境内を後にして、来る時に通った門前町の方角ではなく、北側を通る県道に出る。
堀割が境内と道を隔て、短い石橋が両社をつないでいる。
この県道を道なりに進むと、突き当たりに朝倉山真禅院というお寺がある。
元は南宮大社の神宮寺で創建は天平11(739)年、開祖は行基。
当初は象背山[ぞうはいさん]宮処寺[ぐうしょじ]という名だった。
延暦12(793)年、桓武天皇の勅命を受けた伝教大師最澄により南宮大社と両部習合、つまり神と仏が一体化された。
同時に現在の南宮大社の鎮座地に移転し、寺号も神宮寺に変更、天台宗の寺院となった。
それから1000年以上も経過した明治初(1868)年、明治政府が神仏判然令を発令。
廃仏毀釈の荒波に神宮寺も抗うことができず、南宮大社と袂を分かち現在地へ移転。
当然「神宮寺」を名乗ることもできなくなり、寺号も現在の「真禅院」に変更した。
南宮大社から真禅院へは道なりに進んでも1km弱程度の距離。
歩けば10数分で到着するだろうが、時間がなくて参拝を割愛した。
余裕があれば合わせて訪れたかったところだ。
南宮大社には江戸時代の社殿の配置を描いた古図が保存されている。
それには三重塔、本地堂、鐘樓など仏教関係の建造物の姿もある。
真禅院も関ヶ原の戦いで炎上した後、南宮神社と併せて家光が再建。
これらの仏教建造物も同時期に建てられた。
梵鐘は岐阜県最古、三重塔と本地堂は国指定の重要文化財。
北条政子が寄進したと伝わる鉄塔も立っているそうだ。
これらの仏教建造物群は廃仏毀釈の嵐をくぐり抜け、真禅院に移築され現在まで受け継がれている。
[旅行日:2016年12月10日]