そのルーツは、やはり「大原騒動」。
安永8(1779)年、一揆で荒廃した社殿の大造営竣工を記念して行われた遷座奉祝祭にある。
飛騨国中の代表神社から神輿や祭り行列を招請し、3日間にわたって催行された。
天下泰平や五穀豊穣などを祈願する一方、大原騒動で疲弊した飛騨の人々の心機を奮い起こしたそうだ。
「世相の凶[あ]しきを吉に返す世直しの大まつり」
この謳い文句こそ「飛騨の大祭」の本質を現しているだろう。
以来、飛騨各地の神社で凶時や異変の折に斎行され、今日に至っている。
字が掠れて読みにくい看板に、なぜ「大祭」と書かれているか分かったのか?
それは、全く同じ看板が鳥居の前に立っていたから。
違うのは日付が「平成二十九年五月三日より六日まで」となっていること。
平成二十九年…つまり次の大祭は来年開催される。
前回開催されたのは昭和35(1960)年というから、27年ぶりの斎行になるわけだ。
「大祭」の看板の隣には古い社号標が立っている。
いや、正確には社号標ではなく、表には「國幣小社」と刻まれているのみ。
通り水無神社は明治4(1871)年、近代社格制度の国幣小社に列格した。
翌年には世襲神主である社家を廃絶し、戦後の神社制度改正まで官選の宮司が任命されてきた。
島崎藤村の父正樹も、この官選宮司として赴任してきたことになる。
その隣には古びた木製の賽銭箱。
正面には神紋があしらわれている。
6つの瓢箪を「水」の字に合わせた形状。
安永年間に梶原大宮司が考案したと伝わっている。
瓢箪は古事記にも登場するほど、神代の昔から水を汲む器として用いられてきた。
主祭神の水無大神は水を司る神。
いかにも瓢箪は似つかわしい。
[旅行日:2016年12月11日]