伊雑宮

一巡せしもの[伊雑宮・続]06

rj06神宮内宮01

遺跡群から東側に下っていく細い坂の先には「風呂屋の谷」という湧水池がある。

風呂屋といっても銭湯ではなく、昔は伊雑宮に参拝する前ここで身を清めた“禊所”だ。

風呂屋の谷から坂を登って再び伊雑宮の門前へと向かって歩くと、途中に世古長官家の屋敷跡がある。

世古家は先出の中家と並び、伊雑宮の長官を代々務めてきた氏族。

屋敷跡そのものは別の個人所有地となっているが、石垣の一部は往時のまま残されているそうだ

上之郷駅へ戻ると近鉄特急ビスタカーの回送車が停車していた。

ここで対向車との行き違いを待っているのだろうが、長大編成ゆえに車両がホームに収まり切れず端がハミ出ている。

春先の穏やかな陽気の中、ホームのベンチに座ってビスタカーを眺めているうち、発車時間が来たのかユルユルと動き出し、賢島方面に向かって走り去った。

その様子をボーッと眺めていると、ビスタカーが消えた方角から今度は鳥羽方面行きの各駅停車の姿が。

電車に乗ると車内はお伊勢参りの女性やカップルが目立つぐらいで、閑散としていた。

これからどこへ向かうかというと、伊勢神宮内宮へ参詣に行こうと思う。

平成24年の天皇誕生日に伊勢神宮外宮へ参拝して以来、1年数ヶ月の間が空いての内宮参拝。

式年遷宮も無事に終わり、新たな節目を迎えた伊勢神宮。

だが、マスコミが撒き散らす「伊勢ブーム」ごときに踊らされず、地に足を付けて参拝したいところだ。

[旅行日:2014年3月17日]

一巡せしもの[伊雑宮・続]05

rj05続伊雑宮4T13

境内を辞し、前回も訪れた「御師(おんし)の家 森新」へ。

森新の屋号は御師・森新左衛門の名前が由来。

御師制度は明治4(1871)年に廃止されたが家系は受け継がれ、現在は森新太夫の末裔が築100年の自宅を改装。

平成24(2012)年から御師に関する資料をボランティアで展示している。

それほどスペースは広くないのだが、隅から隅まで展示品がビッチリと詰まっている。

その中に「塩」と「米」が白い紙袋に入れて並べられ、無料で配布されていた。

米も塩も森さんが自ら作ったもの。

もちろん食べられるのだろうけど、逆に勿体なさ過ぎてとても食べられない。

森新から北へ伸びる細い道を進むと「倭姫命の旧跡地」「千田の御池」「秋葉堂・庚申堂」といった遺跡群がある。

秋葉堂の中には秋葉社と庚申碑が祀られている。

しかし御堂の前には「伊弉諾神 伊弉冉神」「伊佐波登美命」と標柱が2本立っている。

御堂の御祭神が変わったのだろうか?

イザナギ・イザナミはまだしも、伊佐波登美命が祀られているのは興味深い。

伊佐波登美命は伊雑宮の本来の御祭神だったはずだが、その名はどこにもない。

伊雑宮にも伊佐波登美命の名を残そうという動きがあるのだろうか?

[旅行日:2014年3月17日]

一巡せしもの[伊雑宮・続]04

rj04続伊雑宮4T08

ちなみに「竹取神事」で争奪されたゴンバウチワは小片に切断されて「御神竹」となり、参加者各自が銘々持ち帰って自宅や船の神棚に祀るのだそうだ。

「御神竹」は大漁や海上安全の神様。

だからこそ漁師しか参加できなかったのだろう。

とまあ、実際には見ていないものを、さも見たかように綴ってしまった。

まだまだ冷たい春風が吹き抜ける目の前の御料田からは、そうした賑やかな光景を想像するのは難しい。

御料田への参拝を終えて伊雑宮の境内へ。

一の鳥居をくぐり、緩やかなS字のカーブを描く参道を奥に進むと、前訪時とは風景が一変していた。

正殿の隣に、何やら建築中。

正殿との間は木の板で仕切られ、その向こう側で高い櫓が建築用の白いシートで覆われている。

平成25(2013)年の伊勢神宮・両正宮の式年遷宮に続き、同26(2014)年は別宮のご遷宮が行われる。

もちろん伊雑宮も同年5月に式年遷宮の立柱祭、上棟祭が行われ、秋には新しい正殿へ「遷御の儀」が挙行される。

これは戦後4回目、平成に入ってからは2度目の式年遷宮になるという。

[旅行日:2014年3月17日]

一巡せしもの[伊雑宮・続]03

rj03続伊雑宮4T05

鳥居の向こう側には田圃が三反ほど広がる。

御料田の周囲も一面の田圃なのだが、その境は柵で仕切られている。

御料田の敷地には隅に「神宮」と掘られた石杭が打たれ、ここが伊勢神宮の御神域であることを世に知らしめている。

鳥居をくぐって御料田に近づいてみる。

まだ田起こしも行われていない冬眠中の御料田は、春の訪れを告げる祭りの到来をひっそりと待っているかのよう。

鳥居の隣に立つ「磯部の御神田」の式次第によると、まず11時20分ごろから「竹取神事」が行われる。

御料田の西端に立つ杭に高さ10メートルはあろうかという太い青竹が縛り付けられ、その先端に「ゴンバウチワ」という巨大な団扇が括り付けられている。

その青竹が杭から解かれ御料田に向かって倒されると、大勢の男衆が褌姿でゴンバウチワを奪い合うという、とてもマスキュランな行事である。

ちなみにひと昔前まで、竹取神事には地元の漁師しか参加できなかったそうだ。 

続いて11時30分ごろから祭事のハイライト「御田植の神事」がスタート。

謡(うた)や鼓や笛太鼓が奏でるお囃子に乗って、当番区の奉仕役人(やくびと)たちが古式ゆかしく一列に並んで田圃に早苗を植えていく。

途中まで来たところで一旦停止。

それまで簓(ささら)という楽器を担当していた2人が、御料田の真ん中で「刺鳥差(さいどりさし)」という舞踊を舞う。

その間、一同は若布(わかめ)を肴に一時の宴を張り、刺鳥差が終わると田植え再開。

最後は一同が列を為し、御料田から踊りながら伊雑宮へ向かう「踊り込み」で締めくくる。

この踊り込み、伊雑宮一の鳥居まで僅か200メートルほどの距離を、たっぷり2時間かけて練り歩くそうだ。

[旅行日:2014年3月17日]

一巡せしもの[伊雑宮・続]02

rj02続伊雑宮4T05

伊雑宮の一の鳥居の前に来た。

が、境内には入らず、まずは南に位置する御料田へ向かう。

前回の参詣で御料田をスルーしたことが、ずっと心に引っかかっていた。

このため今回の参詣は正宮より御料田のほうが目的と言っていいぐらいの気持ちでいる。

境内の南にある参拝者駐車場を横切り御神田広場へ。

以前ここにあった御料田を西へ移し、広場として整備したものだ。

広場といっても真ん中を御料田へ一直線に伸びる参道が通っているぐらいで、あとは何もない。

いや、広場の南端に「磯部の御神田(おみた)」についての解説板と、国重要無形民族文化財指定の記念碑が立っている。

伊雑宮の御田植式(おたうえしき)「磯部の御神田」は日本三大御田植祭のひとつで、毎年6月24日に御料田で行われる。

ちなみに他の二つは下総一宮香取神宮、摂津一宮住吉大社の御田植祭との由。

祭りの始まりは平安時代末期、ここで稲作が始まった「白真名鶴」の伝説と結びつき、鎮座地の磯部九郷で現在に至るまで伝承されてきたものという。

その御料田へ歩を向ける。手前には黒木の神明鳥居、奥には忌柱が立っている。

黒木鳥居とは丸太の皮を削らず、自然木のまま用いた最もシンプルな形式の鳥居。

社殿のない場所で神事が行われる際に立てられるという、非常に珍しい鳥居だ。

[旅行日:2014年3月17日]

一巡せしもの[伊雑宮・続]01

rj01続伊雑宮4T03

平成24(2012)年のクリスマス・イブに訪れた志摩国一之宮「伊雑宮(いざわのみや)」。

しかし余りに先を急ぎ過ぎたせいか、肝心要のところを見落としてしまった。

それを悔いること1年余…こたび改めて伊雑宮を再訪することにしたものだ。

近鉄志摩線上之郷駅。ここへ来るのも1年数ヶ月ぶり。

駅から前回と同じ道筋を辿って伊雑宮へ向かうが、周辺の景色にさしたる変化はない。

だが今回は時間に余裕があるので、視界に入る建物が初めて見るかのようで新鮮だ。

途中「中長官家の長屋門」という古い建物が立っている。

伊雑宮の長官を代々務めてきた中家の屋敷の、南西部入口に遺されている長屋門の一部。

家屋は建て替えられているが長屋門は往時のもので、城壁と黒い腰板が往時の姿を今に伝えている。

道を進んだ先の角には前回も通りすがりに見かけた鰻料理の旅館中六(ちゅうろく)。

昭和4(1929)年の建築という建物は国の登録有形文化財にも指定されている。

その屋号は御師中六太夫の名に由来する“御師の家”だったことは前回も触れた。

往時は旅館として営業していたが、現在では割烹だけの模様だ。

中六と道を挟んだ向かい側にある建物は「神武参剣道場」。

昭和36(1961)年、吉角旅館の跡地に建てられた武道場。

建材には昭和34(1929)年の伊勢湾台風による倒木が数多く用いられているそうだ。

こちらも現在、国の登録有形文化財に指定されている。

[旅行日:2014年3月17日]

一巡せしもの[伊雑宮]07

rj07続伊雑宮4T11

しかし今は真冬の12月、祭りが行われるのは半年後の話。

冬眠中の田圃を見たところで、何か面白いわけでもなかろう。

というわけで御料田を見ることもなく、伊雑宮を後にして上之郷駅へ向かった。

それだけでなく、周囲に建ち並んでいた重厚な歴史的建造物も何となく足早に通り過ぎてしまった。

伊射波神社での参拝に時間を掛け過ぎ、しかも次の敢國神社へ日のあるうちにと気が急いていたせいかも知れない。

再び上之郷駅から近鉄線に乗り、車内で改めて考えているうち、非常に勿体ないような心持ちがしてきた。

特に伊雑宮の存在根拠の核を成す御料田を見落としたのは、痛恨の極みだったのではないか。

線路沿いで風に揺られる薄の群れを眺めているうち、機会あらば伊雑宮を再訪したい…そんな思いに駆られたのだった。

[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[伊雑宮]06

rj06伊雑宮4T13

正殿から一の鳥居へ参道を引き返す。

左側には祓所(はらえど)や御倉(みくら)、神撰(御供物)を調理する忌火屋殿(いみびやでん)などが並んでいる。

その先には匂玉池が広がり、水の中に石段が続いている。ここで潔斎が行われるのだろうか?

匂玉池の先が宿衛屋で、その間に巨大な楠が空に向かって高く聳えている。

しかし参拝を終えたこともあって安心したのか、それらを些細に観察することもなく境内を後にした。

伊雑宮を出て北へ数十メートルほど歩くと、そこに「御師(おんし)の家」という小さな博物館のような建物がある。

御師とは伊雑宮への参詣者を案内し、参拝や宿泊などを世話した人たちのこと。

「御師の家」は御師の末裔が築100年余の自宅を、伊雑宮や「御田植式(おたうえしき)」の歴史や伝統文化にまつわる様々な資料を展示するスペースに改修したもの。

ちなみに先出の割烹旅館「中六」も昔は御師の宿だったそうだ。

この「御田植式」とは伊雑宮の祭事で志摩地方随一の大祭。

日本三大田植祭のひとつで、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

毎年6月24日、境内の南側にある御料田で、鎮座地志摩市磯辺町の人たちが、お囃子に合わせて稲を植えていくという古雅な神事だ。

[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[伊雑宮]05

rj05伊雑宮4T12

小さな祠がポツンと置かれた「古殿地」を前に伊雑宮と伊射波神社の歴史的な関係について考えてみる。

伊雑宮の御祭神は「天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま) 」、つまり天照大御神の分霊とでもいうか。

もとが伊佐波登美命と玉柱屋姫命が伊雑宮の主祭神だったが、中世になって天照大御神も併せて祀られるように。

長らく二柱を祭神に祀っていた時代が続いていたのだが、明治維新以降は天照大御神一本に統一されることとなった。

延喜式によると「伊雑宮」は伊勢神宮の南に鎮座すると記されているそうだ。

確かに伊雑宮は南に位置しているが、伊射波神社はどちらかといえば西。

延喜式に記された「伊雑宮」とは現在の伊雑宮を指しているに違いないのでは。

かつて伊射波神社は志摩大明神、加布良古大明神と呼ばれていた。

それが現在の社号になったのは、鳥羽藩の修繕工事が行われた文化4(807)年の辺りからと思われる。

その頃に伊雑宮と伊射波神社の混同が起こったのではなかろうか。
 
ただ、伊佐波登美命は伊射波神社の御祭神の一柱である一方、伊雑宮の御祭神に現在は名を連ねていない。

もともと「伊雑宮」は伊佐波登美命のために建立された神宮にもかかわらず、その祭神に名を連ねていないとは何とも不思議な話だ。

[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[伊雑宮]04

rj04伊雑宮4T09

それは倭姫命(やまとひめのみこと)が皇大神宮を創建した後、御供物の採取場である「御贄地(みにえどころ)」に相応しい土地を探していたときのこと。

志摩国を巡行していた折、昼も夜もブッ通しで鳴き続ける一羽の鳥がいた。

不思議に思った倭姫命は、大幡主命(おおはたぬしのみこと)と舎人紀麻良(きのあさよし)に様子を見に行かせることに。

行って見ると志摩国伊雑の芦原の中に、根本は一基で末は千に茂る稲穂があった。

その稲穂を 「白真名鶴」(しろまなづる) という鳥がくわえて回り、突つっついては鳴いている。

その姿を見られるや白真名鶴はパタリと鳴き止み、口に加えていた稲穂をポトリを落とした。

このことを倭姫命に報告したところ「物言わぬ鳥ですら田を作る。皇太神(天照大御神)に奉れる物を」と仰せられた。

そして伊佐波登美命(いざわとみのみのみこと)に命じて稲穂を抜かせ、天照大御神の御前に捧げた。

さらに稲穂の生えていた土地を「千田」と名付け、そこに伊佐波登美命の神宮を建立し、皇大神宮の摂社とした。

「倭姫命世記」は、これが伊雑宮の起源だと記している。

正殿の左横には同程度に大きな空き地が広がっている。

ここは「古殿地」といって、20年ごとに東西交互に社殿を造営する“式年遷宮”用の御敷地。

この点もまた、伊勢神宮と共通している。

ちなみに別宮の遷宮は正宮が終わった後、順次行われていく予定。

正宮の遷宮は平成25(2013)年に予定されているので、伊雑宮の遷宮は平成26(2014)年以降ということになる。

[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[伊雑宮]03

rj03伊雑宮4T06

一の鳥居は当然といえば当然だが、典型的な神明(伊勢)鳥居である

鳥居をくぐると衛士派出所と宿衛屋(しゅくえいや)が向き合うように立ち、その間を参道が奥に向かって伸びている。

宿衛屋とは「護衛兵が宿直する建物」の意味だが、向かいに衛士派出所があるので、現在では社務所の役割を果たしている。

それにしても、社務所はあっても派出所のある一之宮はここが初めてだ。

参道は緩やかなS字のカーブを描きながら、境内の奥へと通じている。

両側には巨木が文字通り林立し、この空間に満ちる空気までが祓い清められているかのよう。

参道を抜けると右手に正殿が聳立している。

その姿は、どこか伊勢神宮内宮の社殿に似ている。

参拝の栞によると、やはり構造は内宮に準じているそうだ。

南に面して建てられた正殿は唯一神明造で御屋根の鰹木は六本。

東西両端には内削ぎ(水平切)の千木が高く聳えている。

周囲を瑞垣と玉垣の二重の御垣で囲まれ、それぞれに御門がある。

鎌倉時代に成立した「倭姫命世記」によると、伊雑宮が創建されたのは今から約二千年前に遡る。

[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[伊雑宮]02

rj02伊雑宮4T04

伊雑宮の入口は神武参剣道場の斜向かいにあった。

まずは門前に立つ説明の看板を読む。

「伊雑宮は皇大神宮の別宮のひとつであり、昔、大神の遥宮(とおのみや)とも云われ、志摩国の大社として有名である」

皇大神宮、つまり伊勢神宮内宮の別宮であり、往古は遥拝宮だったことは伊射波神社の項でも触れた。

ちなみに伊勢神宮内宮の別宮は次の通り。

  • 荒祭宮
  • 月讀宮
  • 瀧原宮
  • 伊雑宮
  • 風日祈宮
  • 倭姫宮

このうち伊雑宮だけが志摩国に鎮座している。

だが、説明板には志摩國一之宮に関する記述が欠片もない。

伊雑宮は「伊勢神宮」ブランド推し一本でアピールし、「志摩國一之宮」ブランドは排除する姿勢なのだろうか?

そんな疑問を抱きつつ、境内に足を踏み入れる。

「イゾウグウ」「イソベさん」とも呼ばれる伊雑宮。

ここまで14の一之宮を訪れたが、そのどれとも異なる雰囲気を感じる。

やはり“伊勢神宮グループ”に属するだけあって、別宮にもお伊勢さん独特の空気が流れているのだろうか。

[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[伊雑宮]01

rj01伊雑宮4T03

近鉄鳥羽駅の近辺は観光客でごった返していた。

この日は天皇誕生日の振替休日にしてクリスマス・イヴ。

和洋折衷の極みの如き祝日のせいで混雑しているのかどうかまでは知らない。

ここから近鉄志摩線に乗車し、伊雑宮最寄りの上之郷駅まで普通列車で20分強の鉄旅。

観光客のほとんどは鳥羽駅で下車したのか、車内は閑散としている。

鳥羽駅を出た志摩線は安楽島橋のあたりを過ぎると内陸部に入って行く。

海沿いを走る路線だが車窓には平凡な田園風景だけが続く。

風光明媚な海沿いの景色を一度も見ることのないまま上之郷駅に到着。

家並が建て込んだ繁華な土地かと思いきや、周辺を田畑に囲まれた長閑な駅だ。

駅を出て国道167号線を渡り、列車の進行方向と逆に少し戻ったところから細い路地に入る。

道の両側には歴史を感じる建物が並び、一之宮の鎮座地ならではの雰囲気。

突き当りはT字路で、角の右側には大層古風な和風建築が立ちっている。

看板には鰻料理の割烹旅館「中六」とある。

その反対側、角の左側にもこれまた立派な和風建築物の姿が。

こちらは「神武参剣道場」という。

しかし伊雑宮への参詣で頭が一杯で、どちらもひと眺めしただけで先を急ぐ。

[旅行日:2012年12月24日]
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