年を以って消滅。
近鉄バファローズは結局、日本シリーズを1度も制することができないまま、プロ野球の歴史から去って行くこととなった。
一方のオリックスはチーム名をバファローズに改称し、ここに合併球団「オリックス・バファローズ」が誕生した。
ただし、あくまでもオリックスは阪急ブレーブスの流れを汲む球団であり、吸収した近鉄球団の歴史については有って無いような扱われ方である。
現在のドイツにおける西ドイツに吸収合併された東ドイツの歴史と、どこか似ているような気もする。
というわけで阪急西宮ギャラリーのような、近鉄バファローズの歴史だけを記した施設は、あべのハルカスにも藤井寺駅近辺にもない。
オリックス・バファローズの本拠地である京セラドーム大阪には、前身だった阪急ブレーブス、近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブの各チーム歴史を展示したエリア「Bs SQUAR」があるにはあるのだが。
藤井寺駅に戻ると跨線橋にオリックス・バファローズのポスターが掲示してある。
それを眺めながら、24年前に訪れた時の試合を思い出す。
近鉄の先発投手は2年目の野茂英雄だった。
あのトルネード投法を生で観戦したのは、後にも先にもこれっきり。
その後、野茂は近鉄とケンカ別れのような形で日本球界を後にし、平成7(1995)年に米大リーグのロサンゼルス・ドジャースへ。
その後の活躍は周知の通り。
現在メジャーリーグで日本人選手が大活躍しているが、それも野茂が先鞭を付けなければ道が開けなかったことは間違いない。
ただ、野茂の名を耳にするたびにメジャーでの華々しい活躍ぶりとセットで、藤井寺球場の閑散としたスタンドと駅までの少し薄暗い帰り道が思い起こされる。
あべのハルカスの余ったスペースでいいから、やはり近鉄グループに近鉄バファローズの歴史だけを展示したギャラリーを作って欲しい。
藤井寺駅から大阪阿部野橋駅へと戻る近鉄電車の中で、そんなことを切に思った。
大阪阿部野橋駅から地下鉄天王寺駅を経て御堂筋線に乗り換え、なんば駅へ。
ミナミの象徴、高島屋正面から右手へ回り込み、阪神高速の下、通称“パークス通り”を南側へと向かう。
すると道の向こう側に“豚まん”でおなじみの551蓬莱を発見!
朝にホテルで食事して以来、何も食べていないという事実を前に暫し思案するも、この場は取り敢えず先を急ぐ。
難波中交差点から眺める「なんばパークス」。
かつてこの場所に「大阪球場」こと大阪スタヂアムが存在していた。
[旅行日:2014年6月23日]