水無16*017

幹の根元を見ると小さな五輪塔が三基、横に並んでいる。

また、臥龍桜を囲む仕切りロープの右脇には小さな祠が。

五輪塔は三木國綱[みつぎくにつな]が葬られた墓、祠は三木家の祖霊社という。

國綱は戦国時代の武将で官途名[かんどな]を入道三澤[さんたく]、別名を一宮國綱とも言った。

別名の通り水無神社の神官の家に生まれ、宮司の職を継いでいた。

しかし社家を他に譲り、飛騨を治めていた姉小路家の家臣となり武将に転身。

天正13(1585)年、豊臣秀吉の命を受け飛騨に攻め入った金森長近の軍勢に敗北。

これに水無神社の氏子連が助命を嘆願、それが通って命拾いすることに。

それから暫く後、國綱は金森家に反旗を翻し「三澤の乱」を起こす。

ところが今度は長近の養子可重[ありしげ]の返り討ちに遭い、あえなく戦死。

その亡骸が臥龍桜の下に埋められている…というわけだ。

梶井基次郎作の名フレーズ「桜の樹の下には屍体[したい]が埋まっている」は、この故事が元に…なっているわけではない。

だが毎年秋には水無神社の宮司、大幢寺の住職、そして三木家ゆかり縁の人たちが集まり、祖先を供養する「三木祭り」を催行しているそうだ。

水無15*016

[旅行日:2016年12月11日]