安房國一之宮「安房神社」

一巡せしもの[安房神社]01

rj01安房t4u01

昼下がりの外房線。

平日ということも相俟って車内にはマッタリとした空気が流れている。

それにしても、まだ14時前だというのに高校生の姿が、やけに目につく。

安房鴨川駅で接続列車に乗り換え、15時前に千倉駅へ到着した。

ここで安房白浜行きの館山日東バスに乗り換えるのだが、約30分ほど時間がある。

千倉駅には最初の巡礼地である洲崎神社を参詣して以来、約半年ぶりの再訪。

あの時は洲崎神社から安房神社、そして玉前神社と巡る予定だった。

しかし洲崎神社を参拝した時点で日が暮れてしまい、撤収を余儀なくされた次第。

とはいえ、地方のバス路線網を甘く見ていたわけでは決してない。

計画が甘かっただけの話…というか、ほぼ思いつき同然で始めたようなものだ。

千倉の駅舎は真新しく、非常にモダン。

壁面に打ち放たれたコンクリート、屋根やベンチなどに多用された木目調の建材、ふんだんに用いられたガラス。

この三種の取り合わせが、関東最南端に位置する千倉駅の南国っぽい開放的な雰囲気を醸し出しているのだろう。

駅舎から外に出、バスの待合所に向かう。

安房白浜行きのバスは既に停留所で待機中だ。

ちなみに「南房総フリー乗車券」のフリー区間には館山日東バスの千倉/安房白浜間も含まれている。

このため乗車券を運転手に見せるだけでよく、改めて運賃を払う必要はない。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]02

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15時30分、バスは安房白浜に向けて発車した。

平日の昼下がりとあって車内は高校生や老人ばかり。

僅かばかりの客を乗せたバスは千倉の古い街並みを縫うように走り抜けて国道410号線、通称「フラワーライン」へ。

春まっさかりの南房総、車窓に広がる麗らかで風光明媚な景色を眺めているうち、ついウトウト。

バスは約30分ほどで安房白浜バスターミナルに到着した。

周囲には数多くのリゾートホテルが立ち並び、しかも源泉が湧いているので、どれも温泉宿。

だが、ここから見えるのは指呼の間にある「南国ホテル」ぐらい。

ほとんどのホテルや旅館は海沿いを通る国道410号線沿いに立ち並んでいるのだろう。

しかし乗り換え時間が僅かしかなく、わざわざ確認に出向く暇もない。

ここ安房白浜バスターミナルはJRバス関東の“駅”でもある。

立派な切符売り場を構え、職員も常在している。

外房線の小さな無人駅より、よほど風格がある。

そのうち1番乗り場に安房白浜発「なのはな44号」東京行が入線してきた。

高速路線バスなのだが、館山駅までは普通の路線バスとして運行されている。

なので座席はロングシートではなく、2×2のロマンスシートだ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]03

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他に乗客は誰もいないので一番前の席に堂々と陣取る。

座り心地は快適、視界も抜群だ。

路線バス扱いとはいえ運賃箱が付いているわけではないので、運賃は運転手に前払い。

安房白浜から安房神社前まで440円。

乗車時に乗車券が発行され、降車時に運転手に手渡すシステム。

なお房総半島の先端をカバーするJRバス関東の路線も、すべて「南房総フリー乗車券」のフリー区間に含まれているので運賃を払う必要はない。

なのはな44号は16時10分、安房白浜バスターミナルを出発した。

すると途中の停留所で一人のお婆さんが車内に乗り込むでもなく、運転手相手に延々と立ち話を始めた。

出入り口の直近に座っているので両者の会話が聞くともなしに聞こえてしまう。

どうやらお婆さんは前に乗ったバスに忘れ物をしたらしく、それを後続のこのバスに届けてもらったらしい。

それにしても年寄りは孤独なせいか、運転手相手に延々と話し続けている。

気付けば5~6分は経過していたのではないか?

次第にイライラしてくるが、邪険にするのも可哀想だし。

地方のバスも、なかなか大変だ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]04

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ようやく発車したバスは約20分弱で安房神社前に到着した。

この一帯、地名は「一宮」ではなく「大神宮」という。

無論、地名は安房神社に由来するものだろう。

社号は「神社」なのに地名が「神宮」なのは、それだけ地域からの崇敬の念が篤いということか。

国道410号線沿い、コメリと接骨院の間から山の方角へ延びる道が表参道。

接骨院の前に立つ案内標識に従って道を進み橋を渡ると、ずっと奥に白い鳥居が見えた。

しかし、道の両側は普通の住宅と農地が混在し、商店は数えるほどしかない。

大きな神社にあるような並木道でも、商店や飲食店が立ち並ぶ仲見世でもない。

大きな神社の参道にしては意外と地味な印象を受ける。

ただ、普通の住宅といっても一戸当たりの敷地は広く、建屋も大きい。

立派な生垣を眺めながら奥に見える鳥居の方向へ歩を進める。

と、途中で珍妙な張り紙が目に止まった。

大きな庭を持つ家の入口に掲げられていたもの。

題名に「当家の庭で不埒な行為を働いたもの」とあり、併せて男女の2ショット写真も載っている。

どこか警察の指名手配を思い起こさせるような写真だか、さすがに顔はモザイクで隠されている。

男と女が他人の家の庭先で如何なる「不埒な行為」を働いたのか、そこまで詳細に記されてはいない。

だが、家主に写真を撮られて晒されるほどの怒りを買ったというだけで、その内容が伺えようというものだ。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]05

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そして、ここにも“不埒”な掲示が。

日本全国いたるところで見かける聖書の看板。

だが、さすが「大神宮」の名を背負う御神域、やることが違う。

その上から「粗大ごみ有料化のお知らせ」のビラが貼られていた。

看板とビラ、どちらが現世の人々にとって有益な情報かは一目瞭然。

“不埒”なのは粗大ごみの告知ではなく、この“大神宮”へ無遠慮に侵入してきた看板のほうだろう。

地味な割にドラマツルギーが横溢していた参道も、間もなく尽きた。

安房神社一の鳥居に到着。

シンプルな鋼鉄製の神明鳥居だが、色は真っ白。

裸木ゆえに白いのではなく、あえて白く彩色されているのだ。

両脇に建つ石灯籠の色も白。

すべてが白で統一されている。

夏になれば白い鳥居は強烈な日差しに映えることだろう。

いかにも海辺の神社という雰囲気を感じさせてくれる。

鳥居の右側に立つ社号標は昭和8(1933)年の建立。

揮毫は全国の社号標でおなじみ東郷平八郎元帥の手によるものだ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]06

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鳥居をくぐり、安房神社のシンボルともいえる桜並木の参道を往く。

とはいえ、とっくに桜花のシーズンは終了。

今は青々とした葉が枝いっぱいに繁る緑のトンネルだ。

お花見シーズンには“桜のトンネル”を愛でる花見客で賑わうそう。

だが、桜の花も散って久しく、しかも平日の夕方という“逢魔が時”に一人っきりでは、なかなかイメージが湧きにくい。

毛虫が落ちてきやしないか注意しながら上を見て歩いていると、ひっそりと咲いている桜の花瓣を発見した。

地球温暖化ゆえの狂い咲きか?

それとも、今この時期に花を咲かせる品種なのか?

いずれにせよ“残り物には福がある”というのなら、これは縁起がいいに違いない。

参道を抜けると右手には神池が広がり、左手には大正時代半ばの築といわれる社務所が佇んでいる。

木造ながら関東大震災にも耐えたという堅牢な造りは、当時の建設技術の高さを物語っているそうだ。

短い石段を登ると、二の鳥居。

こちらも一の鳥居と同様、純白の神明鳥居。

その先、参道は右側へ大きく弧を描き、さらに一段高くなったところに社殿が鎮座している。

安房神社の創始は今を遡ること2670年以上も前の皇紀元(西暦BC660)年と伝わっている。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]07

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神武天皇から「肥沃な土地を探せ」との勅命を拝した天富命(アメノトミノミコト)は、まず南海道阿波国(徳島県)に上陸。

そこで麻や穀(カジ=紙などの原料)などを植栽し、開拓を進めた。

その後、天富命一行は更なる肥沃な土地を求め、阿波国に住む忌部(いんべ)一族を引き連れて船に乗り、黒潮へと漕ぎだした。

忌部氏は朝廷の祭祀を担当してきた氏族で、それに使う祭具の製作部門も管轄していたことから、今ではあらゆる産業の総祖神とされている。

さて、海路はるばる房総半島の南端にたどり着いた天富命一行と忌部一族。

ここが麻の栽培に適していたことから「総国(ふさのくに)」と命名した。

「総」とは古代語で「麻」と同義語で、ここでも麻や穀を播植して産業地域の拡大に尽力。

同時に上陸地点を出発地の「阿波」と呼び、後に「安房」へ変わったとされる。

今でこそ「千葉県」と一括りにされているが、そもそもは上総と下総、それに安房と国が三つもあったのだ。

天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、祖先の天太玉命(アメノフトタマノミコト)と、后神の天比理刀咩命(アメノヒトリメノミコト)を祀った。

これが現在の安房神社の起源になっているそうだ。

なお、阿波国一之宮「大麻比古神社」の主祭神「大麻比古大神(オオアサヒコノオオカミ)」は、安房神社の主祭神「天太玉命」の別名。

つまり、安房国と阿波国の各一之宮は主祭神が同じということになる。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]08

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参道を進むと正面に「上の宮」の拝殿が見えてきた。

安房神社には本社「上の宮」と摂社「下の宮」の二社が鎮座している。

安房へ“移住”して房総半島を開拓した天富命は「下の宮」の、その天富命が祀った祖先の天太玉命は「上の宮」の、それぞれ主祭神となっている。

拝殿は鉄筋コンクリート造りで、昭和52(1977)年築と比較的新しい。

建築様式は本殿に倣った神明造りで、屋根から手前に庇が伸びている。

拝殿前に三の鳥居はないが、その庇と支える二本の柱が鳥居の形に見えなくもない。

他に参拝客など誰もおらず、なぜか鳥類のけたたましい鳴き声だけが響き渡る境内で一人、頭を垂れ、両手を合わせる。

主祭神の天太玉命は“宇宙造化神”高皇産霊神(タカミムスビノカミ)の孫にして、あらゆるモノを生み出す優れた力が御神徳という日本の産業創始の神様。

遥か太古の昔は天照大神の側近で、中臣氏と共に朝廷の祭祀を司った忌部氏の祖神に当る。

天照大神が須佐之男命の狼藉に恐れをなして天岩戸に閉じこもった折には、天児屋命(アメノコヤネノミコト)と協力して御出現を願う祭礼を挙行した。

ちなみに天児屋命は祝詞の神にして、中臣氏(後の藤原氏)の祖神である。

その折、天太玉命は忌部氏を指揮して祭礼の挙行に必要な鏡や玉、幣帛や織物、武具などを作り出した。

現在でも神事で用いられる玉串や注連縄などの神具は、すべて天太玉命がルーツ。

この故事が天太玉命を「日本の産業創始の神」たらしめる由縁となっているのだ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]09

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天岩戸事件では天児屋命が朗々と祝詞を上げ、天照大神が表に出てきた時、すかさず天太玉命が入口に注連縄を張って後戻りできないようにした。

注連縄が張ってある場所から先は神聖なのは、この故事に由来しているという。

また、邇邇芸命(ニニギノミコト)の天孫降臨でも、天太玉命は祭祀を司る重要な神として天児屋命らとともに地上へ随伴した。

忌部氏や中臣氏ら有力な氏族は、各々の祖先を称えることで自らの存在に箔を付けようとしていたのだろうか。

拝殿の奥、本殿側の壁面に掲げられた扁額には「当國一宮」と記されている。

養老元(717)年、安房神社は現在の鎮座地である吾谷山(あづちやま)の麓に遷座された。

それに伴い、天富命を祭神とする「下の宮」の社殿も併せて造営された。

また、上の宮には配神に后神の天比理刀咩命(アメノヒトリメノミコト)が祀られている。

安房国もうひとつの一之宮、洲崎神社では逆に天比理刀咩命が主祭神、天太玉命と天富命が配神となっている。

天富命は男神山と女神山に天太玉命と天比理刀咩命を、それぞれ祀ったと先述した。

それが現在地に遷座した際、天太玉命のみを安房神社に祀り、天比理刀咩命は少し離れた洲崎神社に祀ったのではないか?


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]10

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思えば海岸沿いに立っていた、洲崎神社の浜鳥居も真っ白な神明鳥居だった。

往時は安房神社が「男神」、洲崎神社が「女神」で、双方合わせて「安房國一之宮」ではなかったのだろうか?

それを裏付ける物証など無論どこにも存在しない。

ただ、両社を巡拝した結果、そんな雑念が脳裏に浮かんだだけの話である。

拝殿の裏手に回り、本殿を見る。

特に玉垣などで囲われておらず、近接して拝見できるのが有難い。

本殿は明治14(1881)年の竣工。

建築様式は神明造りで、屋根は薄く剥いだ檜の皮を重ね合わせて作られた「檜皮葺き」。

平成21(2009)年には「平成大修造」が実施されて面目を一新。

一見すれば新造されたのかと勘違いしてしまいそうなほど真新しい。

その右隣りには古めかしい建物が立ち、廊下でつながっている。

神様に奉る食事を作る神饌所で、明治41(1908)年の建造という。

現在は毎年1月14日に行われる「置炭神事」(おきずみしんじ)の祭場として主に使用されている。

置炭神事は同日夕刻、門松に使われた松材を薪に用い、浄火を焚いて粥を煮る。

そして燃え残った松材から12本取り出し、その焼き色によって一年間の天候を占うという神事だ。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]11

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神饌所を更に右奥へ進むと、そこは「下の宮」の鎮座地。

養老元(717)年に安房神社が遷座された際、天富命を祀る摂社として創建されたことは既に触れた。

室町時代以降、下の宮は数百年間にわたって途絶えていたが大正時代に復活。

天太玉命が「日本産業の総祖神」と大仰なのに対し、孫の天富命は「房総開拓の神」と身近に感じられる神様だ。

また、下の宮には配神として天太玉命の弟神である天忍日命(アメノオシヒノミコト)が祀られている。

天孫降臨神話では弓矢や刀剣で武装し、邇邇芸命の先導役を務めたことから日本武道の祖神と崇められている。

ちなみに天太玉命と忌部氏の関係と同様、天忍日命は軍事を司った大伴氏の祖先神でもある。

下の宮を出て鳥居をくぐり、石段を下りたところに御神木の太い槙がひっそりと佇んでいた。

御神木といえば拝殿の前など目立つ場所にあるのが一般的だが、目立たない場所にあるのは意外と珍しい。

その先に続く坂を下っていくと、途中に古い社号標が立っていた。

表面が摩耗して文字が判然としないが「勲一等 安房座太神宮 御鎮座」と刻まれているようだ。

安房神社は延喜式に「安房坐(あわにます)神社」と記されていることから、この社号標は昔使われていたものを移設したのだろうか。

風化してはいるが、それが逆に歴史の重みを感じさせる。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]12

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境内に広がる神池の東側に、下の宮と社務所を結ぶ細い道が通っている。

その細い道が尽きて参道とぶつかる位置に茶店の「あづち茶屋」が立っている。

平成25(2013)年2月20日に開店したばかりの真新しい一服処。

店名は現在の鎮座地「吾谷山」に由来するという。

それほど大きくない純和風建築で、境内の雰囲気に違和感なく溶けこんでいる。

ただし営業は金・土・日・月・祝日の10~16時。

既に17時を回った現在、残念ながら戸は閉ざされていた。

再び参道を一の鳥居へと歩く。

その右側に注連縄で囲まれた苗床を見かけた。

既に田植えのシーズンは終わっているが、苗床では真新しい苗が育っている。

これから御神田に植えられるのだろう。

反対の左側には「館山野鳥の森」が広がる。

道理で鳥の鳴き声が喧しかったわけだ。

年中無休だが営業時間は9~16時半。

当然ながら既に閉館している。

野鳥の鳴き声だけを聞きながら、安房神社を後にしたのだった。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]13

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帰路は安房神社前バス停ではなく、もう少し海寄りの相の浜バス停から乗車することに決めた。

なので来る時に通った正面の参道ではなく、一の鳥居を出てすぐに左へ曲がり、のどかな風景に囲まれた道を歩く。

20~30分ほど歩いたろうか、国道410号線に出、相の浜バスに到着。

次のバスまで少し時間があるので、周辺をブラついてみる。

すると、バス亭の脇から海の方角へ延びる細い坂道を発見。

先へ下っていくと「画家が愛した漁村の道」という案内標識を見つけた。

その下には周辺の案内地図が掲げてあったので、観光用に設えたのだろう。

漁村の佇まいを湛えた住宅街を5分ほど歩くと、正面に小さな漁港が姿を現した。

相浜漁港、又の名を富崎漁港。

漁船の群れが暮れていく夕日を浴びて静かに佇んでいた。

相の浜バス亭からJRバスに乗り、館山駅へ。

思えば此度の一之宮巡礼、昼食時に蕎麦とともにビールを嗜んだことはあったものの、一日が終わって酒場へ繰り出したことはない。

一之宮巡礼に目出度く一区切りついた今宵ぐらい、記念に一献やってもバチは当たらないのではなかろうか?


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]14

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館山駅に行くと「館山炙り海鮮丼」「館山旬な八色丼」というチラシを発見。

これらは「新・ご当地グルメ」と呼ばれるもので、観光客へ向けて新たに開発されたメニューだと書いてある。

「館山炙り海鮮丼」は炙り海鮮、刺し身、花ちらし寿司が三段重ねになった丼もの。

「館山旬な八色丼」は南総里見八犬伝に因み、旬の地場産食材を8つの小丼で味わうもの。

どちらも日本酒に合いそうなメニューだが、特に「八色丼」は品数が豊富で格好の肴になりそう。

しかも丼に八犬伝ゆかりの八文字「仁義礼智忠信孝悌」が入っているのもいい。

しかし、ここで大きな問題がある。

駅近くで供しているのは2店だけで、うち1店はランチのみ。

残りの1軒も限定25食というから、売り切れは必至だろう。

それでもダメ元というか一種のリサーチ的な気分で、西口駅前の寿司屋に行ってみた。

すると案の定、昼食の時点で既に売り切れ。

ハナから期待していなかったので別段ガッカリもしなかったが。

駅に向かいながら再びチラシに視線を落とすと、こう記されている。

「全店予約可能 食数限定 全70食(1日)」

つまり「館山旬な八色丼」は市内5店舗で1日当たり合計70食しか提供しないということだ。

ちなみに「館山炙り海鮮丼」も同じ5店舗で1日当たり115食のみの提供。

つまり「予約しないと、まずありつけませんよ」と言っているようなものだ。

気軽に食べることのできないメニューを「新・ご当地グルメ」としてプッシュすることに、一体どんな意味があるのか良く分からない。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]15

rj15安房t4u00

とにかくも西口は験が悪いので、気を取り直して東口に向かう。

駅前の道を南に向かって歩いていると「有香」という海鮮料理の店を発見した。

外見は居酒屋というより、ちょっとした割烹料理店の雰囲気。隣が魚屋で、看板に「魚屋の作る店」と謳っている。

しかも入口のところに定食のメニューが掲げられており、酒より食事が有難い身には丁度よい。

中に入ってみると中央の通路から右側が座敷席、左側がカウンター席。

座敷では先客が4名ほど、既に出来上がっている。

カウンターに腰を落ち着け、とりあえずビールを頼み、食べ物のメニューを眺める。

それにしても、どこか店内には微妙な空気が漂っている。

なぜだろうと思ったら、その理由は程なく分かった。

カウンター内にいる小母さんの態度が、とてつもなくツッケンドンなのだ。

例えば、黒板の品書きにある「さんが焼き」について尋ねてみた。

すると木で鼻を括ったような答えしか返ってこず、どんな料理なのか具体的なイメージがサッパリ湧いてこない。

それでも実際に見れば分かるだろうと思い、焼魚定食と一緒に注文してみた。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]16

rj16安房t4u32

ビールと共に出てきた突出しは、塩辛。

これが、なかなかイケる味。

そこでビールから日本酒にスイッチしようと、件の小母さんに尋ねてみた。

「日本酒のメニューはありますか?」

「燗ですか? 冷ですか?」

予期しない返事に面食らい、思わず「ひ、冷で」と答えてしまった。

改めて品書きを見ると、日本酒は「剣菱」しか置いていない。

つまり「日本酒の品書きは無い」が故に、途中で有るべき「日本酒の品書きはありません」という一言が割愛され、短絡的に「燗か冷か」という問いへ至ったものと推測される。

こうした、客を小馬鹿にしたような接客態度を取られると憤慨する向きが圧倒的に多い…それが今の世の中だろう。

その気持ちは痛いほど分かるし、道理で店内に客の姿が疎らだったわけだ。

ただ、品書きに日本酒が「剣菱」しかないという事実を前にして、この店の姿勢が少し理解できた気もする。

「剣菱」は創業五百年を超える灘の名門酒蔵。

赤穂浪士が吉良邸討ち入りの前、蕎麦屋で出陣酒として喉に流し込んだのが剣菱だったとか。

坂本龍馬の脱藩を直談判に来た下戸の勝海舟に、山内容堂公が「この大盃の酒を飲み干したら認めよう」と突き付けたのが剣菱だったとか。

こうした歴史的な逸話に事欠かない銘酒、それが剣菱だ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]17

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あえて剣菱以外の日本酒を置かないことへのこだわりも、こうしたツッケンドンな態度と何か繋がりがあるのかも知れない。

ほどなく「さんが焼き」が目の前に届いた。

見た目だけで言えば魚肉のハンバーグといったところか。

実際には「なめろう」を紫蘇の葉で巻いて焼いたもの。

「なめろう」とは、アジのタタキに刻んだ野菜や味噌と混ぜた房総半島の郷土料理のことだ。

その「さんが焼き」と剣菱の取り合わせが、なかなかハマっている。

そのうち「焼魚定食」が来た。

焼き魚は大きなニシン、ほかにサンマの煮物、こんにゃく、酢の物、お新香、それに御飯とアサリの味噌汁。

なぜ館山でニシンなのか分からないが、値段の割にボリュームがあるし、魚そのものも美味。

ニシンの焼き身を口に放り込み、続けざまに剣菱を流し込む。

淡白な白身が酒に溶け、魚の旨味が口腔いっぱいに広がる。

酢の物で口直ししてサンマの煮物を齧り、コンニャクで口直しし、再びニシンへ。

このローテーションを繰り返していたらアッという間に一本目の銚子が空に。

二本目の銚子が空く頃、おかずの姿はほとんど消失。

最後に御飯と味噌汁とお新香で締めくくり、掉尾を飾る晩餐は終了した。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[安房神社]18

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最初は小母さんの接客に大いに戸惑ったものの、慣れてしまえば何てことはない。

要は一見客にとって非常に取っ付きにくい店ではあるが、魚料理のメニューも豊富だし、店の流儀さえ理解できれば再び足を運びたくなる店だと個人的には思える。

逆にファミレスやハンバーガーショップのようなステレオタイプの接客がなければ不満を口にする向きは、店の敷居を二度と跨がないことだろう。

でも、こうした“幼稚”な客が寄り付かないだけ、酒と魚を味わいたい身には居心地が良かったりする。

現に二本目の剣菱を注文した後、小母さんの態度が軟化したようにも見えたし…多少酔っ払っていたせいかも知れないが。

それに、大々的に宣伝しても品切れでありつけない「新・ご当地グルメ」よりは、ツッケンドンな接客でも美味い魚料理を食べられるほうがよほど有難い。

「有香」を出て、館山駅へ。

しかし次の東京行き電車まで、まだだいぶ時間がある。

そこで西口から一直線に伸びる大通りを海まで歩いてみた。

堤防に腰掛け、夜の海を眺める。

風もなく海面は静かで、対岸の光彩が遠くで瞬いている。

大人しく打ち寄せる波を見ながら、巡礼してきた一之宮の数々を思い返してみる。

結構な数を巡ってきたように思えたが、まだ旅は実際のところ始まったばかりなのだ。

電車の発車時刻が近づいてきたので駅へ戻る。

上空を見上げると、丸い月がポッカリと浮かんでいた。

「次は、いつ出かけようかな?」

そんなことを思いながら、駅の階段を上った。


[旅行日:2013年5月21日]
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