伊賀國一之宮「敢國神社」

一巡せしもの[敢國神社]01

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鳥羽駅から近鉄線を乗り継ぎ、伊賀神戸駅まで来た。

ここは近鉄大阪線と伊賀鉄道のジャンクション。

ここで乗り換え、終点の伊賀上野駅へ向かう。

以前は伊賀線という近鉄の路線だったが、平成19(2007)年に経営分離され伊賀鉄道として独立した。

もし今も近鉄線のままだったら「近鉄週末フリーパス」を使えたのだが。

伊賀の里は小雪がちらついている。

朝方、志摩の海は真っ青に晴れ渡って暑いぐらいだったのに。

一口に三重県と言っても、海沿いと山中では全く別の国のようだ。

伊賀神戸からは「伊賀鉄道一日フリー乗車券」を利用する。

大人700円で1日乗り放題。

伊賀上野との間を往復すると普通運賃で800円(片道400円)なので100円安い。

ホームへ行くと屋根裏にも忍者が潜んでいた。

電車に乗ろうとすると今度は車体全体に忍者のイラストがラッピングされている。

さすが忍者の故郷だけあると妙に感心。

伊賀神戸を出発した二両編成の電車は、薄い雪雲に覆われた伊賀路をトコトコ走る。

途中の上野市駅で乗り換え、乗車時間約35分、伊賀上野駅に到着した。

[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[敢國神社]02

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ここはJR関西本線との接続駅。

乗り換えて隣の佐那具駅へ着いた頃は既に陽が傾き、辺りは薄暗くなっていた。

ここから敢國神社まで徒歩で約30分。

陽が暮れないうちにたどりつけるといいのだが。

駅前に出て左側へ道なりに進むと幅広の川が横たわっている。柘植川という名の川だ。

古びた石造りの小さな橋を渡った先には、味わい深い通りが古びた街を貫いている。

大和街道(県道676号線)、東海道五十三次の関宿で東海道から分かれ、加太峠を越え伊賀を抜けて奈良へと向かう街道だ。

大和諸国の大名たちも参勤交代に使ったというこの大和街道では、今も往時の脇本陣がこんにゃく料理店を営んでいる。

大和街道を西に向かって急ぐ。

日没が近づいているせいか、まだ16時過ぎぐらいなのに薄暗い。

たまに車が通り過ぎるだけで、歩いている人影は見当たらない。

今宵はクリスマス・イブ。皆さん家々でツリーの飾りつけに勤しんでいるのかも知れない。

大和街道(国道25号線)を超え、千歳という古い町を抜ける。

造り酒屋や古刹があり、なかなか風情のある町並みだ。
 
[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[敢國神社]03

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千歳の街中を縫う細い道を抜けると、交差点に「敢國神社」の案内看板を発見。

日没までに何とか間に合うのか? その微妙な加減に胸がザワつく。

敢國神社の創建は斉明天皇4年、紀元658年と伝わっている。

主祭神は大彦命(おおひこのみこと)。

配神は少彦名命(すくなひこなのみこと)と金山比咩命(かなやまひめのみこと)。

当初は大彦命と少彦名命の二神のみで創建されたとある。

時代が下って中世に入ると、今度は少彦名命と金山比咩命だけが祀られるようになった。

その後、明治時代に入ってから大彦命が主祭神に返り咲き、そのまま現在に至っている。

このように敢國神社の祭神については歴史上の推移と相まって色々と変遷しているようである。

気がつけば、とうに陽は西に傾き、すぐにでも地平線の果てへと沈みそう。

交差点を過ぎて細い道を歩いていると、左側から巨大な自動車専用道路が寄り添ってきた。

この名阪国道(国道25号線バイパス)に沿って歩くうち県道と合流。

名阪国道のガード下をくぐって畑と住宅に挟まれた緩やかな勾配を登っていく。

佐那具駅から歩くこと丁度30分。ようやく敢國神社の門前に到着した。
 
[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[敢國神社]04

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だがしかし、既に日は西の地平線に没し、境内を歩くも真っ暗で何も見えない。

とはいえ、まだ時刻は午後5時前。周囲の暗さとのギャップに惑わされてはいけない。

社務所を覗いてみれば煌々と明かりが灯いている。

御朱印を賜るべく中に入ってみると、そこはまさに“戦場”だった。

来るべき新年を迎えるに当たり、氏子への賀状を用意したり、御札や御守りを準備したりと神職総出で大わらわ。

世間はイエス・キリストの誕生日を翌日に控え、ケーキにパクつきシャンメリーを喰らいプレゼントを交換している(はず)なのに。

だが、ここにはクリスマス・イブの“ク”の字もない…当然といえば当然だが。

社務所に入り中へ声を掛けたものの、皆さん仕事に集中していて気がつく素振りがない。

ならばと次は少し強目に声を掛けると、今度は皆さん“ハッ!”とした顔で一斉に振り返った。

その表情、なかなかお目にかかれるものではない。

御朱印を押してもらっている間、拝殿に参拝する。

だが、拝殿の中は真っ暗闇で何も見えない。げに夜の神社とは恐ろしいものだ。
 
[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[敢國神社]05

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主祭神の大彦命、又の名を敢國津神(あえのくにつかみ)は紀元350年頃、第八代孝元天皇の長子として誕生した。

第十代崇神天皇の詔により「四道(しどう)将軍」の一人として子の建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)と共に北陸・東海を征討。

その後、大彦命一族は伊賀国に移住し、阿拝(あえ)郡(現阿山郡)を拠点にしたので「阿拝氏」を名乗るように。

その後「敢」「阿閉」「阿部」「安倍」とも呼ばれるようになった。

「あえ」とは「あべ」の原音であり「あべ」姓の総祖神でもあるそうだ。

「アベノミクス」も歴史を遡れば敢國神社にたどり着くということか。

それにしても主祭神の大彦命に対して配神が少彦名命とは少し出来過ぎのような気もするが、別にシンメトリーを狙っているわけではない。

大昔、伊賀地方には渡来人一族である秦(はた)氏が住んでいた。

彼らが朝鮮半島から持ち込んだ先進技術によって伊賀組紐や伊賀焼などの伝統工芸品が生まれ、今でも伊賀地方の特産品として全国的に知られている。

秦氏の信仰していた神が少彦名命であり、往時は現在の南宮山山頂付近に祀ってあった。

それが敢國神社の創建時に南宮山から現在地へと遷座したという。

敢國神社は大彦命一族の末裔である阿拝氏と、渡来人の秦氏の“混血”による神と言えるだろう。
 
[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[敢國神社]06

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真っ暗な中、石段をソロっと下る。左右を見渡しても境内の構築物は何も見えない。

御朱印帳を受け取りつつ、多忙の中お手間を取らせたことを謝して境内を後にする。

来る時には気付かなかったが、入口の前にバス停を発見。

これは佐那具駅の隣にある新堂駅に近い伊賀支所と、伊賀鉄道上野市駅を結ぶ路線。

つまり乗り換え時に降車した上野市駅からバスで門前まで来ることができるというわけだ。

往路を巻き戻すように佐那具駅への道程を歩く。

来た時とは違い、とっぷりと陽も暮れ、街頭もない夜道は暗い。

空には雲が薄い膜を張り、月明かりが射すこともない。

ただ、もう日没を気にする必要もないので、薄闇の中にひっそりと佇む千歳の集落や大和街道沿いの街並みを堪能しつつ、ゆっくり歩きながら佐那具駅へ。

関西本線の中でも名古屋近郊の亀山駅以東と奈良近郊の加茂駅以西は電化されている。

しかし亀山駅と加茂駅の間は未だ非電化で“味噌っカス”の如く扱われている。

とはいえ、ここは駅は駅。

部活の練習を終えて帰宅する中高生を、次々と家族が車で迎えに来る。

その姿に敢國神社を参拝して良かったと、素直に思えた。
 
[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[敢國神社]07

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佐那具駅から隣の伊賀上野駅へ行き、伊賀鉄道に乗り換えて上野市駅で途中下車。

クリスマス・イブということもあってか、駅舎は電飾でピッカピカ!

上野市駅は忍者の里であり松尾芭蕉の生誕地でもある伊賀上野の根拠地。

その「日本の神秘」とも言うべき場所が、クリスマス・イブというだけで、こんなにギラギラになっているとは…。

もし外国人が見たら、その目には一体どんなふうに映るのだろうか?

いや、これはこれで“JAPANESE COOL”の一言で片付けられるのだろう。

伊賀神戸行の電車に乗り込み、車内にて(それにしても敢國神社には無礼なことをした)と改めて思う。

この旅は御朱印集めの“スタンプラリー”ではない。

各神社の境内に満ち満ちる神気を吸引し、神前で手を合わせ、頭を垂れ、祭神と“一体化”することが目的。

なのに“日没”というだけで目的意識が虚ろになり、迎春で慌しい敢國神社の皆さんの手を煩わせることになろうとは。

これは必ず再び訪れねばなるまい…その気持ちの強まり方は伊雑宮の比ではない。

東海道最後の一之宮敢國神社の参拝を終えたものの、どこかに“未遂”という無念の思いを抱えたまま、伊賀の国を後にした。
 
[旅行日:2012年12月24日]

一巡せしもの[敢國神社・続]01

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平成24(2012)年12月24日に訪れた伊賀国一之宮「敢國神社」。

しかし到着した頃には既に日は落ち、暗闇の中で何も見られず仕舞い。

それを悔いること1年余…こたび改めて敢國神社の再訪を決意した。

JR琵琶湖線草津駅に到着したのが13時ごろ。

草津線の次の電車は13時25分発。

30分弱の待ち時間は昼食を取るにも中途半端。

結局、草津では何も食べることなく5350M電車に乗り込む。

だが、この電車も途中の貴生川駅止まり。

それでも貴生川駅といえば近江鉄道や信楽高原鉄道との接続駅。

それなりに栄えているだろうと期待して出てみたら、特に何もない。

駅前から伸びる道を歩いて行くとラーメン屋とコンビニがあった。

しかし近場に飲食店が他に見当たらないせいか、結構ラーメン屋も混んでいる様子で入るのを躊躇する。

もう少し足を伸ばして広い通りまで出れば、ロードサイド店があるかも知れないが。

あまり駅から離れても次の電車に間に合わないようでは元も子もない。

結局ここでの食事は諦め、コンビニでおにぎりとお茶を買った。

[旅行日:2014年3月20日]

一巡せしもの[敢國神社・続]02

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貴生川駅へ戻り、下校する高校生たちと一緒に柘植行きの電車に乗る。

平日の昼下がりとあってか閑散とした車内で、コンビニのおにぎりをパクつく。

味気ないといえば味気ないが、普通電車の中で食べる今どきの“駅弁”なんて、こんなものだろう。

14時40分、到着した柘植駅で関西本線に乗り換え。

その僅か2分後に来た加茂駅行きディーゼルカーに乗り換え14時54分、佐那具駅に着いた。

前回の参詣から1年3ヶ月ぶりに訪れた佐那具の街。

柘植川の流れも石造りの古い橋も、何も変わらない。

橋を渡った先にある大和街道もまた、落ち着いた佇まいのまま。

ただ、前回は駆け足で通り過ぎただけに、今回は些細に鑑賞しながら歩く。

重厚な土塀、黒い板壁、虫籠窓のある軒下…切妻造の伝統家屋が何棟も連なっている。

国道25号線を越え、少し先で二手に分かれた道を左側へ進むと、稲田に囲まれた細い道を行くと千歳という集落に出る。

その中に、壁に「手造りの酒倉」と掲げたひときわ大きな木造建築が立っている。

地酒の蔵元、森喜酒造場。

看板銘柄「るみ子の酒」は漫画「夏子の酒」の作者尾瀬あきらが命名し、ラベルのイラストも手がけている。

[旅行日:2014年3月20日]

一巡せしもの[敢國神社・続]03

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しかし「るみ子の酒」は尾瀬氏絡みの話題より「探偵!ナイトスクープ」などのテレビ番組が「爆発する酒」として紹介したことで有名になった。

とはいえ「爆発する酒」は幾つか種類のある「るみ子の酒」の中でも「特別純米 活性濁り生原酒」だけで、あとは普通の清酒。

なお、他銘柄の「妙の華」「英-はなぶさ-」も含め、森喜酒造場では純米の酒しか醸造・販売していない。

森喜酒造所の酒倉を眺めつつ、敢国神社への道を急ぐ。

それにしても、田園に囲まれた小さな集落の一角に、純米酒だけを律儀に醸造し続ける小さな酒倉があるとは。

伊賀の国、さすがに懐が深いところだと感心する。

名阪国道(25号線)をくぐり、古寂びた道を往くうち、敢国神社の参道入口に到着。

前回訪れた時は既に日が暮れて薄暗闇だったので、実質的に初めて見る。

県道676号線を間に挟んで常夜灯が立ち、入口には真新しい社号標が聳立している。

参道の緩やかな坂道を登っていくと途中左手に摂社の市杵島姫社が鎮座。

池に浮かぶ小島の上に朱塗りの鳥居と社殿が鎮座し、背後を覆う森の緑と絶妙なカラーバランスを描いている。

崇敬者会館の横を通り過ぎると、その先に朱色の大鳥居が姿を見せた。

[旅行日:2014年3月20日]

一巡せしもの[敢國神社・続]04

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会館の手前に古い社号標が立っている。

「元国幣中社」と刻まれているから戦後に造られたものだろうか。

大鳥居は朱塗りの両部鳥居で、正面に掲げられている扁額は木製。

石造りの扁額はよく見かけるが、木製とは珍しい。

そういえば参道の入口に鳥居は立っていなかった。

摂社末社の鳥居は各々あるが、敢國神社そのものの鳥居はここだけらしい。

大鳥居をくぐると正面に石段があり、その上に拝殿が鎮座している。

大鳥居と石段の間はそれほど距離がなく、左に社務所、右に絵馬殿があり、社務所はそのまま崇敬者会館に続いている。

石段を登り拝殿の中を覗いてみると、正面中央には上段の祝詞殿へと続く階段があり、その奥に本殿が鎮座している。

階段入口の両脇には錦旗が吊り下げられ、上側には御祭神「少彦名命」「大彦命」「金山比咩命」の名を記した扁額が掲げられている。

拝殿から石段を降りて境内の右側へ回りこむと、御神水の井戸が祀られていた。

その右後ろには「桃太郎岩」が鎮座している。

今を遡ること550年前、前方に聳える南宮山頂から遷された岩という。

安産や子育て守護の霊石として篤く崇拝されているそうだ。
 
[旅行日:2014年3月20日]

一巡せしもの[敢國神社・続]05

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もともと少彦名命を祀る神社は南宮山山頂付近にあり、後に現在地へ遷宮したことは前回の参詣時に触れた。

斉明天皇4(658)年に敢國神社が現在地に創建され、南宮山頂から少彦名命が遷宮された後のこと。

南宮山頂にあった社殿の跡地に、新たに神社を創建することとなった。

しかし当時の有力者たちの間で、どの神様を祀るかについて喧々諤々の大論争が繰り広げられた。

結局、美濃国一之宮南宮大社の御祭神、金山比咩命(かなやまひめのみこと)を勧請することに。

「南宮山」という山の名前も、この南宮大社から来ているのではないか…と推測されているそうだ。

南宮山にあった金山比咩命が敢國神社の本殿に合祀されたのは、創建から319年後の貞元2(977)年との記録がある。

合祀については次のような神話が残っている。

ある日、金山比咩命を祀った社殿が轟音とともに激しく揺れ出した。

音と揺れが止まると社殿前に立っていた御神木の幹に、虫食いの跡が文字となって現れた。

そこに記されていたのは「與阿倍久爾神同殿」と言う8文字の漢字。

神学の素人にして漢文の浅学である自分が我流で読み下してみると。

「阿倍久爾神」とは「あへくにのかみ」…つまり敢國神社の主祭神、大彦命のことだろう。
 
[旅行日:2014年3月20日]

一巡せしもの[敢國神社・続]06

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伊賀国阿拝(あえ)郡を拠点にしていた大彦命一族が「阿拝」「敢」「阿閉」「阿部」「安倍」と呼ばれていたことも前回の参詣時に触れた。

「同殿」とは同じ神殿に、という意味か。

「與阿倍久爾神同殿」とは「大彦命と同じ神殿に与(くみ)せよ」。

つまり「大彦命と同じ神殿に祀ってくれ」と訴えたのだろう。

この神異に従い、さっそく金山比咩命の遷座合祀が執り行われた。

こうして敢國神社の祭神は大彦命、少彦名命、金山比咩命の三神になったという。

桃太郎岩の右手に裏側へと小径が伸び、その先に細い石段が続いている。

登っていくと社殿の左端に出た。菱格子の隙間から中を覗き本殿を見てみる。

それにしても、なぜ美濃国一之宮から金山比咩命を勧請したのだろうか?

伊賀国一帯には古代の製鉄遺跡が数多く遺っているという。

少彦名命は渡来人の秦氏が信仰していた神であり、伊賀の製鉄技術は秦氏が大陸から持ち込んだもの。

一方、金山比咩命は金山毘古命の后神とも妹神ともいわれている。

いずれも伊邪那美命(いざなみのみこと)の吐瀉物から生まれた、鉱山を司る神々。

製鉄が盛んだった伊賀地方の人々が鉱山の神、製鉄の神を勧請したのも自ずと理解できる。

[旅行日:2014年3月20日]

一巡せしもの[敢國神社・続]07

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ただ、なぜ男神の金山毘古命ではなく女神の金山比咩命だったのかは、よく分からない。

大彦命も少彦名命も男神だったので、バランスを取ったのだろうか。

石段を降りると、目の前に絵馬殿が立っている。

壁は上方と下方のみにあり、真ん中はポッカリと穴が空いている。

中に入ると上方に、昔のものらしき大きな絵馬が掲げられていた。

とはいえ、なぜか中には軽トラックが駐車している。

現在では駐車場として利用されているようだ。

再び石段を登って拝殿の前に立ち、今度は左側へと回り込み、横から拝殿と祝詞殿を眺める。

ガラスの格子戸と本殿を包み込む瑞垣の菱格子がコントラストを描き、いい感じに古寂びた木造建築と絶妙の美しさを醸し出す。

ここ伊賀国は忍者で有名だが、一方で芸能発祥の地でもある。

鎌倉時代に隆盛を迎えた能楽の始祖と伝わる観阿称は伊賀の出身。

能楽が武士階級の娯楽に発展した頃、獅子神楽が庶民階級に普及していった。

敢国神社に伝わる獅子神楽もまた、この時期に生まれたものと推測される。

敢国神社は伊賀上野城の鬼門を鎮護する守護神でもある。
 
[旅行日:2014年3月20日]

一巡せしもの[敢國神社・続]08

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獅子神楽は悪魔払獅子、厄除御獅子として奉奏されるのだ。

しかも現在、伊賀地方の各町で行われている獅子神楽の原型でもある。

さらには「伊勢大神楽」にも多大な影響を及ぼしたとも言われている。

伊勢大神楽とは獅子舞をしながら伊勢神宮の神札を配布して回った人々のこと。

ちなみに獅子神楽は三重県の無形民俗文化財に指定されている。

帰路は拝殿横から伸びる裏参道を伝って戻る。

拝殿の左隣には神様の台所たる神饌所、その左隣に神輿蔵。

その先には摂社末社がズラリと並んでいる。

若宮八幡宮、子授けの神、楠社、神明社、むすび社、大石社…ひとつひとつ眺めながら歩く。

小さな祠が多いが、むすび社や大石社のように専用の鳥居を構えているものもある。

表参道に摂社が市杵島姫社しかなかったことを思えば、実はこちらのほうが“表”の参道ではないかと錯覚してしまいそうだ。

裏参道も尽き、来訪時に見た真新しい社号標の前に出た。

敢国神社への再訪、どこか唐突に終わった感じだ。

佐那具駅へ、来た道を再び戻る。

空は曇っているが、雨粒が落ちてくるほどでもない。

伊賀一之宮インターチェンジ近くでは薄曇りの空を背景に、梅の木が花を咲かせている。

東海道諸国の一之宮巡礼、梅の花に見送られながら、ここ伊賀国にて幕を閉じた。
 
[旅行日:2014年3月20日]
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