両面宿儺
(「両面宿儺」像/円光作/飛騨千光寺蔵)

両面宿儺とは5世紀初頭ごろ、乗鞍山の麓に住んでいたとされる伝説上の怪人。

その姿は『日本書紀』仁徳天皇65年条に描写されている。

    ひとつの胴体と、背中合わせになった前後ふたつの顔面。
    ふたつの顔は頭頂で一つになるので、項[うなじ]はナシ。
    足に膝[ひざ]はあっても膕[よほろ=膝の後ろの窪み]はナシ。
    力持ちで敏捷で、左右に剣を帯び、左右2組(計4本)の手で2組の弓矢を射る。
    天皇の命に従わず、略奪を楽しみ民を苦しめていた。
    このため天皇は難波根子武振熊[なにわのねこたけふるくま]を遣わせ、これを殲滅。
    難波根子武振熊は大和の豪族、和珥臣[わにのおみ]の祖先である。

読むからに容貌魁偉、領民を苦しめる悪の化身みたいなイメージを受けるが。

「両面宿儺」とはヤマト王権がつけた賤称で、正体は古代飛騨地方を支配していた豪族の首長。

中央の支配に抵抗して飛騨を守ろうとした豪族を、ヤマト王権側がデフォルメしたものと言われている。

「両面宿儺」は高度な建築技術を持つ“飛騨匠”の集団を掌握して飛騨を治めていた。

そこには飛騨の風土に生きてきた人々の自尊心や自負心、篤い信仰心が投影されているに違いない。

水無神社と千光寺が密接にリンクしていた神仏習合時代の祭神は両面宿儺だったろう。

それが大原騒動で両部神道から唯一神道に改められた際、祭神が大年神に改められたのではないか?

では、なぜ新たな祭神に大年神が選ばれたのだろう。

飛騨地方は山岳地がほとんどで耕作に適した土地が極端に少ない。

そのため稲作の守護神たる大年神を主祭神に迎え、希少な農業生産を守ろうとしたのか。

しかし、それなら稲作ではなく林業の神を祀った方が理に適うだろう。

水無神社の祭神のことを考え始めると、謎が謎を呼んでキリがなくなる。

[旅行日:2016年12月11日]