道の先に社号標が見えてきた。
左側手前に立つ細い標柱は「官幣大社建部神社」と刻字された古いもの。
明治初頭に制定された近代社格制度で建部大社は官幣大社に分類されていたわけだ。
右側奥には新しい社号標が立ち、その脇にある一ノ鳥居から奥へと参道が伸びている。
旧社号標の「官幣大社建部神社」から新社号標は「近江國一之宮建部大社」へ。
戦後に近代社格制度が消滅した折、神社の名称のほうを「建部神社」から「建部大社」に変更することで、かつて官幣大社だった証を現代に伝えようとしたのだろうか?
一ノ鳥居は石造りのシンプルな明神鳥居。
その華美な装飾のない佇まいは武神として崇められてきた歴史の顕れだろう。
建部神社の「建部」とは古代の軍事的な部民「建部[たけるべ]」(武部とも書く)に由来する。
「たける」は勇者の意味。
「べ」は大化の改新以前、ヤマト王権に属し、朝廷や豪族の支配下で労力や貢物を提供した人々の集団のこと。
部の前に職能名を付けて呼ばれることから、建部(武部)は軍事に従事する人々の集団ということになる。
一ノ鳥居をくぐり参道を進む。
参道が尽きるあたりで左折すると正面に二ノ鳥居が聳立していた。
二ノ鳥居は一ノ鳥居を少し小さくした感じで石造りの明神鳥居。
形状は全く一緒だが、扁額はなく額束になっている。
二ノ鳥居をくぐると両側に石灯籠と松の木が立ち並ぶ玉砂利の参道。 その奥に神門が姿を見せている。
[旅行日:2016年12月10日]