水無25-0024

黒駒の隣には木彫りの白駒が立っている。

こちらの作者は飛騨の工匠、武田万匠。

元々は黒駒だったが、明治15(1882)年に宮司が色を白に塗り換えた。

その際、腹部に武田の銘が発見されたという。

その昔、深夜に神社から馬の嘶[いななき]と蹄の音が聞こえる。

様子を見に行くと拝殿に神馬が放っぽり出されいることが度々。

これは「神様が神馬で夜な夜なお遊びなっているのだ」と噂が。

ここから「いななき神馬」という名が付いたそうだ。

神馬とは農耕や軍事への信仰面から神社に奉納されるものだが。

水無神社の神馬は農作業で用いられる牛馬の安全祈願に対する信仰が極めて篤い。

耕作向きの土地が極めて乏しい飛騨で土地生産性を上げるためには、牛馬の役割が極めて重要となる。

その信仰が昂じれば、超人気彫刻家だった左甚五郎に馬の像を作らせることぐらいわけなかったろう。

水無26-025

神馬舎の隣に石碑が立っている。

そばに近づいて、刻まれている短歌を読む。

    きのうけふ しぐれの雨と もみぢ葉と あらそひふれる 山もとの里

作者の名は島崎正樹…ご存知だろうか?

彼自身の知名度は低いが、息子のそれはすごぶる高い。

その名は…島崎藤村、言わずと知れた明治の文豪である。

国語の教科書にも登場する名作「夜明け前」。

主人公である青山半蔵のモデルこそ、実は父の正樹なのだ。

しかも正樹、ここ水無神社の宮司だったこともある。

明治7(1874)年11月13日の赴任から同10(1877)年12月8日まで約3年ほど、宮司として在職していた。

その「夜明け前」にも正樹が東京から赴任してくるシーンが描かれている。

140年以上も前の水無神社が、名著の中に息づいている。

[旅行日:2016年12月11日]