③西宮編

キャッスル&ボールパーク③西宮編 一

日曜日の早朝、広島は弱い雨がシトシト降り続いていた。

中国地方最大の繁華街、流川の裏町には土曜の夜が続いているかのような繁華の名残りが漂っている。

そんな裏通りをクネクネと通り抜け、広島バスセンターへ。

8時5分、神戸三宮行き高速バス「神戸エクスプレス」は広島を後にした。

4人掛けの座席は窓際が埋まっている程度の乗車率。

広島から新神戸まで新幹線を利用すれば運賃は2倍近くかかる。

だが時間は4分の1程度で済むため、コスパは新幹線のほうが圧倒的に高い。

西宮11甲子園R01

10時ごろ、山陽道吉備サービスエリアで休憩。

岡山のこだわりファーム安富牧場製しおアイスと、丹波の黒々茶を購入する。

新幹線ならとっくに新神戸へ着いている時間だが、車内で安富牧場のアイスクリームは買えまい。

12時5分、神戸エクスプレスは三ノ宮バスターミナルに到着した。

幸い神戸に雨は降っておらず、これなら野球の試合に影響なさそうだ。

JR線の高架下にある三ノ宮バスターミナルから、少し離れたところにある阪神電車の神戸三宮駅へ歩く。

日曜日のお昼だけに駅近辺には人通りがあってもいいような気もするが、思ったほど人影がない。

神戸三宮から特急に乗って20分弱、阪神甲子園駅に到着した。

西宮12甲子園R02

今日もまたセ・パ交流戦「東北楽天ゴールデンイーグルス対阪神タイガース」を観戦しに来たという次第。

まだ試合開始まで1時間以上あるのに、既に駅前は黒山の…というか黒と黄色の人だかり。

駅前から球場へ向かう通路の右側に古びたお土産屋さんや食堂が並び、この日も大勢のお客さんでごった返していた。

昔からある一角で建物の規模そのものは変わらないのだが、外装や品揃えは年々パワーアップしている感じがする。

阪神高速の下をくぐり、阪神甲子園球場の正門前に出た。

西宮13甲子園R04

「阪神甲子園球場」という看板の上に「90」という数字があしらわれている。

甲子園球場が開場したのは大正13(1924)年8月1日のこと。

それから今(2014)年で90周年というわけだ。

日曜のデイゲームということもあって、大人数の観客が次から次へと押し寄せて来る。

まさに“日本一の大スタジアム”の面目躍如といったところ。

まだ試合開始まで時間があるので、スタジアムの外周を反時計回りに一周してみる。

[旅行日:2014年6月22日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 二

球場を取り巻いている阪神ファンの方々は既に出来上がっている感じ。

いつ試合が始まっても準備万端ってところだろうか。

ヤフオク!ドームを除く他のフランチャイズ10球場すべてで観戦したことがあるが、甲子園に集うファンの質は、どの球場とも異なる。

裾まで届こうかというダランとした法被を着、頭に被るキャップには球団旗の小旗を立て、馬鹿でかいメガホンを手にしてのし歩くファンの姿は、野球観戦というより宗教施設に集う信者という趣だ。

阪神ファンにとって甲子園球場とは単なる野球場ではなく、巨大な祝祭場なのだろう。

西宮21

ちょうど半周し、スコアボードの裏側付近まで来た。

ここに「野球塔」というオベリスクのようなものが立っている。

これはタイガースとは関係なく、高校野球を記念して立てられたものだ。

初代は昭和9(1934)年に行われた第20回全国中等学校優勝野球大会を記念し、朝日新聞が建立。

しかし太平洋戦争の空襲により跡形もなくなってしまった。

二代目は昭和33(1958)年に行われた第30回選抜高等学校野球大会を記念し、毎日新聞が建立。

しかし老朽化により、甲子園球場のリニューアル工事とともに平成18(2006)年に撤去。

そして現在の三代目は平成20(2008)年、春と夏の高校野球大会がそれぞれ80回と90回という節目を迎えたことを記念したもの。

高野連と朝日新聞、毎日新聞の三者により、リニューアル工事の完了に合わせて平成22(2010)年3月に落成した。

真下まで行って野球塔を見上げてみる。

やはり塔というよりもオベリスク、どこか宗教的建造物っぽさが伺える。

西宮22甲子園K04

野球塔のすぐ近く、レフトスタンドの下に「甲子園歴史館」がある。

ここには甲子園球場、高校野球、タイガースの歴史が一堂に展示されているという。

だが、下手に入ってしまうとと試合開始に間に合わなくなる可能性があるので、ここはスルー。

歴史館の隣にあるタイガースショップも人で溢れている。

ちなみにタイガースショップは東京にもある。

それも地下鉄銀座線外苑前駅と神宮球場を結ぶ神宮スタジアム通りのド真ん中。

東京ヤクルトスワローズの“本丸”の目と鼻の先に、まさに出丸を築いたようなものか。

ただ、神宮球場も阪神戦だとタイガースの本拠地みたいな様相を呈するので、あまり違和感ないのだが。

しかも最近になってヤクルトも後を追うかのように、タイガースショップの近くにオフィシャルショップを出店。

おしゃれタウン青山で勃発した虎と燕の代理戦争。

ヤクルトも甲子園の近くにオフィシャルショップを出店して決着を付ければいいのだろうけど、需要が見込めないのは何となく分かる。

西宮23甲子園K05

[旅行日:2014年6月22日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 三

そろそろ試合開始時間が迫ってきたので、スタンドの中へ。

既に客席は7割方埋まっており、まだまだ試合は始まらないのに、この気合の入りようたるや。

西宮31甲子園K06

席は3塁側アルプススタンドの、フィールドに近い場所。

本来3塁側は楽天サイドなのだが、ほとんどがタイガースファンで占められ、その中に楽天ファンの紅いユニフォームがポツリポツリと散見される程度だ。

隣席は熱狂的なタイガースファンの一家。

黄色いレプリカユニフォームを着た若い父ちゃんを筆頭に母ちゃん、小さな子供が2人、それに爺ちゃんという構成。

父ちゃんは既に出来上がっていてエキサイトしているが、子供たちはそれほど熱狂的でもなさそうだ。

西宮32甲子園R08

各ポジションでタイガースガールズが小さな子供たちと一緒に、選手たちが守備位置に就くのを待つ。

始球式はWBC世界バンタム級チャンピオン山中慎介。

ワンバウンドでの投球でも場内は拍手喝采の嵐。

というわけで、いよいよプレイボール!

ところが…阪神の先発能見が大乱調。

隣の父ちゃんも最初こそ普通に応援していたが、能見の不甲斐ない投球に立腹したのか次第に“叱咤激励”という名の野次を飛ばしまくるように。

5回終了までに5対0と阪神が劣勢。だんだん場内の雰囲気が険悪に…。

隣の父ちゃんも怒りがマックスに達したのか、細身のメガホンで子供の頭を小突いたりしている。

メガホンは、そんなんするためにあるわけちゃうで!

6回裏ようやく1点を返し、7回表終了時で4点のリードを許している阪神。

勝利を信じて360度あまねく方向から無数のジェット風船が打ち上げられるが…結局5対1のまま阪神は敗戦と相成った。

終盤、雨が落ちてきたので最後まで見ずに席を立ったため、どのような形で隣の熱狂タイガース一家が敗戦を迎えたのかは、知らない。

ただ、今回の観戦には少し物足りなさが残る。

いつか高校野球を観戦しに、甲子園歴史館とセットで訪れてみようか。

西宮33甲子園R13

その夜は梅田まで戻り、大阪駅近くのホテルに宿泊。

それにしても久しぶりに来た大阪駅は、まるで別の駅のようだ。

[旅行日:2014年6月22日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 四

西宮41大阪駅3

梅田の地下街をブラブラ歩いていると一軒のおでん屋を見かけた。

暖簾に大きく「たこ梅」と染め抜かれている。

道頓堀にある「たこ梅」の本店は弘化元(1844)年創業という170年もの歴史を持つ老舗。

正確には「おでん屋」ではなく「関東煮(かんとだき)屋」と言うべきか。

関東の「おでん」は関西で「関東煮」と呼ばれる…よくこう言われる。

だが、おでんと 関東煮は似ていて非なる料理ではないかという気がする。

「たこ梅」に行ったことはなかったが、その名は聞いたことがあり、これ幸いとばかりに入ってみた。

西宮42大阪駅2

梅田地下街に支店が3店舗あり、ここはホワイティうめだの地下にある東店。

もうすぐラストオーダーの時間でタネも尽きかけている。

1500円の晩酌セットを注文し、タネは有り物から適当に見繕ってもらった。

ドリンクはビールと日本酒から選べるが、ここは燗をつけてもらう。

目の前に錫製のコップがスッと出てきた。

コップといっても10センチほどの高さがある円筒状のもの。

内側は漏斗のような形状をしていて、外側との間が空洞になっており、酒が冷めるのを防ぐ構造になっている。

手に持つとズシリと重く、それでいて掌にシックリとくる。

まず、突き出しの小鉢と、たこ梅の代名詞ともいえるたこの甘露煮が一串。

たこは柔らかく、そのほんのりとした味わいが日本酒と絶妙に絡み合う。

続いて関東煮が皿に盛られて出てきた。

玉子、大根、蒟蒻、それにひろうすの4品。

ひろうすとは、おでんでいうところのがんもどき。

まずは大根を箸でサクッと割り、口に運ぶ。

苦味のない大根に出汁が染みわたり、うっすらとした甘みが口腔いっぱいに広がる。

味わいは思った以上に濃い目だ。

よく関東は濃い味、関西は薄味といわれるが、濃さだけなら東京のおでん屋とさほど変わらないようにも思える。

それぞれのタネに箸をつけたところで酒が尽きたので、もう一杯追加で注文。

皿の上からネタが消え、グラスの中から酒が尽きたちょうどその頃、閉店時間に。

今度はもっと早い時間に来て名物の鯨料理、例えばさえずり (ひげ鯨の舌)、ころ(皮)、すじ肉などを味わってみたい。

いや、次に行くのならここではなく、道頓堀の本店にしよう。

そんなことを思いながら、たこ梅の東店を後にした。

西宮43大阪駅2

[旅行日:2014年6月22日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 五

翌朝、阪急梅田駅から特急列車に乗車する。

頭端式ホームにマルーンカラーの電車がズラリと並んでいる様は、まさに阪急そのもの。

車内は大学生、特に女子大生が目立つ。

両隣も、向かいの席も、目の前に立っているコも、みんな女子大生っぽい感じだ。

西宮51西宮R02

梅田から10分余りで西宮北口駅に到着。

女子大生の皆さんもゾロゾロ降車していく。

たぶん隣駅にある関西学院大学か神戸女学院の学生さんたちだろう。

後ろを付いて行きたいところではあるが、ここはグッと我慢(?)

南口方面の出口から伸びるペデストリアンデッキを歩くこと5分ほど。

そこには巨大な複合商業施設「阪急西宮ガーデンズ」がある。

敷地面積7万平方メートルにも及ぶ西日本最大級のショッピングモール。

阪急百貨店、スーパーイズミヤ、TOHOシネマズをはじめ、大小様々な店舗が軒を連ねている。

その中へ入る前、道を挟んだ向かい側にある広場へ足を運ぶ。

西宮52西宮R04

ここには「西宮北口ものがたり」という3つの逸話が紹介されている。

一つ目は「高畑町遺跡」。

西宮市で初めて出土した奈良時代の遺構について解説している。

二つ目は「阪急西宮球場」。

西宮ガーデンズが2008年にオープンする以前、ここに聳立していた阪急西宮スタジアム、通称「西宮球場」を紹介。

今回ここを訪れた目的は、西宮球場の痕跡をたどることにある。

三つ目は「ダイヤモンドクロス」。

かつて神戸本線と今津線は西宮北口駅構内で線路が平面で交差していた。

「ダイヤモンドクロス」とは、この平面軌道交差のことをいう。

西宮53西宮R06

鉄道の平面軌道交差はダイヤを組む上で非常に厄介な存在。

全国の高速鉄道でも唯一ここにしかなかったものだ。

それゆえ西宮北口駅名物として、鉄道ファンのみならず西宮市民にも愛されていたという。

西宮球場とダイヤモンドクロスは西宮北口駅のランドマークだったわけだ。

しかし1970年代から80年代にかけ、旅客輸送量が年々激増。

そんな状況下でダイヤモンドクロスは安全保安上のネックとなり、昭和59(1984)年に撤去された。

このため阪急今津線は西宮北口駅で南北に分断されることになったが、おかげで神戸本線のホームを延伸することができ、輸送力の増強に成功。

神戸本線は高架化されたが今津線の線路は今なお地上を通っている。

撤去されたダイヤモンドクロスの一部をここに埋め込み、保存しているわけだ。

[旅行日:2014年6月23日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 六

西宮ガーデンズの建物へ入る前に、阪急百貨店の南側出入口にある南駐車場へ。

その側壁に設えられた植え込みの中に、二つの記念物がある。

ひとつは「ブレーブスこども会記念碑」。

西宮61西宮R09

西宮球場が存在した時代から敷地内に立っていたもの。

球場解体の際に撤去されたが、西宮ガーデンズ建設に際して再び戻ってきた。

もうひとつは「ブレーブス後援会記念樹」。

記念碑には「愛する阪急ブレーブスと野球への思いをこめてバットの木アオダモを寄贈します。」と記されている。

目立たない場所ではあるが、こうして歴史的記念物を保存してあるところに阪急の律儀さを感じる。

次に西宮ガーデンズの中へ。まだ6月だというのに非常に暑い外気に比べて建物の内部は涼しく、まさに天国。

フェスティバルガーデンにあるエレベーターで5階へ登り、TOHOシネマズ西宮OSへ。

西宮63西宮R12

その隣にあるのが「阪急西宮ギャラリー」。

西宮球場や阪急ブレーブスだけでなく、阪急電鉄や阪急百貨店の歩みに関する資料が展示されている。

中央の入口を入ると、ギャラリーは左右のエリアに分かれる。

右側エリアへは主に阪急百貨店など阪急グループに関する内容が展示されている。

鉄道系百貨店の草分け阪急百貨店も、創業時の阪急マーケット時代は店員が元鉄道マンの素人ばかりだったとか。

左側エリアの中央には1983年当時の西宮北口駅周辺を再現した1/150のジオラマがドーンと鎮座。

もちろん駅構内のダイヤモンドクロスも再現されている。

西宮62西宮R13

阪急ブレーブスの本拠地として長きにわたり務めを果たしてきた西宮球場。

その模型は手が込んでいて当時の雰囲気を彷彿とさせてくれる。

1983年当時のパ・リーグといえば暗黒時代もいいところで、観客数は絶望的な少なさ。

しかも西宮球場では競輪も開催されていたため、スタジアム周辺は一種「男の世界」的な荒んだ雰囲気が横溢していた。

1989年、阪急電鉄はブレーブスをオリックスに売却。

1991年には本拠地をグリーンスタジアム神戸に移転し、西宮球場は「空き家」に。

2002年には競輪の開催も廃止され、スタジアムの建物は解体されることが決定。

そして現在、西日本最大級のショッピングモールとして賑わいを見せているわけだ。

ジオラマの隣にはガラスケースの中に、いにしえのユニフォームや日本シリーズで優勝した時のペナントやトロフィーなど、ブレーブスの栄光を象徴する品々の数々が所狭しと陳列されている。

特に黄金時代を築いた"花の44年組"山田久志、福本豊、加藤英司の3選手については、個人所蔵のバットやトロフィーを借り受けて展示するという熱の入れよう。

今でも福本氏や加藤氏は阪神戦やオリックス戦のメディア中継で解説を務め、そのトボけた味わいが話題になったりする。

今の姿しか知らない若い人たちには、どれだけ両者が偉大な選手だったか知ることのできる稀少な場所だ。

西宮71西宮R15

[旅行日:2014年6月23日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 七

西宮72西宮R17

ギャラリーには野球だけでなく、鉄道やイベントなどの資料も展示されている。

ガラスケースの中には昭和9(1934)年に梅田/神戸間25分特急運転を実現したことを誇示するレトロなポスター。

その手前には特急運転に投入された920型車両の1/20スケール模型が展示されている。

その右には昭和25(1950)年に西宮球場近辺で開催された「アメリカ博」のポスター。

手前にはアメリカ博の宣伝用に塗装された800型車両の1/20スケール模型の姿が。

西宮73西宮K07

左側エリアから右側エリアへ移動すると、その真中に“野球殿堂”こと野球体育博物館(東京ドーム内)に掲げられているレリーフのうち、阪急ブレーブスに貢献した13人のレプリカが掲げられている。

先出の福本、山田両選手のほか、阪急黄金期の礎を築いた西本幸雄監督、1975~77年に日本シリーズ3連覇を達成した上田利治監督らの肖像が印象的。

その中でもとりわけ偉大なのは大阪急を築いた不世出の経済人、小林一三翁その人だろう。

西宮74西宮R14

もちろん野球競技者としてではなく、プロ野球の発展そのものに貢献した特別表彰での栄誉だが。

西本監督は昭和40年代、西暦にすると1965~74年の辺り、阪急を何度もパ・リーグで優勝させた名将。

だが、天下は川上哲治監督率いる読売巨人軍が日本シリーズ連覇街道を驀進していた∨9時代。

西本阪急はパ・リーグで昭和42~44(1967~69)年に3連覇、昭和46~47(1971~72)年に2連覇と計5回優勝している。

ところが日本シリーズでは5回とも巨人相手に苦杯を舐めさせられた。

西本監督は昭和48(1973)年に阪急を退団し、翌年から近鉄バファローズの監督に就任した。

西宮75

[旅行日:2014年6月23日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 八

その後を受けたのは上田利治ヘッドコーチ。

上田阪急が初めて日本シリーズに出場したのは昭和50(1975)年、相手は初出場の広島東洋カープ。

広島は上田の古巣で、根本陸夫監督(当時)と衝突した挙句に退団した“因縁”の相手でもある。

ちなみに宿敵巨人は監督が川上から長嶋茂雄に代わった1年目で、球団史上初の最下位に沈んだ年でもある。

この年、阪急は広島に1勝も許さず、4勝2分で初の日本一に輝いた。

西宮81

上田阪急は昭和53(1978)年までパ・リーグを4年連続で制覇。

しかも昭和51~52年の日本シリーズは長嶋巨人相手に2連覇を達成し、かつて何度立ち向かっても歯が立たなかった恥辱をようやく濯ぐことができた。

昭和53年の日本シリーズは、これまたセ・リーグで初優勝した広岡達朗監督率いるヤクルトスワローズが相手。

上田阪急が戦った4度の日本シリーズの対戦相手は2回が巨人、2回が初出場のチームだったことになる。

ちなみにこの年の日本シリーズ、セ・リーグ側の球場はヤクルトの本拠地神宮ではなく、後楽園を間借りして行われた。

当時の神宮球場はプロ野球より東京六大学野球のスケジュールが優先。

平日の昼間に開催される日本シリーズは大学野球の試合とバッティングしたため、プロのほうが身を引かざるを得なかったのだ。

第7戦、ヤクルト大杉勝男選手が放ったレフトポール際のホームラン判定を巡って上田監督が1時間19分にも及ぶ猛抗議。

結局このゲームを落とした阪急が3勝4敗で惜敗し、上田阪急が初めて一敗地に塗れた日本シリーズとなった。

西宮82

上田監督は猛抗議の責任を取って勇退するも、3年後の昭和56(1981)年に再び復帰。

その後、球団がオリックスに譲渡された後の平成2(1990)まで10年間にわたって監督を務めた。

その間パ・リーグで優勝したのは昭和59(1984)年の1度きりだが、一方で2位が5度もあり決して弱いチームではない。

1980年代は西武ライオンズの黄金時代で、その牙城を阪急が切り崩すことができなかっただけの話である。

ただ、予算をかけて戦力を補強しても2位止まりなうえ、観客動員数が激増するわけでもない。

阪急電鉄がブレーブスを手放そうと判断しても不思議ではなかったように思える。

昭和59年、上田阪急が日本シリーズで最後に戦った相手もまた、広島カープだった。

上田監督と広島の古葉竹識監督は同学年で、しかも広島時代のチームメイトと、なかなか因縁めいたものがある。

結局この年の日本シリーズは広島が4勝3敗で阪急を下し、古葉監督が昭和50年の雪辱を果たすことに。

平成3(1991)年、本拠地が西宮球場からグリーンスタジアム神戸に移転し、チーム名もブレーブスからブルーウェーブに代わったのを機に、上田監督はオリックスから身を引く。

その後、日本ハムファイターズの監督に就任するが、日本シリーズはおろかパ・リーグで優勝することもなく。

21世紀を目前に控えた1999年のオフを以ってプロ野球の現場から身を引いている。

西宮83

[旅行日:2014年6月23日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 九

西宮91西宮K09

ジオラマとガラスケースの更に奥、突き当りの壁一面には阪急電鉄の歴史を記した年表が掲げられている。

阪急電鉄の歴史を遡ると、ざっとこんな感じ。

明治43(1910)年1月15日に前身の箕面有馬電気軌道が宝塚本線と箕面支線を開業。

大正7(1918)年に阪神急行電鉄と改称。

戦時中の昭和18(1943)年、国策で京阪電鉄と合併し京阪神急行電鉄へ改称。

同48(1973)年に現社名の阪急電鉄に改称し、現在に至る、と。

同24(1949)年に京阪電鉄を分離しているにもかかわらず、京阪神急行電鉄という社名を四半世紀近く使い続けてきたところが面白い。

西宮92西宮K09

年表の横には阪急グループの歴史を映像で紹介する装置が設置されている。

特に「プロ野球の誕生」や「初の日本一」「高知キャンプ」といったブレーブス関係の歴史映像が興味深い。

阪急ブレーブスの歴史は昭和10(1935)年、小林一三翁が職業野球団の結成と、専用野球場の建設を指示したところから始まる。

ライバル会社の阪神電鉄にも球団設立の動きがあり、これに対抗する意味合いもあった。

翌11年、大阪阪急野球協会が誕生し、全7球団で日本職業野球連盟が設立された。

阪急軍以外の球団は東京巨人軍、大阪タイガース、名古屋軍、セネタース、大東京、名古屋金鯱(きんこ)軍。

翌12年には阪急西宮球場が完成。

設計にあたってはMLBシカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールドと同クリーブランド・インディアンスの本拠地ミュニシパル・スタジアムを参考にしたそうだ。

第二次世界大戦後の昭和22(1947)年、阪急軍はベアーズと改称し、再開したプロ野球リーグに参戦。

しかし、なかなか勝てなかったのでチーム名を公募してブレーブスに変更、ここに阪急ブレーブスが誕生した。

西宮93西宮K04

昭和25(1950)年に日本野球連盟はセントラルとパシフィックの2リーグに分裂。

ブレーブスは同じ在阪私鉄を親会社に持つ近鉄バファローズ、南海ホークスとともにパ・リーグに所属することとなった。

とはいえ1950年代は南海と西鉄ライオンズの“2強時代”であり、ブレーブスは長らく優勝とは無縁のシーズンを繰り返していた。

転機となったのは昭和38(1963)年、西本幸雄の監督就任だった。

その後ブレーブスが迎えた黄金時代については、野球殿堂のレリーフのところで詳述している。

[旅行日:2014年6月23日]

キャッスル&ボールパーク③西宮編 十

西宮101西宮R16

映像装置にはブレーブス関係以外の資料も閲覧できる。

例えば「箕面有馬電気軌道創業」からたどる阪急電鉄関係の歴史。

西宮球場で開催されていた西宮競輪やアメフト「阪急西宮ボウル」などのイベントも。

出色なのは西宮球場で行われた「宝塚歌劇大運動会」の映像。

大運動会は10年に1度、歌劇団創設を記念して開催される。

ここでの映像には80周年とあるから、1994年に開催された大会か。

なお西宮球場の解体後は大坂城ホールに会場を移転。

ちなみに今2014年は創立100周年に当たるので、10月7日に開催されるそうだ。

西宮102西宮R19

西宮ギャラリーを後にして、屋上庭園「スカイガーデン」へ。

家族連れが憩い、小さな子供たちの歓声が響き渡っている。

オッサン共の野次や怒声から子供たちの歓声へ…どちらが好ましいかは人それぞれだろうけど。

設置されているスタンドは、どこか野球場を彷彿とさせる。

それもそのはず、西宮球場のスタンドをイメージして設計されているのだ。

スカイガーデン内にあるイベントガーデンの「緑の観覧席」は、まさに野球場のスタンド。

その左端下部の地面にはホームベースがあしらわれている。

かつて西宮球場でホームベースがあった場所を今に伝えているのだ。

阪急電鉄にとって西宮球場と阪急ブレーブスが、いかに大切な存在だったかアピールしているかのよう。

既に“阪急ブレーブス”の名は過去のものではあるが、その遺産は今もここに息づいている。

西宮103西宮R20

[旅行日:2014年6月23日]
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