諏訪下春15*

その神楽殿の右脇に巨大な杉の木が立っている。

一つの根元から途中で二股に分かれている「連理の木」、別名「木連理」。

「縁結び」や「夫婦和合」の象徴として、よく神社の境内で見かける。

ここの木連理も「縁結びの杉」と呼ばれているそうだ。

その先に、なぜか建御名方神を祀った末社「上諏訪社」が立っている。

諏訪大社は上下社四宮でひとつの神社のはず。

ちなみに上社の祭神は本宮が建御名方神で前宮が八坂刀売神。

いずれも下社でも祭神なので、春宮では建御名方神が重複して祀られていることになる。

小さな末社ではあるが、その存在の陰に諏訪大社の祭神に関するそこはかとない謎が潜んでいるのかも知れない。

諏訪下春26*

神楽殿と結びの杉の間を通り抜けて社殿の前に進むと、そこに一本の巨大な木柱が聳立している。

言わずと知れた諏訪大社の象徴「御柱[おんばしら]」。

右横から奥を覗くと、そこにも同じ柱。

左側を見ると、向こうの端にも同じ柱。

それもそのはず、御柱は御神域を囲む四角形の四隅に配置されているのだ。

目の前にあるのが一之御柱で、社殿を中心に時計回りで二、三、四の順番で取り囲んでいる。

この4本の御柱で御神域を囲む形状は四宮すべて共通だ。

御柱に用いられるのは樹齢150年を優に超える樅[もみ]の大木。

長さ約17m、直径1m余、重さ約10トンにも及ぶ。

確かに御柱を下から仰ぎ見ると相当な大きさ。

木肌は綺麗に磨かれてスベスベだが、枝を切り払った数多の節目が不気味に浮き出し、まるで諏訪の大神が森羅万象を見通している「神の眼」の如き畏怖を感じる。

ようやくたどりついた社殿の前に立ち、改めて仰ぎ見る。

中央に幣拝殿、左右に片拝殿という配置は秋宮と同様。

だが片拝殿は幅が短く、屋根が片切りになっている点が異なる。

秋宮のところでも触れたが、春宮は芝宮長左衛門が請負い、安永9(1780)年に竣工させた。

また、秋宮を担当した初代立川和四郎富棟との間には、人間模様を彩る様々な言い伝えが残されている。

春宮側の人足が和四郎の仕事の邪魔をしようと、闇夜に紛れて秋宮へ忍び込み建材の柱を切った。

すると、それを見越していた和四郎は予め長めに切っておいたため、切られた柱は寸法通りスッポリと目的の場所にハマったと言い伝えられている。

また、先に仕上がった春宮を見に行った和四郎が正面蘭間の竜を見て「死んだ竜が刻んである」と貶した。

すると長左衛門は「悟りを開くと動物でも腹を出して休むのを知らんのか?」と笑い飛ばしたいう。

それから少し後の秋宮竣工の時、長左衛門が脇飾りの竹に鶴の彫刻を見て「竹の下にあるのは筍かと思ったが、葉の重なりが百合の芽だ」と笑い返したそうだ。

諏訪下春20*

[旅行日:2016年12月12日]