自性寺の駐車場で碑を見かけながら、つい素通りしてしまった人物だ。
田原は国東市出身の病理研究者で、心臓ペースメーカーの生みの親とも言われている偉人。
その業績を見ていると、背後から上品な老婦人に挨拶された。
大江家ご当主の御母堂だろうか?
「裏庭に薬草園がありますので是非そちらもご覧になってください」
その言葉に従って裏庭に回ると、多種多様な薬草が植栽された畑が広がっている。
慎ましさの中に優雅さが漂う、老婦人の立ち振る舞いは大江家の家訓
「医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す」
(医療は無条件に善なのではなく、医者次第で善にも悪にもなるから、医師は常に謙虚に患者のために尽くすべきである)
を体現されているかのよう。
まだ早春で緑より耕土の目立つ薬草園を眺めながら、そんなことを想った。
大江医家資料館を出てホテルに戻る。
途中ここにも「おかこい山」があった。
自性寺の裏手にあった土塁である。
土塁の大半は明治時代に失われ、現在では市内数か所にしか現存していない。
とはいえ、九州で総構えの土塁が残っている城は中津城の他にないそう。
初期の近世城郭を考証する上で貴重な存在なのだそうだ。
中津駅方面へ向かって歩くと、細い水路に架かる小さな橋。
かつてこの水路は城下町と城外を隔てる堀だった。
橋を渡れば中津の城下町とサヨナラすることになる。
感慨とともに何の変哲もない水路を眺めつつ、 橋を越えて広い道路を進むうち、正面に中津駅が姿を現した。
福澤翁の全身像が背を向けて立っているのが見える。
中津で見るべきものをあらかた見た気になっていたが。
歴史民俗資料館も黒田官兵衛資料館も見ていないし、汐湯で入浴もしていない。
思えば鱧も中津からあげも食べていない。
これはまた来ないといけないかも…。
そう思いつつ、チェックアウトするためホテルへと戻った。
[旅行日:2016年4月11日]