水無34-030

拝殿正面の左右に青銅製の灯篭、その外側に狛犬、その更に外側に石灯籠が立っている。

この石灯籠は幾度も登場している代官の大原彦四郎が安永8(1779)年に寄進したものだ。

言うまでもなく彦四郎は江戸時代屈指の百姓一揆「大原騒動」の元凶(?)となった代官。

歴史上の呼称は「安永騒動」だが、代官の姓をとって「大原騒動」と呼ばれているところに一揆の根深さを感じる。

だがしかし、彦四郎は一揆の鎮圧と大増税による年貢収入アップの功績が高評価。

代官より格上の布衣[ほい]郡代に昇進する。

まさに領民を虐げて出世の階段まっしぐら…という悪代官の見本みたいな彦四郎だったが。

農民の苦難を顧みることもなく驕り高ぶった態度を諌めた妻を離縁。

翌日、安永6(1777)年8月15日、妻は自らの手で命を断った。

その後、彦四郎は眼病を患い失明し、神仏にすがる毎日を送る。

そしてこの灯籠を奉納した年、彦四郎は急病を発症。

高熱に魘[うな]される中、この世を去った。

非道の限りを尽くして立身出世を手に入れても、人生への幸福に結びつかなければ何の意味があろうか?

いや、彦四郎は自らの幸福のために圧政を敷いたのではなく。

幕臣として自らの任務を忠実に果たしただけなのかも知れない、多分。

だが、飛騨の苦難は悪代官が亡くなっても終わることはなかった。

悪政は彦四郎の息子、大原亀五郎正純へと引き継がれていったからである。

[旅行日:2016年12月11日]