南海難波駅に着いた時、既に陽は天頂から西へと傾いていた。
何か食べようかなぁと思ったものの、今は次の目的地へ行くのが先決。
地下街へ降りて御堂筋線に乗車し、凡そ3分ほどで本町駅に到着した。
直線距離にして約2km、歩いても30分ほどだろうか。
行政上の地名は本町だが、一般には広く「船場[せんば]」の名で知られている。
豊臣秀吉が大阪城を築城した折、家臣団をはじめ大勢の武士が大阪に移住してきた。
武器や武具、食料、生活用品といった物資の需要が必然的に拡大することとなる。
そこで秀吉は伏見や堺の商人を強制的に集め、商業地を人工的に形成した。
これが船場の始まりと伝わっている。
その後、周辺には船宿や料亭、両替商、呉服店、金物屋などが次々と誕生。
江戸時代は「天下の台所」として日本経済の中枢たる役割を担い、機能していた。
その折に形成された船場の都市基盤は現代まで受け継がれている。
例えば繊維街の本町、金融街の北浜、製薬会社の多い道修[どしょう]町などがそうだ。
駅から地上へ上がろうとすると通路が地下街へと続いている。
興味が湧いたので先へ進んでみると、そこにあったのは「船場センタービル」の表示。
市中心部のド真ん中を東西に貫く阪神高速の高架下に、1kmにも渡って連なるショッピングモールだった。
オープンしたのは、なんと大阪万博が開催された昭和45(1970)年。
既に40年以上も経過しており、やはり経年劣化は否めない。
船場センタービルは1号館から10号館まで分かれている。
ざっくり説明すると1~3号館はインポートマート中心の街。
4~9号館は繊維の卸問屋街、10号館は商店街といった構成。
また2~4号館と9~10号館の地下には飲食店が軒を連ねている。
市中心部の地下に長大なレストラン街が潜んでいるわけだ。
[旅行日:2014年3月19日]