伊勢國一之宮「都波岐奈加等神社」

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]01

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近鉄鈴鹿線を鈴鹿市駅で降りる。

近くに市役所があるので駅名は「鈴鹿市」と命名されたが、一帯の地名は「神戸(かんべ)」という。

駅から徒歩圏内に伊勢神戸城がある、いわば“城下町”。

しかも近くを旧伊勢街道が通る“宿場町”でもある。

祝日とあってかトラックなど商用車の姿もなく、駅近辺はヒッソリしている。

ただ、祝日だけが閑散としている理由でもなさそう。

駅ビルは結構な大きさなのだが、入居しているテナントで目立つのは進学塾ぐらい。

鉄道が歴史的な役割を終えて自動車社会に移行した現代。

昔からある古い町が時代の流れから取り残されてしまうのはやむを得ないところだろう。

駅前広場に出てバス停へ。

都波岐奈加等(つばきなかと)神社へは路線バスを使うと便利だ。

椿大神社を参拝するのに利用したC-BUSではなく、三重交通の路線バス四日市鈴鹿線。

鈴鹿市駅から乗車して高岡というバス停で下車し、10分ほど歩けば到着する。

だが、祝日のため生憎と都合の良いバスの便がない。

そこで天気もいいことだし、都波岐奈加等神社まで歩いてみることにした。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]02

rj02都波岐4T005

駅を出て鈴鹿線の線路を渡り、一本道を北へ向かう。

沿道には民家や商店、マンションなどが立ち並ぶ、ごく普通の市街地。

やがて県道635号線と合流し、さらに先へ進むと伊勢鉄道の線路に行き当たる。

ガードをくぐって線路の東側に出ると、そこはまるで別世界。

収穫を終えた田園が一面に広がり、遥か先には四日市のコンビナートだろうか、立ち並ぶ煙突が白煙を盛んに吐き出している。

伊勢鉄道の線路に沿って歩いていると、横を列車が通過して行った。

行き先に「名古屋」とあったから、鳥羽から来た快速「みえ」だろう。

広大な田園地帯という「第一次産業」。

巨大コンビナートという「第二次産業」。

そして伊勢鉄道という「第三次産業」。

ひとつのフレームの中に3次元の産業がバランスよく収まっている。

こんな風景、なかなか出会うことはない。

冬枯れた田圃の畦道を30分ほど歩いたろうか、次第に人家が増えてきた。

その中にある立派な木造の建物に目が止まった。

家屋ではなく農作物の倉庫として使われているようだ。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]03

rj03都波岐4T006

壁に一枚の看板が張り付けられている。

「終わりの日に人は神の前に立つ 聖書」

日本中あちこちで見かけるキリスト教の布教ボード。

この辺り一帯の地名は「鈴鹿市一ノ宮」という、伊勢国一之宮ありきの土地。

そこにキリスト教の看板があっても何ら違和感を覚えないのが逆に不思議。

尾張国一之宮大神神社のところでも書いたが、日本の神様は本当に寛大だ。

それにしてもキリスト教では終わりの日にしか神の前に立てないのだろうか?

日本なら神社に行けば毎日でも神の前に立つことができるのだが。

木造倉庫の横を通り過ぎると、目の前に小学校が現れた。

祝日にもかかわらず大勢の子供や父兄で賑わっている。

何かスポーツ関係のイベントが行われているらしい。

賑わいを眺めながら先へ向かうと県道506号線に行き当たる。

その近くに都波岐奈加等神社の巨大な案内板を発見した。

看板の矢印が示す方向を見ると、そこには立派な石灯籠が一対。

双方の間から奥へと伸びる細い道が参道なのだろう。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]04

rj04都波岐4T011

県道を渡り、さっそく細道の奥へ歩を進めた。

沿道は古い木造建築物と最近の住宅が混在する、ごく普通の住宅街。

ただ、結構な数にのぼる木造建築物のおかげで、どこか懐かしい匂いがする。

そのうち細道の突き当りに鳥居が姿を現し、ようやく都波岐奈加等神社に到着した。

ゆっくり歩いてきたせいか、鈴鹿市駅から2時間近くかかったろうか。

境内はこじんまりとしていて、どこか尾張大神神社と雰囲気が似ている。

門前に社号標が2つ並んで立っている。

右が「都波岐神社」、左が「奈加等神社」。

ここは一つの社殿の中に二社の祭神が相殿で鎮座する神社なのだ。

創建は雄略天皇23(479)年。

猿田彦大神八世の孫、伊勢国造高雄束命(たかおわけのみこと)が雄略天皇の勅を奉じて二社を造営。

それぞれ「都波岐神社」「奈加等神社」と称したのが始まり。

明治時代、両社が一つに統合されて「都波岐奈加等神社」となった

しかし一の鳥居の扁額には、なぜか「都波岐大明神」としか記されていない。

都波岐神社が奈加等神社を“吸収合併”したのだろうか?

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]05

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鳥居の左後ろには「歓迎 全国一之宮めぐり」の看板と掲示物。

「伊勢国一之宮」を前面に押し出して存在感をアピールしているようだ。

こちらで頒布しているのは御朱印帳とガイドブック、それに掛け軸。

ガイドブックは全国一の宮会が編纂した「全国一の宮めぐり」「旅する一の宮」と、たちばな出版の「全国の開運神社案内」の3種類。

「全国の~」は一般書籍なので書店で入手できるのだが、一の宮会の両ガイドブックは書店で流通しておらず、諸国一之宮の社頭でしか入手できない。

しかも必ずしも全ての一之宮で頒布しているわけでもなく、特に後者の「旅する一の宮」は、ある意味「稀覯本」である。

一の鳥居をくぐって参道を先に進む。

石灯籠、二の鳥居、そして奥にコンクリート製の拝殿。

ここは二神相殿なので、それぞれ別の御祭神が鎮座している。

「都波岐神社」の祭神は椿大神社と同じ猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)。

「奈加等神社」の祭神は天椹野命(あまのくののみこと)と中筒之男命(なかつつおのみこと)の二神。

天椹野命は饒速日命(にぎはやひのみこと)が天降った際に随伴した三十二神の一柱とのことだが、いまひとつ良く分からない。

もうひとつの神、中筒之男命は良く分かる。

攝津国一之宮住吉大社の祭神「住吉三神」の一柱だ。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]06

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ここ都波岐奈加等神社は小さな神社ながら宮司さんがいらっしゃる。

創立時に宣旨を受けて初代祭主を務めた天椹野命十五世の孫、中跡直(なかとのあたい)山部広幡の子孫が代々神主を継承している。

それで社号が「なかと」神社なのだろうか。

ちなみに当代の宮司は第五十八代に当たるそうだ。

創立から今に至るまでの間に起こった主な出来事を、由緒書から抜き出してみる。

天長年間(824~834)淳和天皇の御代、弘法大師が参篭して獅子頭二口を奉納。

承暦3(1079)年、白河天皇は神階正一位を授与し、宸筆(直筆)の勅額(扁額)を賜られた。

嘉慶2(1388)年、征夷大将軍“室町殿”足利義満が富士遊覧の帰途に参拝。

御幣を供え、社領を寄進したので、多くの武士が参詣に訪れたという。

だがしかし、好事魔多し。

永禄年間(1558~1570)、伊勢平定に進軍する織田信長の、神戸と高岡の2城攻略戦に巻き込まれて社殿を焼失。

白河天皇の勅額をはじめ古文書、記録類のほとんどが灰燼に帰した。

弘法大師奉納の獅子頭は他所へ避難しており、無事だったのは不幸中の幸い。

この獅子頭、社宝として今でも現存するそうだ。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]07

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寛永年間(1624~1645)、伊勢神戸城主一柳監物の寄進により再建を果たす。

江戸時代末期、常陸国一之宮鹿島神宮、肥後国一之宮阿蘇神社と並び、摂政鷹司家の執奏社として大宮司職が置かれた。

明治9(1876)年、木造瓦葺きの拝殿・祝詞殿が建立された。

ここまでは良かったのだが、太平洋戦争の後、社勢は著しく衰微してしまう。

そして平成9(1997)年3月24日早暁、不審火によって社殿を焼失。

翌10(1998)年10月10日、氏子の尽力で再建されたのが現在の社殿だ。

登場人物こそ違えども、歴史は概ね椿大神社と似通っているような気がするなぁ…。

真っ白な拝殿に向かって頭を垂れつつ、そんなことを思う。

境内では老人が一人、新年を迎えるための準備を黙々と続けている。

言うまでもなく五十八代目の宮司さんである。

しかし神職の装束ではなく普通のセーター姿なので、一見ボランティアかと見紛いそう。

その姿から、宮崎駿の映画「天空の城ラピュタ」で、代々ラピュタを守り続ける孤独なロボット兵を連想する。

見かけは「となりのトトロ」のトトロみたいだが。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]08

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それはさておき、最初は中跡直が祖先の天椹野命を祀った「なかと神社」があり、海に近いことから住吉の神様が合祀された。

そこへ修験道の拠点「行満大明神」から逃れて来た猿田彦大神が「つばき大明神」として鎮座。

こうした過程を経て今の「つばき」「なかと」神社に至ったのではなかろうか?

鳥居も拝殿も扁額は「都波岐大明神」だけなのに対し、宮司さんは代々「奈加等神社」の直系が務めることで、両社のバランスを保っている。

これらは何の根拠もない単なる妄想に過ぎないが、こうした事柄を考えているだけで楽しい。

宮司さんから社務所で御朱印を賜る

ちなみに初穂料は500円。

一般には300円が相場なので少々割高だ。

しかし都波岐と奈加等の二社分だと思えば100円ディスカウントされていることになり、逆にオトクではないか?

そう思ったので確認すると、二社分だとやはり初穂料も1000円になるそうだ。

神様を前にカネの話など無粋かと思うが、これも境内に横溢するインティメイトな雰囲気に包まれ、気が置けなくなったせいかも知れない。

「お茶と蜜柑どうぞ」

宮司さんが勧めてくれる。

茶菓の接待を受けたのは、ここが初めてだ。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]09

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椿大神社では松下幸之助が寄進した茶室「鈴松庵」を見かけた。

その“高貴(?)”な佇まいに気後れして立ち寄ることはなかったが。

猿田彦大神と経営の神様による“W神”茶も、ここでの紙コップのお茶も、尊さに変わりはない。

むしろ鈴松庵の一服800円という茶菓を喫しておけば具体的に比較できたかも…後悔とまではいかないが、少し思った

境内のベンチに腰掛け、蜜柑を剥きつつお茶を啜る。

風に煽られパタパタと音を立てる絵馬。
 
澄み切った青い空を流れていく白い雲。

音響と映像をバックに映える白亜の社殿を眺めつつ思う。

一つの国に2つの一之宮が存在する例は数多く存在する。

これまで安房国、武蔵国、相模国、遠江国、尾張国などを訪れてきたが、その理由は各国ごとに様々。

ここ伊勢国の場合は椿大神社が本来の一之宮で、「椿」を万葉仮名で「都波岐」と読んだため、江戸時代に混同が起こったものと一般に考えられている。

椿大神社は全国約二千社にも及ぶ猿田彦系神社の総本社なので、猿田彦大神を祀る都波岐奈加等神社は椿大神社の末社に当たる。

これでは同じ伊勢国一之宮でありながら一方が本宮、もう一方が末社と整合性を欠くことになる。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]10

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椿大神社が内務省神社局の調査で「地祗猿田彦大本宮」にされたのは昭和10(1935)年のこと。

もともと椿大神社は行満上人を奉る修験道の中心地であり「地祇猿田彦大本宮」は後から付け加えられたように思える。

中世、猿田彦大神を奉る一派は隆盛を極める修験道に飲み込まれるのを恐れ、こちらの都波岐神社へ祭神を一時的に“避難”させたのではないか?

江戸時代に入り、本居宣長門下の国学者である伴信友が「小社なれども一の宮なり」と考証し、そのまま伊勢国一之宮になった。

結局この“考証”が混同の源だったのだが。

とまあ、こじんまりとした社殿を眺めながら椿大神社との彼我の差を思いつつ、何の根拠もないまま判官贔屓気味に想像してみた。

境内で一人黙々と新年を迎える準備に勤しむ宮司さんの後ろ姿に黙礼し、境内を辞す。

これから高岡バス亭に向かい、バスでJR河原田駅へ行くつもりだ。

途中、小さなお寺に遭遇した。

門柱に「神宮寺」という表札が埋め込まれている。

ここは昔、都波岐奈加等神社の神宮寺だったのだろうか?

神宮寺は江戸時代以前の神仏混淆時代、神社の業務を遂行するために付随していた寺で、全国各地に存在した。

しかし明治政府の神仏分離令により社寺は切り離され、特定の檀家を持たなかった神宮寺の多くは消滅している。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]11

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過去、都波岐奈加等神社に神宮寺が存在していたことは歴史的に証明されている。

神宮寺が所蔵していた鰐口(お堂の前に布を編んだ綱と共に吊るされている円形の大きな鈴)が奈良市の霊山寺に伝えられている。

その銘には「応永十三(1406)年伊勢国河曲庄中跡神宮寺 大工藤政吉」と刻字されているそうだ。

寺の境内はこじんまりとしていて、手前半分が小さな運動場、奥の半分が伽藍(?)。

中央に本堂があり、手前には珍しく仏像とお稲荷さんが並んで立っている。

この光景からも「神宮寺」に見えなくはない。

このお寺と出会えたのは、ある意味で運が良かったのかも知れない。

ただ、都波岐奈加等神社の神宮寺かどうかは定かではない。

誰かに話を聞こうにも住職はおろか通行人すらいない。

本堂に手を合わせ、静かに境内を後にした。

一ノ宮地区から高岡のバス停へ急ぐ。

神社の周囲には歴史を感じさせる重厚な作りの民家が立ち並び、ここが一之宮鎮座の土地であることを認識させられる

特に瓦を重ねて漆喰で固めた塀が目に付く。

あまり他で見かけない、珍しい様式だ。

高岡バス亭に着いてみると生憎と数分前に出たばかり。

神宮寺に寄らなければ間に合っていたかも知れない。

だが、後の祭り。

やむなく河原田駅まで歩くことにする。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]12

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伊勢街道(県道103号線)を北へ向かうと、鈴鹿川にかかる橋が工事中で仮橋が掛かっている。

その上から鈴鹿川を見渡してみた。

鈴鹿川は東海道の難所である鈴鹿峠に近い高畑山を源流に、伊勢湾へと注ぐ長さ38kmの河川。

鈴は神世と人世の“結節点”、鹿は神の使い。

この川を遡っていくと“神世”にたどりつけるかも知れない。

仮橋を渡ると、その袂を旧伊勢街道が通っている。

旧伊勢街道は東海道から四日市の日永追分で分かれ、伊勢神宮まで続く十八里(約70km)の古街道。

旧伊勢街道は鈴鹿市駅の近くを通っていたので、歩いて辿ればここまで来れたことになる。

どれぐらい時間がかかるのかは分からないが。

旧伊勢街道は「お伊勢参り」が隆盛を極めた江戸時代には、多くの参拝者で大層賑わったことと思われる。

今となっては往時を偲ぶ縁(よすが)もなく、もの寂(さび)た小径が続く。

しかしそれが江戸時代の賑わいぶりを想像できて、逆に楽しかったりする。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]13

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JR関西本線と並走していた旧伊勢街道に右側から伊勢鉄道が合流。

間もなく河原田駅へ到着した。

河原田駅はJR関西本線と伊勢鉄道の分岐駅。

もっと大きな駅舎を想像していたが、予想に反して小ぶり。

そのくせ駅構内の構造が極めて分かりにくい。

関西本線は地上のホーム、伊勢鉄道は遠く離れた高架上のホームを使用する。

地上のホームでJR四日市駅行電車を待っていると、なぜか伊勢鉄道の高架上ホームに入線してきた。

危うく乗り遅れそうになり、大慌てで跨線橋をダッシュ!

これには地元の高校生たちもアタフタしていたから、他所者が右往左往するのは当然か。

幸い電車に乗り遅れることもなく、無事JR四日市駅に到着。

ここから近鉄四日市駅まで歩くのだが、JRの駅は市の中心部からかなり離れた海側にある。

もともとコンビナートの貨物輸送をメインに想定して作られただけに、止むを得ないところか。

往時は大勢の鉄道マンが行き交ったであろう巨大な駅舎は人影も少なく、その巨体を持て余している。

貨物輸送がトラック全盛の今となっては、まさに絵に描いたような“無用の長物”と化してしまった。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]14

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JR四日市駅から中央通りを近鉄四日市駅へ向かう。

ガランとしてたJR駅前から次第に人影が増え、四日市市役所を過ぎた辺りから街は賑わいを見せ始める。

東海道(国道1号線)を過ぎて近鉄駅へ近付くにつれ、駅前は歳末の買い物客でごった返してきた。

駅ビルに入ると近鉄百貨店では市内の女子高生たちによるクリスマスコンサートが開催されている。

その清らかな歌声に一瞬、日本の神社巡りの途上であることを忘れてしまった。

古老の宮司が一人黙々と迎春の準備をしていた都波岐奈加等神社から、女子高生たちの奏でるクリスマス・ソングが鳴り響く近鉄四日市駅へと至る道程。

余りに対照的なコントラストを噛み締めながら、ホームへと続く駅の階段を上った。

乗車した近鉄名古屋線の急行電車は南へと走り出す。

朝に利用した近鉄鈴鹿線の分岐駅、伊勢若松に停車。

椿大神社と都波岐奈加等神社に別れを告げた。

同時に、この先に待っているのは新しい世界…そんな気持ちが湧いてくる。

16時前、伊勢市駅に到着した。

夕方にも関わらず駅の構内は大勢の観光客で混雑している。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]15

rj15都波岐4T000

今日は12月23日、天皇誕生日。

昔風に言えば「天長節」のこの日。

せっかく伊勢にいるのだから伊勢神宮に参拝しない手はない。

駅舎から駅前広場へ出る。

ここへ来たのは何年ぶりだろう?

少なくとも10年以上ご無沙汰なのは確実。

当時は駅前に大きなデパートがあったようなに記憶がある。

その記憶は正しかった。

なぜなら目の前で解体工事の真っ最中だから。

変わり果てた駅前の風景を、オレンジ色の夕日が包み込む。

その中を、外宮へ向けて歩き出す。

前に来た時は沿道に古い食堂などが立ち並び、そこで伊勢うどんを食した記憶がある。

だが、今では真新しい建物ばかりが目立つ。

ただ、伊勢うどんの店は、まだあった。

残念ながら営業は止めてしまったみたいだが。

駅前から伸びる広い通りの一本裏の道を歩くこと10分余、外宮の表参道に到着した。

間もなく日も暮れようかという頃合いなのに、大勢の参拝客で賑わっている。

皆さん天皇陛下の誕生日を奉祝して参詣に訪れたのだろうか?

そういう“勤皇の徒”も少なからずいるだろうが、どうも大多数は違うように見える。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]16

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火除橋を渡り、一の鳥居をくぐる。

最近では伊勢神宮も「縁結びの神様」などと持て囃されているせいか、女性のグループや単身での参拝者が多い。

神社は結婚相談所ではないし、参拝したからといって必ず良縁に恵まれる保証もない。

要は女性自身の“自助努力”がなければ、良縁など夢なのではないか?

本人が必死になって相手を探していれば、やはり必死になって探している男性と、どこかで出会える。

神様には、その手伝いぐらいしかできないのではないだろうか。

続いて二の鳥居をくぐり、神楽殿の前を通って境内の奥へ進む。

それと、若いカップルでの参拝客も数多く見かける。

これはどういう意図で参拝しに来ているのだろう?

もう“良縁”に恵まれたから参拝する必要などなかろうに。

伊勢神宮のお陰で結ばれたからお礼参りに来ているのだろうか?

それとも、今よりもっといい相手と出会いたいから来ているのか?

邪な考えで参詣に来られても、神様にとっては迷惑至極なだけだと思うのだが。

いずれにせよ現世利益だけが目当ての参拝者は、態度や振る舞いに多かれ少なかれ卑しい“欲”が滲み出ているからすぐ分かる。

お爺ちゃんお婆ちゃんのように現世の欲から超越した存在でないと、なかなか思いは神様の許へ伝わらないような気がするのだが。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]17

rj17都波岐4T000

神楽殿の前を過ぎ、正殿の前へ。

外宮こと豊受大神宮の御祭神は豊受大神(とようけのおおかみ)。

天照大御神の食を司る御饌都(みけつ)神として祀られている。

ただ古事記や日本書紀に登場しないので、どのような所縁があって伊勢神宮に祀られることになったのか、いまひとつ分からない神様でもある。

社号の“豊”は文字通り豊かさを、“受”は“饌”と同じ食(け)を意味している。

御饌とは天照大御神が召し上がる食物のことで、それを調達するのが豊受大神の役割だった。

豊受大神は男神なので鰹魚木は奇数の9本、千木は外削で垂直に切られている。

社殿の構成は内宮と同じ様式だが、配置は若干異なるそうだ。

伊勢神宮の社殿の隣は普通、空き地になっている。

「古殿地」といって、二十年に一度の「式年遷宮」で新しい正宮が建立される場所である。

だが、目の前の「古殿地」は空き地ではない。

あと一週間余りで訪れる平成25(2013)年は、いよいよ式年遷宮の年。

新たな社殿が古殿地改め「御敷地」に建立中なのだ。

1年後には目の前の“旧”社殿も姿を消していることだろう。

そう思うと参拝にも通常以上に念が込もるというものだ。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]18

rj18都波岐4T000

表参道を戻り、火除橋を渡ったすぐ右側に、真新しい建物がある。

近寄って看板を見ると「せんぐう館」と書いてある。

式年遷宮を記念して建てられたもので、社殿造営や装束神宝奉製などの技術を展示しているという。

ただし開館は16時半まで。中から係員が出てきて、ちょうど門を閉めたところだった。

そもそも、なぜ伊勢神宮は二十年に一度、社殿を建て替えるのか?

それには様々な理由があるのだが、一つに造営や奉製の技術を継承するという目的がある。

社殿を20年に一度そっくり造り変えることで、宮大工や匠の“腕”を後世に受け継がせるためだ。

せんぐう館には式年遷宮が伝えて来た技術に関する資料が展示されているという。

なかなか興味深い構成に興味を惹かれるが、目の前の入り口は完全にシャットアウト。

無料で利用できる休憩舎にすら入れないので、仕方なく外宮を後にした。

このあと本来なら内宮へ向かうつもりだったが、すっかり日が暮れてしまった。

外宮の様子から鑑みて、内宮も到着する頃には既に閉門されている可能性が高い。

ここは内宮への参詣を泣く泣く断念し、伊勢市駅へ戻ることに決めた。

[旅行日:2012年12月23日]

一巡せしもの[都波岐奈加等神社]19

rj19都波岐4T000

伊勢市駅にはJR東海と近鉄の両線が乗り入れているが、外宮に向いたメインの駅舎はJRのもの。

一方、近鉄の駅舎はというと、外宮の反対側にオマケみたいに小さくへばりついている。

しかも現在改装工事中で、ただでさえ狭い構内が一層タイトになっている。

近鉄は隣の宇治山田駅が伊勢神宮への玄関口。

なので伊勢市駅がオマケ的なのはやむを得ないところではあるのだが。

どうせ近鉄線を利用するのだから、帰路は宇治山田駅へ向かうべきだったと著しく後悔。

宇治山田駅は以前にも何度か利用したことがある。

国家神道真っ只中の昭和6(1931)年、皇室の祖を祀る“神の都”に開業したターミナルは巨大なのに気高く、優雅で、そして麗しい。

アール・デコ然とした駅舎は細部に繊細な装飾が施され、その文化的価値は国の登録有形文化財にも指定されているほど。

しかも宇治山田駅には貴賓室が設けられており、今上陛下も総理大臣も神宮参拝の際は、こちらを利用するのだ。

近鉄伊勢市駅の改札を出、雑然とした駅前の風景を眺めつつ、今さらながら宇治山田駅に思いを馳せる。

せんぐう館の前で内宮に向かうか否かで迷っていたので、宇治山田駅まで頭が回らなかったのだろう。

ホームへ戻ると、ちょうど鳥羽方面行きの電車が入線してきた。

乗車して気持ちを宇治山田駅から志摩国に切り替え、伊勢国に別れを告げた。

[旅行日:2012年12月23日]
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