境内へ入ってすぐ左側に大きな建物がある。
絵馬殿。
その名の通り内壁には数多くの絵馬が掲げられている。
縦6本×横5本の柱が巨大な屋根を支えている。
壁は上部にしかなく、下部は吹き抜けだ。
棟札によると建造は慶長12(1607)年。
当時の高山城主、金森長近が造営したと記されている。
大原騒動の後遺症で両部神道が唯一神道に改められた際、仏教関係の一切が破却、移転、改築された。
そんな中、取り壊しを免れたのが拝殿だった。
江戸時代が終わって明治3(1870)年、当時の高山県知事は飛騨の国中から醵金[きょきん]を募って新たに社殿を造営。
その際、建築様式を神明造りに統一したため、従来の入母屋造りだった拝殿が不釣合いになり、取り壊されてしまった。
これを惜しんだ氏子衆は解体後の建材を保管。
明治12(1878)年、拝殿の再建を願い出た氏子衆は広く浄財を募り、保管していた建材を用いて元の位置へ復元したという。
その後、昭和に入ると政府の管理下で大造営が行われたが、第二次世界大戦の敗戦で中断。
さらに戦後の昭和29(1954)年、境内を拡張するため前に社家(山本家)の屋敷があった場所に移築。
昭和53(1978)年には柿[こけら]葺きだった屋根が銅板に葺き替えられ、高山市に編入される前の宮村重要文化財に指定されている。
絵馬殿の中に、ひときわ大きな看板が掲げられている。
絵は描かれていないので絵馬ではない。
墨書で大きく「大祭」と書かれているが、古い看板らしく字が掠れて読みにくい。
この大祭とは「飛騨の大祭」のこと。
飛騨地方独特の祭礼で、全国でも他に類を見ない神事という。
[旅行日:2016年12月11日]