県道185号線は春宮大門の交差点から県道184号線、通称「大門通り」に名を変える。
社頭から一直線に伸びる表参道で、その長さは約800mあるそうだ。
大門通りと中山道の春宮大門交差点に巨大な鳥居が聳立している。
扁額や装飾の類は一切なく、全体が薄緑色なのは表面を青銅板で覆っているからだろう。
件のスーパーの前を通り過ぎ、春宮へ近づくにつれて次第に繁華さは薄れ、落ち着いた住宅地の風情が漂う。
この「大門通り」、かつては春宮の専用道路だった。
下社の大祝金刺一族をはじめ多くの武将たちが流鏑馬を競った馬場だったという。
かつては道路の両脇に「さわら並木」と呼ばれた大木が並び、昼でも薄暗いほど鬱蒼としていた。
しかし枯死、風倒、舗装のための伐採などで並木は次第に失われ、昭和39(1964)年に最後の1本が枯死したことで往時の面影は失われてしまった。
大門通りの右側に巨石が並ぶ一角がある。
これらは「力石」と呼ばれ、昔から村の集会場の庭に置かれていた。
重いもので約60kgあり、昭和の初期ごろまで若者たちの力比べに使われていたそうで民俗的にも貴重な資料とのこと。
その先、大門通りの真ん中に、まるで行く手を阻むかのようにドンと立つ古風な建物。
御手洗川に掛けられた「下馬橋」という橋で、その形状から「太鼓橋」とも言われている。
石積みの土台に木製のアーチ橋で、上には大ぶりの屋根。
梁行(横)は1・8間(3・35m)、桁行(縦)は5・5間(9・95m)、棟高(屋根のテッペンまでの高さ)が5・35mというから、そこそこ大きい。
最初に建立されたのは室町時代と伝わるが鎌倉時代の建築様式をもって建てられ、簡素な中にも力強さと美しさを兼ね備えたデザインが特徴的。
現在の下馬橋は元文年間(1736〜1740)に修築されたものだが、それでも下社では最も古い建物にあたるそうで、宮大工の三井伝左衛門の手によるものと言われている。
ただ、本来檜皮葺だった屋根は昭和35(1960)年に銅板葺に改修され、同時に橋の踏み板も取り替えられている。
往時は、たとえ殿様であっても駕籠や馬から下りるよう求められたことが橋名の由来。
同時にここは春宮に参拝する際、下を流れる御手洗川の水で身を清める場所だった。
しかし現在の御手洗川はコンクリートで塞がれ、まるで暗渠のよう。
だが、橋の下の部分だけは溝蓋状で取り外せるようになっている。
現在は原則として通行禁止になっているが、年二度の遷座祭の行列でのみ神輿だけが下馬橋を渡ることができる。
また御柱祭での曳航でも春宮を経由した秋宮の御柱は、一旦ここで一夜を明かして秋宮へ向かう。
[旅行日:2016年12月12日]