再び京阪石山坂本線の唐橋前駅まで戻って来た。
石山坂本線は文字どおり石山寺駅と坂本駅を結ぶ路線。
坂本駅は比叡山への玄関口であり、延暦寺の守護神である日吉大社[ひよしたいしゃ]が鎮座している。
近江国には多賀大社や近江神宮など大きな神社が幾つもあるが、中でも日吉大社は延暦寺の存在を背景に強大な力を有していた。
建部大社も日吉大社から政治的経済的に圧迫され、所領争いも絶えなかったそう。
中世を過ぎる頃には建部大社も日吉大社の勢力下に飲み込まれていたという。
石山坂本線の両端に鎮座する建部大社と日吉大社。
今なら電車で1時間かそこらで行き来できる両大社。
だが、その距離には千年以上にも亘る深い因縁が横たわっているわけだ。
往路を忠実にたどりながら石山駅へ戻る。
フィルムを逆回転させたかのように風景が巻き戻っていく。
国府の近くに鎮座していたことから一之宮となった建部大社。
古来より交通路の要衝に位置していたことから、幾度も大きな戦乱に巻き込まれた。
そのたびに社殿は焼失し、社宝や古文書は失われ、社域は削られていった。
ちなみに近江国の二之宮は日吉大社、三之宮は多賀大社。
日吉大社は前述の通り比叡山延暦寺の守護神として権勢を誇ってきた。
多賀大社は現在、滋賀県で最も多くの初詣客を集める大神社である。
過去に両社が建部大社から一之宮の座を奪い取っても不思議ではなかったろう。
それでも近江の一之宮は今もなお、建部大社である。
苛烈な歴史に翻弄されながらもシブトく生き延びてきた術はどこにあったのか?
その秘訣を知ることができれば、自分の人生にも活かせることができるかも知れない。
石山駅のホームに立ち、行き交う列車の姿を眺めながら、そんなことを想った。
[旅行日:2016年12月10日]