裏手の石鳥居から境内を出、日本武尊に分かれを告げた。
大鳥大社境内の敷地面積は現在1万5千余坪(約14万9500平方m)と広大。
だが古図を見れば往時は現在の比ではなく、鎮座地一帯の丘陵すべてが敷地だったかのよう。
境内には「大鳥大社全景図」という巨大な案内板が立っているのだが。
なにぶん古ぼけているうえ、手前の灌木に邪魔されて全く用を為していない。
元禄時代の古図と比較して見れば、社殿と南側に広がる心字池の位置は今と変わらないように見える。
両者の位置が元禄時代から動いていないと仮定すれば、神鳳寺があったのは現在の大鳥美波比神社から東側一帯だったことになる。
いや、神鳳寺の本堂と五重塔の跡に大鳥美波比神社を移建したことになるのか。
それにしても古図に描かれた神鳳寺の寺領は相当に広大だ。
それが失われてから、たかだか100年程度しか経っていないことに驚かされる。
廃仏毀釈のムーブメントが、それほど凄まじいものだった証かも知れない。
裏口から出た格好になるので、境内の外側ををグルリと回り込む形で一ノ鳥居へ向かう。
一ノ鳥居から海に向かって一直線に延びる参道を行き当たると南海本線浜寺公園駅がある。
明治40年(1907)6月に建てられた駅舎は東京駅の設計で知られる、辰野金吾博士が所属した辰野・片岡建築事務所によるもの。
平成10年(1998)9月には大手私鉄の駅では初めて国の登録文化財に指定された。
1.5km程度と歩いて歩けない距離ではなかったのだが、いかんせん宿酔で体調悪しき状態。
止む無く鳳駅へ戻り、羽衣線で南海線羽衣駅という往路を逆に辿ることにした。
昨日から羽衣線を都合一往復半したことになる。
石鳥居を出て駅への道を歩いていると、昨日電車の中から見かけた看板があった。
祀った側の人間の都合で祭神が替わったり、境内がくたびれたり。
日本武尊よ、ごめんな…そう心の中でつぶやいたのだった。
[旅行日:2014年3月19日]