②98城下町資料館

庭園を通り抜けると小径は「きつき城下町資料館」に続いている。

杵築の城下町全体を歴史公園に見立て、その中核的機能を担う施設として建てられたもの。

鉄筋コンクリート3階建てで各階に常設展示が設けてある。

②99御所車

中へ入ると1階ロビーには天神祭で用いられる巨大な御所車が展示されている。

あまりにも大き過ぎ、そのままでは搬入口を通らないので、分解して運び出すそうだ。

その奥には「坂のある城下町」をテーマにした常設展示室。 中央には城下町を復元したジオラマがデンと鎮座している。

古地図を基に武家屋敷や町家などが連なる江戸時代の街並みを立体的に再現したもの。

杵築の特徴である「サンドイッチ型」という城下町の特徴がひと目で分かる。

2階は「武士のくらしと文化」「杵築の生んだ先人たち」の2大テーマの常設展示。

「武士の〜」では町役所日記や町人の文化に関する品々、「杵築の〜」では三浦梅園や重光葵などに関わる各種資料が、それぞれ展示されている。

2階には企画展示室もあり、年2回、文化財や旧家の収蔵品などをテーマに企画展を実施。

3階には杵築歌舞伎、漁業の歴史と漁具、畳の材料となる七島藺[しっとうい]の歴史と生産用具などが紹介されている。

②101松樹

城下町資料館を出て海の見える高台へ向かうと、途中に「松樹」という食事処がある。

看板に「田舎料理」とあるように地元の食材を使った郷土料理が自慢の店。

杵築市がご当地メニューとしてプッシュしている「杵築ど~んと丼」にも参加。

「炭火焼せせり丼」は希少部位である鶏の首の肉「せせり」を塩コショウだけで焼き、ご飯にドーンと乗せた丼。

「超やわらか牛すじ丼」は県内産の牛筋を柔らかく煮込み、甘辛醤油で味付けしてご飯にドーンと乗せた丼。

だが時間がなかったので、どちらも賞味できなかったのが残念。

②102一松邸外観

松樹から緩やかな坂を登ると、丘の上に堂々たる和風建築が立っている。

かつて政界で活躍した一松定吉氏の邸宅「一松邸[ひとつまつてい]」。

杵築市の初代名誉市民となった故・一松定吉氏の邸宅。
従って江戸期の武家屋敷ではなく昭和初期の建物である。

昭和32(1957)年に杵築市へ寄贈され、公民館「一松会館」として市民に利用されてきた。

市役所の新築移転に伴い、庁舎の前にあった一松会館も併せて移転することに。

平成12(2000)年、杵築城と杵築湾、八坂川を一望するこの高台へ移築された。

この邸宅は昭和2(1927)年から2年もの歳月をかけて建てられ、同4(1929)年に落成。

高級な木材をふんだんに使った贅沢な造りで、建築費用は今の金額に換算すると5億円相当という。

②105一松邸内観1

欄間は杉の柾目板に透し彫りを施したシンプルなものだが、当時この欄間1枚で家一軒が建ったほどのお金が掛かっているそうだ。

客人用トイレの天井は、二条城や日光東照宮など著名な寺社で多く見られる格天井[ごうてんじょう]。

ほかにも長さ8mもある杉の一枚板を敷いた縁側、戸袋を減らすため雨戸を直角に回転できるよう細工をした「回り戸」など。

江戸時代の武家屋敷と昭和初期の大豪邸を見比べてみるのも面白いかも知れない。

江戸時代、一松家は杵築藩の剣術や槍術の指南役を務める武門の家だった。

明治になって養子に入った定吉氏は上京し、法曹界で活躍した後に政界へ転身。

昭和3(1928)年に衆議院議員に当選して以来、34年間にわたり国会議員を務める。

戦後の混乱期には3つの内閣で国務・逓信、厚生、建設の各大臣を歴任。

この邸宅を見ていると、いかに昔の政治家は豪快だったことか。 それに比べて最近の政治家がすっかり小粒に見えてくるから不思議だ。

②108展望台

一松邸の玄関を出ると正面には杵築城の天守閣が大海原をバックに聳立している。

八坂川が杵築大橋の下を通り、守江湾へと流れ込む風光明媚な景色。

いよいよ杵築の町とお別れする時が来たようだ。
この町で出会った人たちの顔を思い浮かべつつ、バスターミナルへ足を向けた。


[旅行日:2016年4月12日]