正面に石鳥居と社号標、左手に手水舍が見えてきた。
それにしても、秋宮に比べると門前はかなり窮屈だ。
普通なら境内にある手水舍も県道に面して立っている。
もともと春宮の境内だった土地が区画整理で一般の市街地になったのだろうか?
石鳥居を真下から仰ぎ見る。
テッペンまでの高さは8m20cm。
御影石製で建立は万治2(1659)年と推定されるが、施工した石工の名は伝わっていない。
建てる際は片付け賃を入れた土俵を積み上げて足場を築き、その上で鳥居を組み立てた。
工事後、工夫らが土俵をアッという間に持ち去ったので、施工現場はキレイに片付いたそうだ。
鳥居をくぐりつつ下社の祭神について考える。
諏訪大社下社の祭神が秋宮春宮とも建御名方神と八坂刀売神の夫婦神、それに兄神の八重事代主神が配祀されていることは秋宮で触れた。
建御名方神と八重事代主神は「出雲国譲り神話」で中心的な役割を果たした兄弟神だが、妃神の八坂刀売神についてはよく分からない。
もともと建御名方神は古事記にのみ現れて日本書紀には登場しないが、八坂刀売神は古事記にすら登場しない。
諏訪地方土着の神なのかも知れない。
では祭神が下社の秋宮と春宮それぞれに祀られているかというと、そうでもない。
実は半年ごとに祭神は両宮を行ったり来たりしている。
毎年2月1日には御霊代[みたましろ]を秋宮から春宮へ遷す「遷座祭」。
半年後の8月1日、今度は春宮から秋宮へ遷座する「下社例大祭」が、それぞれ行われる。
夏の例大祭は別名「お舟祭」。
遷座の神幸行列に続き、青柴で作った大きな舟に翁媼の人形を乗せた柴舟が、氏子数百人の手で曳行されることが名の由来だ。
柴船が秋宮へ曳航?されると神楽殿を三巡、神事の相撲三番が行われて式は終了、翁媼人形は焼却される。
明治初頭までは柴舟を裸の若者たちが担ぎ街を練り歩いたので「裸祭り」とも呼ばれているそう。
ただ、遷座祭で奉献される玉串は榊ではなく、なぜか楊柳(川柳)。
諏訪大社独特の風習なのだろう。
緩やかな勾配を登っていくと正面に神楽殿が待ち構えていた。
秋宮と同様、軒先には巨大な注連縄が張られている。
ただ、建物そのものは秋宮より小さく、造りも簡素。
石段の数も少なく、秋宮にはあった狛犬も濡縁の高欄もない。
とはいえ春宮の神楽殿は数ある大社の建物の中で最も修改築が多い建物。
天和年間(1680年代)の改修に加え、最近では昭和11(1936)年に大改修が施されている。
[旅行日:2016年12月12日]