南宮023

広い境内に手水舎がポツンと立っている。

四方の柱は鉄製で、少なくとも寛永19(1612)年より後の造営だろう。

むしろ国の重要文化財ではない建造物のほうが、この境内では珍しい。

広い空間の中心に舞殿が位置している。

南宮大社では「高舞殿」と呼んでいる。

過去の参詣でも拝殿と舞殿が相対している一宮は数多かった。

それらと比べても高舞殿は大きい部類に入るようだ。

江戸時代に造営された割に手入れが行き届き、

綺麗に保存されている。

特に軒下の蟇股に刻まれた十二支の彫像が繊細で美しかった。

南宮024

高舞殿にクルリと背を向け、相対して立つ拝殿へ向かう。

頭を垂れて瞳を閉じ、柏手を打って手を合わせる。

南宮大社の鎮座地は東国と西国の要衝に位置している。

両国を分けるのは西へ10kmほどのところにある「不破関[ふわのせき]」。

8世紀初頭、律令体制の整備に伴い設置された古代三関のひとつで「関ヶ原」という地名の由来になった施設だ。

もとは古代史上最大の内乱となった壬申の乱(672年)で、大海人皇子[おおあまのおうじ]が本営を設置した場所とされる。

不破関を抑えた皇子が壬申の乱に勝利し、その翌年、天武天皇に即位すると恒常的な関所として整備された。

ちなみに古代三関の他の2つは東海道の鈴鹿関と北陸道の愛発[あちら]関。

この三関から東の地域を東国とか関東と呼ぶようになったという。

つまり当時の感覚から言えば現在の岐阜県や愛知県も「関東」になるわけだ。

南宮025

[旅行日:2016年12月10日]