帰路は再び神南せせらぎ通りを歩く。
“せせらぎ”とは名ばかりで単なる側溝だと思っていたのだが、幼い姉弟が中に入って小魚を追いかけている姿を見かけた。
想像以上に綺麗な“せせらぎ”のようだ。
途中、スナックを見かけた。
その名を「古里」という。
店前では巨大な狸の置物がお出迎え。
だとしたら「ふるさと」ではなく「こり」と読むのだろうか?
中に入れば狐や狸に化かされて…でも、楽しかったらそれも良しか。
フィルムを逆再生するかのように、往路を辿って聖蹟桜ヶ丘駅へ戻ってきた。
武蔵國一之宮として由緒正しき歴史を誇りながらも、時代の趨勢に翻弄され落魄の境遇に甘んじる小野神社。
その存在そのものが、人生の歩み方に何らかのサジェスチョンを与えてくれたようにも思える。
そんなことを考えながら改札口に足を向けた。
(武蔵國一之宮「小野神社」おわり)
[旅行日:2013年5月19日]