JR大阪駅から大阪環状線に乗る。
大阪環状線は低い家並みや中低層の小さなビルが立ち並ぶ市街地の狭間を走る。
同じ“環状線”である東京の山手線と比較しても、車窓の風景はローカル色が濃い。
そんな電車に揺られること約12分、森ノ宮駅に到着した。
駅を出ると、まだ6月だというのに真夏のような暑さが身体に纏わりついてくる。
目の前を通る阪神高速道の高架下を西に向かって歩くこと数分。
白いフェンスが延々と続く一角が眼前に現れた。
この大阪城を間近に望む絶好の場所に、平成9(1997)年まで野球場があった。
日本生命野球場、略して“日生球場”。
大阪におけるアマチュア野球の“聖地”にして、近鉄バファローズが長きに亘り本拠地を置いていたスタジアムである。
その名の通り、日生球場は日本生命が自社の野球部用に戦後間もなく建造した球場。
このため戦後しばらくはアマチュア野球専用として使われていた。
しかし地理的に絶好の場所にあるこの球場を、プロが見逃すはずもなく。
郊外の藤井寺市に本拠地を置いていた近鉄球団が日本生命に対し、ナイター設備の設置を条件に球場の使用を提案。
これを日本生命も了承し、近鉄は本拠地を藤井寺球場に置いたまま昭和34(1959)年から日生球場を実質的な本拠地球場として試合を主催していく。
格好の位置に歩道橋が立っていたので、そこに登ってフェンス内部の様子を見てみる。
敷地は新たな主となる施設の建設に向けて地割りされ、球場だった頃の面影はすっかり失われていた。
フェンスの中では大勢の作業員が忙しそうに動き回っている。
巨大なクレーンが立ち並び、重機が唸りを上げ、地面に掘られた穴にはコンクリートがドクドクと注ぎ込まれている。
ここにプロ野球チームが興業を打っていたスタジアムの存在した記憶など、既に歴史の彼方へ埋没しているかのようだ。
歩道橋を降り、フェンス沿いに球場跡を一周してみる。
歩道橋のある場所は昔、ちょうどメインスタンドがあった場所の前に位置している。
そこから一塁側スタンドから右翼スタンドの方面へ向かって歩いてみる。
周囲は小規模な雑居ビルや個人商店、マンションなどが立て込んでいる。
あまり都心にいることを感じさせない、下町っぽい雑然とした雰囲気の中に球場はあったわけだ。
[旅行日:2014年6月23日]