②89南台裏丁2

天神坂を上り切り、鍵形交差点を左に折れると「裏丁」と呼ばれる通りに出る。

北台のように江戸時代の古い屋敷はあまり残っていない。
つまり住宅街なのだが、よくある一般的なそれではない。

土塀や白壁、石垣が連なり、間に長屋門や薬医門が立っている。
通りそのものは城下町の面影を良く留める「江戸時代」なのだ。

②90飴屋の坂b

裏丁が尽きるあたりに小さな鍵形の十字路がある。
左折すると緩やかにカーブした急傾斜の石段があり、その先は商人の町へ。

杵築には坂が結構あるが、曲がり坂とは珍しい。
ここは「雨夜の坂」とも「飴屋の坂」とも呼ばれている。

雨に打たれた石畳が夜ともなると暗闇の中で白く浮かび上がったので「雨夜の坂」。

坂の下に本当に飴屋があったから「飴屋の坂」。
どちらが本当の由来なのかは…わからない。

最初は「塩屋」「酢屋」があるなら「飴屋」も…という安易なネーミングだったのが、いつしかロマンチックな「雨夜」にすり替わったのではないか…と勝手に思っている。

雨も降っておらず夜でもないので、ここは「飴屋の坂」と呼ぼう。
その坂を往復している途中、犬を散歩させている初老の夫婦とすれ違った。

「こんにちわ」
お互い挨拶を交わす。

そういえば今朝、酢屋の坂で杵築小へ通う小学生からも、すれ違う際に挨拶された。
古き良き城下町には丁寧な挨拶がよく似合う。

②91中根邸長屋門

飴屋の坂を再び登り崖沿いの細い道を進むと、塩屋坂上の広い通りに出る。

「家老丁」といって江戸時代は多くの家老屋敷が軒を連ねていたところだ。

南台武家屋敷の東端に位置し、藩主御殿に近いため登城に便利だったからだろう。

道の向こう側には分厚い築地塀の真ん中に堂々たる白壁の長屋門が見える。

「家老丁」に唯一残る家老屋敷、中根邸の長屋門。
慶應3(1867)年に建築されたことが分かっている。

②92中根邸玄関

長屋門をくぐって玄関へ。
玄関前には武家屋敷の象徴ともいうべき堂々たる蘇鉄。

その鮮烈な緑の生命体を眺めつつ邸内へ。
ここは休憩所として無料で公開している。

中根家の祖先は三河国中根村出身の中根長兵衛末治。
能見松平家五代重忠(初代藩主英親の祖父)に召し抱えられた。

能見松平家が杵築に移封されたのに随伴し、正保2(1645)年に定住。
やがて杵築藩の筆頭家老にまで出世した。

現存している母屋は平成4(1992)年度の解体保存修理の際に発見された棟札などから、 文久2(1862)年に中根家九代家老源右衛門が建築したものと判明している。

②93中根邸内観1

邸内で印象的なのが茶室。
6畳の茶室のほか、10畳の座敷にも炉が切られて茶室としても使用できる仕様になっている。

座敷と隣接した3畳ほどの小部屋は茶の控え室に使われ、たびたび大規模な茶会を開催していた模様。

茶の湯の文化が浸透していた杵築の地で、隠居後の暮らしに茶の湯が大きな楽しみになっても不思議ではない。

現役家老の屋敷だった大原邸と比べると、邸宅の持つ役割の違いが見えて興味深い。

中根邸は余生を過ごすために作られた隠居宅。
それだけに老人でも無理く暮らせるようユッタリと設計されているのが特徴だ。

②96中根邸外観

江戸時代の中根邸は杵築最大の武家屋敷だったそうだが、現在は隠居宅を残すのみ。

残念ながら往時の規模は想像に任せるしかないようだ。
庭園は他の武家屋敷と異なり、どこか優しさが感じられる。

重責から解き放たれたご隠居の「静かに余生を過ごしたい」という思いが反映されているのだろうか?


[旅行日:2016年4月12日]