相模國一之宮「寒川神社」

一巡せしもの[寒川神社]1

rj02鶴岡t4u00

江ノ電の小さな電車は、鎌倉の閑静な住宅街をゴトゴト走っていく。

通勤ラッシュ並みの乗客で車内はスシ詰め、車窓の景色を楽しむどころの話ではない。

だが、沿線には観光地が目白押し。

長谷駅、極楽寺駅、稲村ヶ崎駅と停車するたびに大勢の乗客が下車していく。

やがて国道134号線と寄り添うように並走を始めると、車窓には相模湾の海原が大写しになった。

その先に江の島が姿を現し、やがて沿線最大の観光地江ノ島駅に到着。

乗客がワンサと降車し、車内の人口密度は適度なレベルに落ち着いた。

電車は住宅街をユル~ッと走った後、12時35分、終点の江ノ電藤沢駅に到着した。

駅舎は頭端式のホームをカマボコ型の屋根が覆い、どこかヨーロッパの駅舎を彷彿とさせる。

改札を出て連絡橋を渡り、JR藤沢駅から12時40分発の東海道線下り電車に乗車。

乗り換え時間が5分しかなかったためJR駅の記憶は薄く、藤沢で印象に残っているのは江ノ電の駅だけ。

12時50分、乗車時間約10分で茅ヶ崎駅に到着。

次の相模線まで乗り換え時間が多少あるので、食事でもしようと駅前に出てみる。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]2

rj011寒川t4u00

茅ヶ崎駅を電車で通過したり相模線に乗り換えたりしたことは何度もあるが、こうして改札を出るのは初めて。

頭の中にはサザンオールスターズのナンバーがリフレインする以外、具体的な街のイメージが浮かんでこない。

北口改札を出て駅ビルを抜け、ペデストリアンデッキを伝って駅の西側へと伸びる商店街へ行ってみた。

食事のできる店は散見されるが、どれも味気ないチェーン店ばかりで、いまひとつ食指が動かない。

さらに幾つか角を曲がって店を物色。

いい感じの店があるにはあるのだが。

日曜閉店やら昼時で満員やら、どうにもままならない。

結局、昼食は諦めて駅へ戻ることにした。

茅ヶ崎駅13時18分発、相模線1369F電車に乗り込む。

晴朗なる日曜の昼下がり、暖かい車内、乗客は疎ら。

適度に睡魔を誘う心地良い空間が醸しだされている。

しかしウトウトする間もなく13時27分、寒川駅に到着。

寒川神社だけにここが最寄り駅かというと、実はそうではない。

それどころか、ここから歩くと実は結構な時間を喰ってしまう。なら、なぜ下車したのか?

一の鳥居をくぐって表参道を行くのなら、むしろ寒川駅から向かったほうが都合がよいからである。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]3

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北口から駅前に降り立ってみると、再開発されたせいか町並みがガランとしている。

駅前を道幅の広いロータリーがグルリと巡り、内側にはタクシープール、外側には幅広の歩道。

とはいえ乗降客も少なく、タクシーの運転手も手持ち無沙汰な様子でタクシープールに佇んでいる。

しかも背の高い建物がマンションぐらいしかなく、空が高く広く見える。

ただ、再開発以前の商店街は、やはり空洞化が進んでいたのだろう。

古い家並みを取り壊してビル化し、車が入りやすくなるよう道路を拡張する。

宅地化の進む郊外でよく見かける光景ではあるが。

いにしえの街角を愛する自分の目には非常につまらない所業と映る。

しかし、そこで生活している方々にとって町並みがキレイになるのは喜ばしいこと。

時代とともに古い家並みが消えていくのは、やむを得ないことだとも理解している。

それだけに、今まだ残されているいにしえの街角を、この目に焼き付けておきたいと思うのだ。

線路沿いの細い道を西へ向かう。

まだこの一帯に再開発の魔の手は及んでおらず、歩いていて気分が落ち着く。

県道46号線の跨線橋を超え、再び細い路地を抜けると大門踏切前なる交差点に出た。

(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]4


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そこには黒光りした巨大な鳥居がドンと聳立し、右横には石柱が立っている。

表面に「寒川神社表参道」と刻字されているから、これは社号標ではない。

ここが参道の入口であり、鳥居が一の鳥居であることを示しているわけだ。

さすが“大門”という地名だけあって、一の鳥居も堂々としたもの。

鳥居の下から寒川神社方面を眺めてみる。

入口から境内まで参道の長さは約1キロメートルほどか。

真ん中は一方通行で1車線の車道、両脇に細い歩道、その外側は一段高い土塁。

土塁には高い喬木と低い灌木が連なり、鬱蒼たる樹影で路面は陰っている。

歩道をトボトボ歩いていると、後ろから声が聞こえた。

「スミマセ~ン!」

振り返ると自転車が3~4台、連なって走ってきた。

全員が東南アジア系の青年で、荷台に大きな荷物を積んでいる。

何か仕事の途中だろうか? 不思議な光景だった。

新緑の梢から射し入る木漏れ日を肌に感じながら参道を歩く。

そのうち右側の土塁が途切れて車道が合流し、上下1車線ずつになった。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]5

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その直後、二の鳥居が姿を見せた。

これはデカい!

一の鳥居も大きかったが、さらに輪をかけて大きい。

交差点でもなく、特に近くに何か宗教施設があるわけでもなく、唐突に現れた感がある。

かといって近くに何もないわけではなく、東側には大きな園芸店と果樹園がある。

二の鳥居をくぐって再び参道を進みながら、寒川神社について考えてみた。

寒川神社の創立は今から1500年以上も前の雄略天皇御代。

一方、鶴岡八幡宮は康平六(1063)年に源頼義が石清水八幡宮の八幡大神を勧請したのが始まり。

鶴岡八幡宮の創立は延喜式における一之宮制定の時期よりも相当遅く、その意味では元来の一之宮ではない。

また、伊勢國の都波岐奈加等神社や志摩國の伊射波神社のように、寒川神社と間違われて一之宮と伝わったわけでもない。

足利幕府や徳川幕府も源氏の流れを汲む武家政権である以上、後世になって源氏武士の象徴ともいうべき鶴岡八幡宮を一之宮として見做すようになったのは必然の理。

いずれにせよ、相模国の一之宮制度は他国に見られない珍しいケースではある。

そんなことをボンヤリ考えていたら、再び背後から自転車。

今度は馬鹿そうな日本人の若造である。

「スミマセーン!」もなく、何も言わず狭い歩道をスピードを出し、すぐ横を通り過ぎて行く。

思わず車道に蹴り出してやろうかと思ったが、神前なので自重した。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]6

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やがて参道の先に、灯籠が据えられた三叉路が見えた。

右手が参道、左手は一般道と、道が二手に分かれている。

右の道を往くと、いよいよ寒川神社正門のお出まし。

手前には真新しく立派な神橋、その右側に社号標、そして奥には木製の三の鳥居。

神橋は老朽化のため平成二十三(2011)年に架け直され、「神池橋」と命名された。

鶴岡八幡宮では参拝客の渡橋を禁じていたが、ここでは堂々と渡ることができる。

三の鳥居は桧造りの明神鳥居。

平成二(1990)年に「紀元二六五〇年奉祝記念事業」として立て直されたものだ。

三の鳥居をくぐった先の右側に“先代”三の鳥居の“遺骸”が横たわっている。

元は寛政八(1796)年に建立されたものだが、安政二(1855)年の安政江戸地震、大正十二(1923)年の関東大震災と二度にわたり倒壊。

往時の大きさは高さ約3.3メートル、柱間約3メートル。

長いこと境内の門番を務めてきた鳥居を破棄するに忍びなく、往時を偲んで“安置”してあるそうだ。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

【話題の本棚】歴史の読み解き方 江戸期日本の危機管理に学ぶ』磯田道史

一巡せしもの[寒川神社]7

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神池を右手に見ながら前へ進むと正面に神門。

随神門ではない重層の門で、竣功は平成五(1993)年と完成からまだ20年しか経っていない。

神門をくぐって中に入ると広くて清廉な境内が広がる。

神門から本殿に向かって東西を廻廊でグルリと囲われている。

ちなみに境内の広さは約1万5000坪もあるそうだ。

真正面に立つ社殿は平成九(1997)年10月の竣功。

拝殿、幣殿、本殿のほか、あまり他の神社では見かけない翼殿が東西に伸びている。

このため社殿の印象は全体的に横長で、拝殿に張られた注連縄の長さがそれを象徴している。

拝殿の前で瞳を閉じて頭を垂れ、柏手を打ちスーッと息を吸い、手を合わせて息を止め、神と意識を“シンクロ”させる。

御祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)で、二柱を以って「寒川大明神(または大神)」と奉称されている。

ただ両神とも古事記にも日本書紀にも登場せず、それどころか古くから御祭神は諸説あり一定ではなかったという。

古代では寒河神、近世では八幡神(応神天皇)、ほかにも菊理媛、素盞鳴尊、稲田姫命であるとも。

明治時代に入ると御祭神に寒川二柱が加えられ、大正時代になってようやく正式に定められた。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]8

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千年の時を超えて世に姿を顕した寒川大明神…その正体は一体何者なのか?

紀元600~700年の飛鳥時代、ヤマト王権は地方支配のため全国に「国造」(くにのみやつこ)という現地雇用の役人を配置した。

当時の相模国は相武(さがむ)国と磯長(しなが)国に分かれており、寒川神社一帯の相模川流域は相武国造の支配下。

古事記には景行天皇の御代、東国征伐に赴いた倭武(ヤマトタケル)命を相武国造が罠に嵌めて暗殺しようとしたとある。

しかし、すんでのところで難を逃れた倭武命は相武国造一族を成敗し、この一帯を焼き払ったそうだ。

この相武国造こそ寒川比古命であり、その妻が寒川比女命ではないか? という説がある。

確かに倭武命に歯向かった人物が記紀に登場するはずはない。

それでも相模国では寒川大明神として崇められ続け、鎌倉に鶴岡八幡宮という日本政府そのもののような一之宮が誕生しても廃れることがなかったという事実は、よほど地元の人々から慕われていたのか。

相武国造、ヤマト王権に歯向かったため単に歴史上から抹殺されただけで、実は傑出した人物だったのかも知れない。

なぜか、急に無性に会ってみたい気がしてきた。

(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]9

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参拝を終えてフッと横を見ると、妙な形をしたモニュメントが目に止まった。

説明板には「方位盤(ほういばん)と渾天儀(こんてんぎ)」と銘打たれている。

モニュメントは「八方除」に因んだ三つの構造物「方位盤」「四神の彫刻」「渾天儀」により構成された記念碑。

方位盤は四正(東西南北)と四隅(東北/東南/西南/西北)の八方位と中央の九星・十干十二支を、八方には易の八卦を配置。

四神は四方の方角を司る霊獣で、東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄武を配置。

渾天儀とは本来、天体の位置を測定する器具だが、星の運行は国家の命運すら左右すると考えられていた往時には、単なる気象道具を超越した“神具”と見做されていた。

寒川神社は全国唯一「八方除」の守護神として知られ、全国各地から祈祷を受けるため参拝者が集う。

「八方除」とは凶となる方向を避けて克服する祈願のことで、御神徳は実に広大無辺とも言われている。

その方法は陰陽五行、十干十二支、九星八宮を配して、住居、方角、運勢などの吉凶を判断。

地相、家相、方位、日柄、厄年などに由来する一切の災禍を取り除き、福徳開運をもたらすというもの。

つまり、このモニュメントは寒川神社の象徴ともいうべき代物なのだ。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]10

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神門を出、八方除祈祷を受け付ける客殿へ立ち寄ってみる。

全国でもここでしか受けられないとあって、広いフロアには参拝客が長い行列を為している。

これだけ参拝客が押し寄せれば神社の経営も裕福なはずだ。

楼門から社殿の隅々に至るまで、どこも真新しくピカピカだったのも頷ける。

客殿の南にある社務所へ御朱印を賜りに立ち寄る。

受付に人はおらず、呼び鈴を押すと中から出てきたのは神主さんでも巫女さんでもない。

Yシャツにネクタイ、スラックスという、普通の事務職の格好をした中肉中背で中年のおじさん。

御朱印帳をヒョイと受け取るや奥へ行ってパパッと押捺墨書し、御朱印帳を返却して初穂料300円を受け取るまで、一連の過程に余計な装飾がない。

神社なら少しは宗教的な装飾があっても良さそうなのに、まるで役所で印鑑登録証明書を発行してもらうかのよう。

一連のテキパキとした流れ、神社という宗教“施設”ではなく、宗教“法人”としての組織的な対応なら得心がいく。

それに、意外と嫌な感じがしない。

多分、一部上場企業の決算書でも見るかのように、曖昧なところがないせいだろう。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]11

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社務所で御朱印を待つ間、書類差しにあった様々な資料を頂戴する。

その中に「相模国府祭(さがみこうのまち)六社めぐり」なるリーフレットが。

「相模国府祭」とは毎年5月5日に相模国の古社六社が大磯の祭場に集い、国家安泰・五穀豊穣・諸産業の繁栄を祈念するという相模国最大の祭典。

祭場のある神揃山(かみそりやま)は平安時代後期に相模国の国府が置かれたと伝わる場所だ。

その六社とは次の通り。
もちろん鶴岡八幡宮は含まれていない。

  • 一之宮 寒川神社
  • 二之宮 川勾神社(かわわじんじゃ)二宮町
  • 三之宮 比々多神社(ひびたじんじゃ)伊勢原市
  • 四之宮 前鳥神社(さきとりじんじゃ)平塚市
  • 五宮格 平塚八幡宮(ひらつかはちまんぐう)平塚市
  • 総社 六所神社(ろくしょじんじゃ)大磯町

相模国が相武国と磯長国に分かれていたことは先に触れた。

その両国が合併して相模国になるのだが、ここで大きな問題が発生。

相武国の寒川神社と磯長国の川勾神社、どちらが相模国一之宮になるかで大モメにモメたとか。

これを神事化したのが、神奈川県の無形民族文化財にも指定されている「座問答」(ざもんどう)という儀式。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]12

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寒川神社と川勾神社が「神座」を意味する虎の皮を上座へ上座へと三度づつ敷き合い、互いに一之宮であることを主張。

「神座」の奪い合いは決着がつかず、前鳥神社や平塚八幡宮が案じている。

そこへ仲裁役である比々多神社の宮司が割って入り

「いずれ明年(みょうねん)まで」

の鶴の一声で円満解決、神事は終了するという。

ただこれだけでは、なぜ寒川神社が相模国一之宮となったのか、その理由が全く分からないのだが。

一緒に頂戴した社報「相模」の表紙に「座問答」の様子を撮影した写真が掲載されている。

確かに神職が虎の皮を両腕で抱え、前へ前へとにじり寄っている。

それにしても、なぜ虎なのだろう?

虎は“武”の象徴でもある。

今でこそ皮の運び合いに様式化されているが、千年以上も昔は本物の武力衝突があったのかもしれない…あくまで想像だけど。

皮の運び合いを三度も繰り返しているのは、両社の争いが長期戦だったことを象徴化しているのだろうか?

さらに「いづれ明年まで」という言葉は、毎年同じ文句を言い続けることで争いを永久に先送りしようという“神の知恵”なのか?

日本民族お得意の“先送り”は、こうして脈々と受け継がれてきたお家芸なのかも知れない。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]13

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社務所を出、来た時の表参道ではなく、東側にある細い道を通って帰る。

寒川神社は何故か「視聴率祈願の神社」としてテレビ関係者からも篤く信仰され、新番組が開まる前には関係者一同こぞって参拝する姿を“拝める”そうだ。

ちなみに「水戸黄門」や「踊る大捜査線」がヒットしたのも、ここに参拝したお陰…という“伝説”もあるとかないとか。

その伝説の根拠がどこにあるのかは、いまひとつ良く分からないのだが。

また、寒川神社は宗教法人として総合病院も経営しており、地域一帯の医療や介護の中核を担っている。

地域住民のメンタルを神社が、フィジカルを病院が、それぞれケアしているということか。

私のような傍観者から見れば、神社と地域社会の理想的な姿にも見える。

西相模一帯で寒川大明神が長らく崇拝されてきた理由が、分かるような気がした。

昭和四(1929)年に創建された元の神門を移築したという南門を抜けると、そこは茶店が居並ぶ一角。

といっても蕎麦屋がトレーラーハウスだったり、団子屋がプレハブだったり、壮麗な社殿群に比べると建造物が貧相に見える。

腹が減っていたので何か食べようかと思う一方、それを思いとどまらせる何らかの作用が心のどこかで働いた。

多分、蕎麦の器が発泡スチロール製だったからだろう。“八方”除と言いつつ“発泡”スチロールなのに興醒めしたのかも知れない。

ただ、土産物を商う売店の建造物は立派。

しかし何も買わずに神池の方角へ向かう。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]14

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神池はそれほど広くなく、ベンチなどが配置され、むしろ憩いの場として整備されたかのよう。

先の売店で蕎麦を贖い、ここで食べようかとも思ったが結局は気が進まなかった。

三の鳥居を出て神橋を渡り境内の外へ出ると、右手に巨大な建物が。

寒川神社の参集殿。

結婚式や七五三、お宮参りなど人生儀礼の祝宴が催される非常に目出度い宴会施設だ。

一階に「あおば」というレストランが営業中だったので寄ってみる。

ごく普通のファミリーレストランながら接客が丁寧で、さすが寒川神社の経営だけあると感心。

メニューは中華、和食、洋食なんでもござれ。松花堂弁当の「にぎわい膳」など酒の肴(あて)に持って来いだろう。

しかし、先ほどの発泡スチロール蕎麦の記憶が脳裏に滞留していたせいか、ここは「天ざる蕎麦」を注文。

さらに「湘南ビール」も合わせてオーダーする。

読んで字のごとく、湘南の地ビールだ。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]15

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原料は麦芽とホップのみで丹沢山系の伏流水を使用。

ドイツの伝統的製法に則った無濾過無ろ過、非加熱処理で醸造されている。

湘南ビールにはピルスナー、シュヴァルツ、アルトと三種類あるが、出てきたのはピルスナー。

黄金色をして飲み口が軽い、日本で最も飲まれているビールのタイプと説明すればよいか。

三種類の中で最も軽目で飲みやすいはずだが、それでもホップの苦味が効いてコクのある地ビールならではの味わい。

そのピルスナーを飲みながら暫し蕎麦を待つ間、社務所で頂いた資料をパラパラ眺めていると一葉のリーフレットに目が止まった。

表紙には「神嶽山神苑」(かんたけやましんえん)とある。

本殿北側に広がる裏山を整備し、平成二十一(2009)年に開苑した庭園だ。

「神嶽山」とは、寒川神社の起源に深い関わりを持つ聖泉「難波の小池」(なんばのこいけ)を懐に抱く神聖な森。

苑内には池泉回遊式の日本庭園が広がり、難波の小池や神嶽山遥拝所の他にも、茶屋や茶室、石舞台などが設えてある。

ここには八方除に関する資料を集めた「方徳資料館」もあり、寒川神社の歴史や方除信仰の根源についても学べるそうだ。

ここで天ざる蕎麦が到着。

専門店でもないレストランのいちメニューだし門前蕎麦ということもあり、味わいについてはこだわらないつもりだった。

とはいえ揚げたての天ぷらが湘南ビールの味わいとマッチし、意外と(言っては失礼だが)美味。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]16

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蕎麦をズルズル啜りながら、再びリーフレットに目を落とす。

公開期間は三月上旬から十二月上旬まで。

祝祭日を除く毎月曜は休苑。

入苑料は無料…無料!? しかも茶屋「和楽亭」では季節の菓子と抹茶の接待も受けられる…とある。

さすが裕福なだけあってサービスも太っ腹。

食事が終わったら早速行ってみないと。

そして案内文は最後、こう締めくくられていた。

「入苑は御本殿で御祈祷を受けられた方に限ります。」



なるほど、世の中そんなに甘くはない。

とはいえ、祈祷料は一件につき三千円。

これで全ての悪事災難が祓い除かれ、しかも寒川神社の起源にも接することができるのだから、思ったほど高くはない。

ただ、今から祈祷をお願いしても長蛇の列の最後尾だし、入苑時間に間に合うかどうか定かではない。

なので神嶽山神苑は諦め、あおばでの食事も終了。

蕎麦の値段は売店のそれを遥かに凌駕したが、接客は丁寧だし、その価値は間違いなく倍以上かと思われる。

売店ではなくこちらの蕎麦を選んだのは、寒川大神の思し召しなのだろうか?

(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]17

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帰路は寒川駅ではなく、北隣の宮山駅へ向かう。参拝前、三叉路で二手に分かれた左側の一般道へ。

寒川大橋を渡り住宅街の細い道に入ると、JR相模線の線路が擦り寄ってきた。

その刹那、轟音を立てて電車が通り抜けていく。

これが秘境駅なら電車を追って駆け出すところだが、相模線は運転間隔が短いので焦ることはないだろう。

駅へ近づくと、道端に寒川神社への案内板を発見。

距離的には寒川駅より宮山駅のほうが圧倒的に近い。

ただ、参拝するからには、やはり一の鳥居をくぐって表参道の入口からキチンと訪ねたい。

そうしないと、心から参拝した気にはなれないのだ。


(つづく)

[旅行日:2013年5月19日]

一巡せしもの[寒川神社]18

rj092寒川t4u24

案内板と道を挟んだ向かい側にコンビニがあり、その横から路地に入る。

突き当りに佇む、こじんまりとした宮山駅駅舎。

諸国一之宮の最寄り駅でも、飛び抜けて小さいのではなかろうか?

駅前に食堂や土産物店などはなく、米屋が一軒だけ健気に店を開けている。

むしろこの光景のほうこそ、宮山駅には似合っている気がする。

壮麗ではあるが決して華美ではない寒川神社の結構と、どこか相通じるものを感じたからだ。

てっきり無人駅かと思っていたら、ちゃんと駅員が常駐していた。さすが首都圏の近郊区間だけある。

やがて橋本行きの電車がゆっくりと姿を現し、適度に混雑している車内に身を滑らせ、寒川神社を後にした。


(相模國一之宮「寒川神社」おわり)

[旅行日:2013年5月19日]
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