②28栗原克実美術館

敷地内に「栗原克実美術館」が併設されている。

栗原克実は千葉県出身の画家で、多数の水墨画を杵築市に寄贈。

母屋に隣接した土蔵の内部を改修し、作品を展示している。

磯矢邸の修復工事が完了し、一般公開されたのを機に開館。

磯矢邸の観覧料を支払えば合わせて美術館も見ることができる。

館内に入ると暑かった外気から一転、冷んやりとした空気が身体を包み込む。

こじんまりとしたスペースには柔らかい筆致で描かれた墨彩画が並ぶ。

墨彩画といっても黒一色で描かれた水墨画ではなく、渋い色合いで彩られている。

西洋画とも東洋画ともつかない絵画を眺めながら、小さな城下町の片隅に墨彩画がひっそりと佇む不思議さを思った。

磯矢邸を後にし、再び北台の武家屋敷街へ。

北台があれば南台もあり、各高台の武家屋敷に挟まれた谷間に商人町を配する町割り。

この形状から日本唯一の「サンドイッチ型城下町」とも謳われている。

北台の特徴は藩主の休息所や勘定場、学問所などが並ぶ「官庁街」的な性格にある。

②29藩校の門

道の前方右側に古びてはいるが、それでいて堂々とした門が立っている。

柱に掲げられた看板には墨書で「藩校の門」。

当時、藩主が藩校へ訪れた際に通る「藩主御成門」が歴史遺産として保存されている。

しかも、杵築小学校の校門として今でも現役で使われているという。

こうした例は全国的にも非常に珍しく、藩政時代から学問に力を入れてきた気風の名残と言えそうだ。

藩校とは江戸時代に幕府や諸藩が主に幕臣藩士の子弟を教育するため、自領に設置した教育施設のこと。

杵築藩もまた初代藩主英親以来、代々の藩主は教育に力を入れてきた。

天明8(1788)年、七代藩主親賢[ちかかた]の時に藩校「学習館」を設立。

学習館は士族の子弟はもちろん、平民の子弟でも希望者には入校を許可していたそう。

しかも教授には三浦梅園や帆足万里といった当時の豊後国でトップクラスの学者を起用。

こうした質の高い教育が後に数多くの人材を輩出する遠因となった。

②33藩校学習館模型

門を入ってすぐの所に立つ「藩校模型学習館」には、学習館の1/30の模型が展示されている。

杵築の小学生たちは毎日この門をくぐり、模型を見ながら通学しているのだろう。

学習館は廃藩置県で廃校になったが、その校風は杵築小学校にも受け継がれているに違いない。

②34能見邸外門

藩校の門と道を挟んだ向かい側にある武家屋敷が「能見邸」。
 
「能見」の姓が示す通り、ここは藩主能見松平家一族の家柄。

ここは五代藩主松平親盈[ちかみつ]の九男幸乃丞から始まる家系だ。

②35b能見邸玄関

外門をくぐると玄関前には蘇鉄ではなく松。

このあたりにも格式の差が現れているのだろうか。

玄関は立派だが入場料を徴収する受付がない。

ここは北台にある他の武家屋敷と違って見学無料、いわば休憩所。

そのせいか見学者の数が多いようにも見える。

②37能見邸内観2

中に入ると案内役の女性がおり、邸内を丁寧に説明してもらった。

寛政の大火(1800年)以前は藩士・岡藤介の屋敷だったそう。

火災後は磯矢邸のところに出てきた楽寿亭の御用屋敷に組み込まれ、菜園場になっていた。

能見氏が入ったのは、その後と思われる。

実は能見邸の建築年代を特定する資料はないそう。

建築様式などから判断して、建てられたのは幕末期と推定されている。

藩主に連なる格式高い家柄だけに、庭や建物などの様式美は一味違う。

また、邸内の隅々に埋め込まれた高度な建築技術を鑑賞するのも楽しみのひとつだろう。


[旅行日:2016年4月11日]