上総國一之宮「玉前神社」

一巡せしもの[玉前神社]01

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雨雲と夕暮れの中で宵闇に包まれたJR東浦和駅。

帰宅する通勤通学客の雑踏を掻き分け、西船橋方面行きの電車に乗る。

乗る人は多いが降りる人も多いので、車内は思ったほど混雑していない。

武蔵野平野の真ん中を電車で40分ほど揺られ、西船橋駅に到着。

総武本線に乗り換え、さらに千葉駅から外房線に乗り換える予定なのだが。

思えば昼に大宮氷川神社門前の大村庵で蕎麦を食べて以来、何も口にしていない。

ここで一旦下車し、夕食を取ることにした。

しかし、ただ食事するためだけに下車したわけではない。

今回の上総と安房行きのために利用したのが「南房総フリー乗車券」。

外房線は茂原、内房線は木更津、両駅から房総半島の先にあるエリアの鉄道やバスが2日間乗り放題になるオトクなフリー乗車券だ。

東京都区内からだと4500円するが、千葉県内で買うと3000円で済む。

都内でも東側に在住ならとりあえずJRなり京成電鉄で市川なり舞浜まで行く。

そこで購入すれば現地までの往復運賃を差し引いても1000円は浮くのでオトク。

ただし、使用日の前日までに購入することが条件なので注意が必要だ。

今回のケースでは東浦和駅から西船橋駅までは武蔵野線の乗車券を購入。

西船橋駅から茂原駅までは南房総フリー乗車券の往路区間を利用することにしたのだ。

[旅行日:2013年5月20日]

一巡せしもの[玉前神社]02

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駅へ戻り、自動改札にフリー乗車券を差し入れ、南房総への旅がスタート。

総武線の“黄色い電車”で千葉へ行き、外房線の安房鴨川行きに乗り換える。

内陸部を走っていた電車は上総一ノ宮駅の辺りから外房の海岸線に出る。

今日は上総一ノ宮駅は素通りで明日、改めて訪れるつもりだ。

20時過ぎ、御宿駅に到着。

駅前から線路沿いに伸びる道を勝浦方面に向かってフラフラと歩き、途中コンビニで酒と肴を調達。

国道128号線を横切り、海へと続く道を降りた先に立つホテルが今宵の宿だ。

関東近辺の場合、帰れる距離にあるのなら普段は宿泊することもないのだが。

外壁工事中ということで宿泊料金がディスカウントされていたので、泊まってみることにした。

部屋はリゾートホテルらしく、ツインベッドで広い間取り。

もともとオフシーズンなので工事がなくても空いているのだろう。

遠くから海鳴りが聞こえる。

窓を開けて外を見てみる。

しかし外壁工事で足場が組まれており、景色を堪能するどころの話ではない。

道理で宿泊料金がディスカウントされているわけだ。

それでも海鳴りをBGMに傾ける酒盃というのもまた、なかなかに乙なものである。

[旅行日:2013年5月20日]

一巡せしもの[玉前神社]03

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翌朝、一階の食堂へ。

窓には外房の海が一面に広がっている。

昨夜は夜中に到着したので分からなかったが、ここまで海岸から至近距離に立地していたことに驚く。

朝食はバイキング。

それほど品数は多くないが、一品々々が凝っていて結構楽しめる。

食事を終えた後、ビーチに続く出入口から外に出てみた。

前庭の手前にプールがあり、垣根の向こう側は直ぐに砂浜。

ホテル内にはシャワーやロッカールームもあり、サマーシーズンには海水浴客で混雑するに違いない。

海では大勢のサーファーたちが波乗りに興じている。

薄曇りで肌寒い中、その様子をしばらく眺めていた。

今度は大雪が降っている日にでも来て、海に降る雪をボンヤリ見ながら燗酒でも舐めてみたいと思う。

ホテルを出て駅へ向かう道すがら、御宿の町をブラつく。

途中、国道が川を跨いだところの交差点に「月の沙漠記念館入口」と表示されている。

海へと続く道の先に、その記念館はある。

童謡「月の沙漠」は御宿を愛した詩人の加藤まさをが、大正12(1923)年に発表した作品。

歌詞に謡われている舞台はエジプトでもサウジアラビアでもなく、ここ御宿なのだそうだ。

加藤が砂漠を想った海岸にはラクダの像が立ち、すぐ近くに「月の沙漠記念館」はある。

とはいえ、先を急ぐ身に「月の沙漠」へ割けるだけの時間的余裕などなく、立ち寄ることなく御宿駅に向かった。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]04

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お昼前、上総一ノ宮駅に降り立つ。

天気は朝から変わらず薄曇りのまま。

暑くも寒くもない、丁度いい頃合い。

駅舎は昭和14(1939)年、隣町である睦沢町上市場の香焼(こうたき)氏により建設された。

資材には大正12(1923)年の鋼材が使用されているそう。

出入口横にある自動販売機の裏には当時の窓枠が残っている。

また、待合室のベンチや構内の跨線橋も当時のものだとか。

改札口を出ると正面の「名糖食堂」という食べ物屋さんの看板部分に、広告と案内図が掲げられていた。

食堂の名前、乳製品メーカーの「名糖」と何か関係があるのだろうか?

それにしてもフィルムを反転させた社殿の写真が斬新といえば斬新で、なかなか洒落っ気のある一之宮と見た。

その案内図に従い、玉前神社方面へ。

途中、見るからに古めかしい社号標を見かける。

しかし、なぜ境内でもないこの場所に立っているのか?

本物の社号標なのか? それとも、ただの記念碑か?

根元の部分に「参道」と記されているので、この道が表参道なのは確かなようだ。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]05

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車の往来が激しい県道を渡り、住宅街の中を縫う細々とした道に入る。

途端にどれが参道なのか、いまひとつ分からなくなった。

地図に見入りながら道を歩いていると、前方から高校生の一団がやって来た。

「こんにちわ」

誰かが誰かに挨拶をしている。

「こんにちわ」

また同じ声がする。

礼儀正しい奴だと思いながらフッと顔を上げると、一人の男子高校生がニコニコしながらこちらを向いている。

彼は見ず知らずの闖入者である私に対して挨拶をしていたのだ。

「こ、こんにちゎ…」

咄嗟のことだけに思わず声が上ずってしまう。

彼の挨拶に見合うだけの返礼ができなかった。

所持品からして野球部の選手のように見える。

誰であろうと道行く人に対してキチンと挨拶するよう、日頃から監督に指導を受けているのだろうか。

この出来事だけでも、玉前神社の御神域を包み込む清冽さが分かる。

挨拶は一高校生からではなく、玉前神社の御祭神からだと受け止めた。

しばらく細い道を進むと、正面に真っ赤な鳥居が見えてきた。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]06

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門前の参道は広々として、一之宮に相応しい構え。

道の両側には歴史的な建造物がボチボチと立ち並んでいる。

鳥居の手前右側にある蔵造りの建物は歴史的建造物の「高原家住宅」。

明治時代に建造されたものと推定されている。

「ニンベン」の屋号で椿香油の販売や鶏卵を東京へ卸す商売を行なっていたという。

外周を土蔵のように塗り込めた「店蔵」で、店内の太い柱と人見梁が特徴だ。

人見梁とは店先の上方に取付けてある化粧梁のことで、蔀戸(出入り口の戸)を昼は上げて収納しておき、夜は下ろして戸締りする仕組み。

「蔀(しとみ)」が訛って「人見(ひとみ)」になったという。

玉前神社の門前に到着。

上総一ノ宮駅から徒歩10~15分ほどか、意外と近い。

境内は、こじんまりとまとまったコンパクトな印象。

一の鳥居は朱に塗られた一般的な明神鳥居だ。

鳥居の右脇には社号標。

左横に「神社本廳統理 徳川宗敬謹書」と刻字されている。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]07

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徳川宗敬(むねよし)は水戸藩第十代藩主徳川慶篤の孫。

慶篤は“最後の将軍”徳川慶喜の同母兄に当たる。

宗敬の生誕は明治30(1897)年、逝去は平成元(1989)年と四つの時代を生きた人物である。

神職のほかにも林学者(緑化の父)、軍人(陸軍少尉)、政治家(貴族院副議長)、教育者(東大講師)など、多彩にして波瀾万丈の人生を送ってきた。

一の鳥居をくぐり、直進すると正面に二の鳥居。

右の柱には「文化三丙寅年八月」、左の柱には「式内大社當國一宮」と刻まれている。

文化三年は西暦に直すと1806年。

建立されてから200年余といったところか。

二の鳥居を見上げれば、扁額には「玉前神社」と記されている。

「玉前」という社号は、御祭神「玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)」に由来する説が有力だ。

他にも、玉依姫命の姉である豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)が海中の「龍宮」から、玉之浦(九十九里浜の古称)南端の太東崎に上陸したことから玉崎(前)になったという説もある。

九十九里浜地方には古来、海から流れ着いた石に霊力を感じ、これを光り輝く神として祀るという風習があった。

こうした石に因む話は「明(あか)る玉(珠)の伝説」として数多く伝承されている。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]08

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そのひとつに「汐汲みの翁」の話がある。

早朝、東風(こち)が吹いて波間に現れた12個の「明(あか)る玉」を持ち帰ったところ、夜になってピカピカ光を放つので慌てて玉前神社の神庫に納めたという。

もうひとつは「五兵衛兄弟」の話。

8月12日の晩に五兵衛という男に夢のお告げがあり、翌朝弟と海に行くと東風が吹かれて光る錦の袋が流れてきた。

兄弟は袋を拾い上げて家に持ち帰り中を見ると、光る珠が入っていたので神社を建てて珠を納めた。

五兵衛兄弟は「風袋(ふうたい)」姓を名乗り、12個の珠を納めた神社が玉前神社であったともいう。

そして風袋家の末裔は、今も玉前神社の社家として存続しているそうだ。

二の鳥居の右脇には24時間自由に採水できるご神水がある。

意匠が凝らされた送水柱とレトロな蛇口の取り合わせが「ご神水」の御利益を高めているかのようにも見える。

二の鳥居をくぐり右に曲がると正面に三の鳥居。

他の鳥居と異なり両部鳥居、しかも台輪と台石がある。

三の鳥居をくぐると目の前に短い石段。

両脇には漢字が五文字ずつ刻まれている。

左側には「徳一蹄民惟」(蹄は旧字)。

右側には「徳一祐神惟」(祐のネは示)。

それぞれの意味は…良く分からない。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]09

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石段を昇り切ると正面に社殿が鎮座している。だが、残念ながら拝殿は改築中で外側がシートで覆われていた。

それでもシートの前には臨時の小さな拝所が設えてあり、そこで静かに手を合わせる。

玉前神社は永禄年間(1558~1570)の戦火によって社殿や宝物、文書の多くが焼失したため、創建の時期や年数、名称の由来などについては殆どが不詳となっている。

ただ、延長5(927)年にまとめられた「延喜式神名帳」に名神大社として名を連ねており、創建から少なくとも1000年以上経過しているのは間違いないところ。

また、毎年9月10~13日に行われる御例祭「上総十二社祭り」は大同2(807)年創始と伝えられており、このことから玉前神社には1200年以上の歴史があるとも見られている。

境内の説明板によると、社殿の造営は貞享4(1687)年。

棟札の表面には「奉造営 貞享四年三月十三日 大工棟梁大沼権兵衛」とあり、裏面には13カ村の名が記されている。

拝殿の建築様式は正面に向唐破風を付けた入母屋の流造りで、屋根は銅板葺き。

拝殿と本殿が幣殿を介してつながった権現造りでもある。

正面には左甚五郎の作とも言われる高砂の彫刻があるそうだが、残念ながら見ることは叶わず。

なお、これら社殿と棟札は千葉県から有形文化財に指定されているそうだ。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]10

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参拝を終え、本殿を拝見するために拝殿の裏手へグルリと回り込むと、右手に神楽殿が立っているのが見えた。

玉前神社に伝承されている「上総神楽(かずさかぐら)」は、千葉県から無形民俗文化財に指定されている。

神楽面23面が相伝され、神主家の人達によって古くから伝承されていたが、永禄年間の戦火で途絶えたと思われていた。

記録では宝永7(1711)年、新たに神楽殿を造り土師流神楽が伝承されたとされている。

現在、その技は上総神楽保存会が口伝により継承し、春秋の祭礼をはじめ年に7度奉納されているそうだ。

拝殿の右横には「平成の大改修」へのご奉賛をお願いする看板が立っている。

今回の改修は平成18(2006)年に創始1200年を迎えたのを記念して行われるもの。

前回の大改修は大正12(1923)年というから約90年ぶりとなる。

建物の歪みや腐食、漆塗の激しい剥落、銅板葺き屋根の老朽化など、その間の経年劣化は著しいものがあったそうだ。

工事が終了した暁には再びピッカピカの社殿が姿を現すに違いない。

裏手に回るとシートで覆われていたのは拝殿と幣殿だけで、幸いにも本殿は無傷(?)。

お陰で黒漆塗りの美しくも珍しい様式を拝むことができた。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]11

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主祭神の玉依姫命が海神(わたつみ)の娘である豊玉姫命の妹であることは先に触れた。

豊玉姫命といえば日本の昔話「海彦山彦」の弟、山彦こと日子火火出見命(ヒコホホデノミコト)の妻。

昔話のあらすじをザックリたどってみる。

なお「日子火火出見命」は長いので、便宜上「山彦」と呼ぶことにする。

漁師の兄・海彦と狩人の弟・山彦は一度、互いの仕事を経験してみようと道具を交換。

ところが山彦は兄から借りた釣り針を海で失くしてしまい、途方に暮れていた。

そこへ潮路を司る神が現れ、海中の宮殿(龍宮)にある桂の木の上で待つようアドバイス。

言われた通り待っていると、そこへ豊玉姫命が現れて事情を聞いてくれることに。

海神は山彦を竜宮へ招き入れると、そのまま豊玉姫命と結婚させた。

海神のおかげで釣り針を取り戻した山彦は故郷へ戻り、釣り針を返したものの海彦の怒りは収まらない。

そこで山彦は海神から預かった、塩の干満をコントロールできる宝玉で海彦を懲らしめましたとさ…という話である。

この話には後日譚があり、そちらのほうが玉前神社に直結している。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]12

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山彦の子を身籠った豊玉姫命は夫を追って龍宮から上陸してきた。

そこでお産をすることになったのだが、豊玉姫命は山彦に出産中の姿を絶対に見ないよう約束する。

しかし、その言葉を不思議に思った山彦は約束を破り、コッソリ覗き見てしまった。

すると豊玉姫命は巨大なワニに姿を変え、腹這いになってのたうち回っていた。

ワニはサメとの説もあるが、いずれにせよ、その姿を見た山彦は驚きの余り即座に逃走。

一方の豊玉姫命も見られたことを恥ずかしく思い、御子の鵜茅葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を出産すると、妹の玉依姫命に養育を託して龍宮へ戻ってしまった。

玉依姫命は陰日向となって鵜茅葺不合命を育まれた後、なんと鵜茅葺不合命と結婚。

叔母の玉依姫命と甥の鵜茅葺不合命の間には四柱の御子が誕生した。

最後に生まれた末弟の神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコのミコト)こそ、初代天皇の神武帝である。

神武天皇の御母堂が主祭神だけあって、ここは「女性」にとって霊験あらたかな神社。

古くは北条政子も懐妊の際に安産を祈願したとの伝承もある。


つまり玉依姫命はキリスト教で例えれば聖母マリアの如き存在と言えるのかも知れない。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]13

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縁結びに始まり、生理、妊娠、出産、育児…こうした女性の心身にまつわる神秘的な作用は、「月」を司る玉依姫命ご自身のお導きによるものと言われている。

また、縁結びの御利益は「男と女」に限ったものではなく、人と人の縁を結ぶ商売や事業に関わる祈願も多いそうだ。

さらに、鵜茅葺不合命の司る「旭日」は清新・発祥・開運・再生など物事の新しく始まる事象に御利益があり、それらは「月」を司る玉依姫命によって守護されている。

このように玉前神社は「太陽」と「月」に密接な関わりを持っている。

太陽と月が一列に並ぶ新月の1日と満月の15日は大潮になり、この日に月並祭が行われる習わしが現在でも続いている。

ただし15日に行われるはずの月並祭は、御例祭「上総十二社祭り」に倣って2日前の13日に行っているそうだ。

社殿の裏から左側へ回り込むと、そこには不思議な形状をした岩塊が鎮座していた。

下部を覆う土盛からは木々が伸び、その狭間には古めかしい石碑が幾つも聳立している。

岩塊の周囲には玉砂利が敷かれ、外側に注連縄が廻らされている。

注連縄が途切れている部分には竹製の鳥居が立っており、看板には「はだしの道」なる文字。

ここは靴を脱ぎ、玉砂利の上を裸足で歩いて一周するという場所らしい。

玉砂利の痛みを通じて大地のパワーを体感しようという意図か?

それとも人間の罪に対する神の罰として肉体へ苦痛を与えようという、キリスト教的な趣旨に基づくものか?

ちなみに「はだしの道」の体験歩行は遠慮させて頂いた。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]14

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さて、御例祭についての続き。

「上総十二社祭り」は千葉県の無形民俗文化財に指定されている。

玉依姫命と鵜草葺不合尊の間には、神武天皇を含めて四柱の御子が産まれたと先述した。

他の御子は五瀬命(イツセノミコト)、稲飯命(イナヒノミコト)、三毛入野命(ミケヌノミコト)の三柱。

御子たちは海までつながっていると伝えられる井戸から水路を通り、九十九里浜へ流れて行った。

「龍の如し」と云われるほど元気一杯の幼い神々は、海岸に着くや大はしゃぎで大暴れ。

そこで玉依姫命ら龍宮の神々一族は御子たちを諌めるべく九十九里浜へと向かった。

「上総十二社祭り」は、このような伝承に因んだものなのだそうだ。

「はだしの道」の更に左奥、境内の西端には「十二神社」が鎮座している。

かつて一宮町内にあった十二の社を一堂に合祀した摂末社だ。

社殿の前から玉前神社とは別の参道が西南へ伸び、鳥居を貫いて石段へ通じている。

石段は出来たばかりのようで真新しく、手すりもピカピカ。

試しに降りてみると、目の前に古い床屋さんが佇んでる。

建屋は19世紀中頃に建造された木造寄棟造妻入の平屋。

トタン屋根の下には茅葺屋根が潜んでいる。

建築された当初は「髪結い場」として地域の社交場になっていたそう。

大正時代に「吉村理容店」として床屋さんに転身し、今なお営業中だ。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]15

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玉前神社の境内に戻り、松尾芭蕉の句碑などを眺めつつ再び拝殿の前へ。

先ほど見た神楽殿と、その左横に立つ参集殿の間に石造りの小さな鳥居が立っている。

鳥居をくぐってみると貫禄のある石段が続いている。

こちらは十二神社のそれと対照的に年季が入っている。

左側に参集殿、右側に斎館と、巨大な建造物が立ち並ぶ間を下まで降り、振り返って鳥居を見上げてみる。

鳥居の台石と石段の両脇を通る石造りの側溝、その両者が一体化したデザインが秀逸だ。

石段を降りた先は小奇麗な路地。

神社側の生垣は綺麗に剪定され、向かい側の病院の生垣には薔薇が咲き乱れている。

上総國一之宮の御神域に住処を構える誇りを感じさせる風景だ。

再び一の鳥居前に戻り、来た道を引き返す。

途中、一軒の蕎麦屋があった。

名を『布袋庵』という。

寒川神社でも氷川神社でも、昼食は門前蕎麦。

玉前神社でも、やはり蕎麦にしよう。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]16

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店内に入れば、気の置けない町場の普通のお蕎麦屋さん。

お昼時とあって店内では近所で働く人たちが、日常の一部のように食事している。

メニューを見ると丼物などはもとよりラーメンまである。

門前蕎麦というより、地域の食堂的な役割を果たしているようだ。

ここで同店オススメの「季節の野菜かき揚げ天ざる」を注文してみる。

蕎麦は飛び切り美味いわけではなく、さりとて不味いわけでもない、普通の蕎麦屋の普通の蕎麦だった。

一方、かき揚げは揚げ過ぎといってもいいほどカリカリ。

だが、このぐらい揚げてもらったほうが天ざる蕎麦に合う気はする。

店を出てから、むしろラーメンのような蕎麦屋では珍しいメニューを頼んでみればよかったのかなと、少し思った

駅までの道すがら、上総一ノ宮の街並みを見て歩く。

ここは古い建物が数多く残る。

それもそのはず、一宮町は玉前神社の門前町というだけでなく、一宮藩加納家一万三千石の城下町でもあった。

とはいえ小藩ゆえ居城は陣屋、しかも往時の建物は残っていない。

なお、城跡には現在「振武館」という武道場が建っている。


[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]17

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一宮加納藩は文政9(1826)年に伊勢八田藩主の加納久儔が移封して立藩。

二代藩主久徴は幕政の要職を歴任し、公武合体政策も積極的に推進。

このため皇女和宮が十四代将軍徳川家茂に降嫁の際、京から江戸までの警護役を務めた。

皇女和宮は功績を讃え、降嫁の際に乗った駕籠を加納家に下賜。

その駕籠は今、振武館の更に西にある東漸寺に所蔵されているという。

「すいませ~ん!」

駅へ着いて電車を待つ間、駅前で案内地図の看板を眺めていると、若い女性が駆け寄ってきた。

何かの勧誘かと思って身構えたらそうではなく、観光案内所の職員だった。

地図の前にボーッと突っ立ってたので、PRするのに丁度いいカモだと思われたのかも知れない。

「お一人でいらっしゃったんですか?」

小柄で眼鏡の奥の瞳がクリッとした、なかなかに可愛い女性。

次の電車まで時間に余裕があったので、案内所で話を聞くことにした。

案内所は駅舎の中にはなく、道を挟んだ向かい側にポツンと建っている小さな建物。

そこでパンフレットなどをドッサリ頂戴しつつ、一宮町の魅力についてタップリと講釈を受けることに。

[旅行日:2013年5月21日]

一巡せしもの[玉前神社]18

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一宮町は歴史や文化遺産より、海山に近い利を活かした自然を観光の前面に押し出す戦略と見た。

駅の西南に広がる小高い丘はトレッキングに、駅から歩いて30分ほどの九十九里浜は海水浴に、それぞれ最適。

また、市街地には玉前神社や加納藩陣屋跡だけでなく、歴史ある寺や古い商家などが連なっている。

一宮町は自然と文化が絶妙に調和した町だと分かる。

「近くのお寿司屋さんは自前の田んぼで穫れた米を使ってるんですよ」

今日見て歩いた一宮町の姿など、まだ表層部分もいいところだったのだ。

それに、こうして観光案内所のお姉さん相手に長々とお話できたのも玉依姫命のご神威かも知れない。

それぐらい、この町には奥深い魅力がある。

だがしかし、残念ながら電車の時間が来てしまった。

「また来ますね」

そう言って、後ろ髪を引かれる思いで観光案内所を後にした。

駅のホームに立つと、看板に描かれた一宮町のゆるキャラ「一宮いっちゃん」と目が合った。

どことなく案内所の女性と似ているような…そんな錯覚に囚われる。

「さすが縁結びの神様だけあるなぁ…」

どことなく去りがたい気持ちを心の片隅に抱いたまま、到着した電車に乗り込んだ。

[旅行日:2013年5月21日]
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