西参道から境内の外側をグルリと回り込んで北参道側の正面に出る。
どデカイ社号標には太々と刻まれた「諏訪大社本宮」の文字。
諏訪大社に四宮ある中、我こそが“中心”だと主張しているかのよう。
右隣に立つ石造りの巨大な明神鳥居を眺めつつ、諏訪大神の正体について考えてみた。
もちろん主祭神は建御名方神だが、神橋のところでは全く関係なさそうな甲賀三郎が出現。
建御名方神の背後には別々の“神々”が幾つも、まるで影のようにチラチラと姿を伺わせているのだ。
中でも、特に伊勢津彦[いせつひこ]について触れないわけにはいくまい。
伊勢津彦とは「伊勢国風土記」逸文に登場する豪族。
神武天皇の東征に付き従っていた天日別命[あめのひわけのみこと]が伊勢国へ攻め入った際、そこを支配者していた国津神のことだ。
天日別命が伊勢国を天孫に献じるよう迫ると、それを伊勢津彦は拒否。
天日別命が大軍を率いて再び脅迫すると、今度は承服した。
伊勢を去る証を示すよう言われると「大風を起こして海潮を吹き上げ、大波に乗って東国へ行く」と返答。
本当か否か天日別命が様子を窺っていると、深夜近くなって突然強風が吹き始めて波飛沫が舞い上がり、伊勢津彦は光輝く中を波頭に乗って東へ去って行った。
ちなみに「神風の伊勢国、常世の浪寄する国」という古語は、これに由来している。
この逸話、古事記に出てくる出雲の国譲り、武甕槌神との力競べに負けて洲羽(諏訪)へと追いやられた建御名方神の神話とオーバーラップして見える。
なお、天日別命は伊勢津彦を放逐した後、伊勢を統治。
皇太神宮(伊勢神宮内宮)の大神主、伊勢氏の祖になったと伝わっている。
[旅行日:2016年12月12日]