南宮032

南宮大社、古くは仲山金山彦神社と呼ばれており、現在の社号になったのは江戸時代に入ってからのこと。

現在、日本に金山彦命を祀る神社は約三千社あるという。

金山神社など社号に“金”を含む神社が概ねそう。 南宮大社は、それらの総本社に当たるのだ。

ここで話は伊賀一宮敢国神社に飛ぶ。

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敢国神社の主祭神は大彦命[オオヒコノミコト]だが、そう定まったのは明治時代以降。

それ以前は現在の配神である金山姫[カナヤマヒメ]命と少彦名[スクナビコナ]命の両神が主祭神だった。

金山比咩命は伊邪那美命から金山彦命と一緒に生まれてきた神。

古代の製鉄所「蹈鞴[たたら]」に祀られている金屋子[カナヤコ]神は、金山彦命と金山姫命の御子とされているので、両神は夫婦神と見做されている。

少彦名命は伊賀地方に定住していた朝鮮半島からの渡来人一族、秦氏の信仰神。 海の彼方の常世の国から天の羅摩船[かがみぶね](ガガイモの殻の舟)に乗って現れ、大国主[オオクニヌシ]命と義兄弟となって共に国造りに勤しんだ神だ。

神産巣日[カミムスビ]神の子で、指の間からこぼれ落ちるほど小さかったが、これは指の間からこぼれ落ちる砂鉄のメタファーと見做されている。

つまり少彦名命は鉄であり、伊邪那美命の吐瀉物(=溶解した金属のメタファー)から生まれた金山姫命と併せ祀ることで、秦氏は自ら有する製鉄技術の護持と繁栄を祈念したのだろう。

敢国神社は最初、少彦名命を現鎮座地の背後にある山へ祀っていた。

後に麓の現在地へ遷座し、敢国神社が創建される。 空き家となった山に勧請されたのが当時、南宮大社に祀られていた金山姫命。

貞元2(977)年に金山姫命は麓の少彦名命と合祀。

その山は南宮山、敢国神社は別名「南宮明神」と呼ばれるようになった。

南宮大社と敢国神社は金山彦命と金山姫命という夫婦神の絆で結ばれているわけだ。

[旅行日:2016年12月10日]