②18勘定場の坂

天守閣を出て、城山公園を後にする。

道を挟んだ向かい側には「勘定場の坂」と呼ばれる緩やかな坂。

江戸時代、このあたりに収税や金銭出納の役所があったことから付いた名称という。

石段の数53、坂の勾配24度、石段の蹴上がり15㎝、一段当たりの路面長1.2m。

これらの数字は勤番の家老たちを城へ運ぶ馬や駕籠担ぎの歩幅まで計算したものだそう。

②19二四富士

石段を登っている途中、真ん中に「富士山」を象った踏石を見かけた。

上から数えて24段目にあることから「西(二四)の富士」と呼ぶそう。
東の富士山を西(二四)から拝む…という洒落なのか。

もう一段下には湖に映る逆さ富士まで描かれている凝りよう。
江戸時代、平和な世の中の遊び心が石段にまで反映されているかのようだ。

勘定場の坂を上り切ると、その先に広がるのは江戸時代の面影を色濃く留める北台武家屋敷。

電柱など一切ない細い道の両側には土塀や白壁が延々と続いている。

その町並みが「日本一の城下町」と評されるのも頷ける美しさだ。

②20北台

勘定場の坂を上ってすぐ左側に「磯矢邸」という武家屋敷がある。

宝暦年間(1751〜1763)は安西源兵衛の居宅だったが寛政の大火(1800)で焼失。

文化13(1816)年に建設された藩主休息用の御用屋敷「楽寿亭[らくじゅてい]」の一部に組み込まれた。

楽寿亭は文政7(1824)年に廃止され、その後は再び武家屋敷に。

後の調査で次席家老だった加藤与五右衛門(200石)の屋敷だったと判明している。

現在の磯矢邸は加藤屋敷の一部で、残っているのは「玄関の間/客間の座敷/茶室」の3部屋しかない。

②22磯矢邸玄関

門をくぐって玄関へ向かう。
長屋門ではなく普通の門だ。

玄関前には、いかにも九州の武家屋敷らしい巨大な蘇鉄[そてつ]。
蘇鉄の大きさが武家屋敷の格を表しているとも言われている。

玄関横の受付で入場料を払うのだが、ここは杵築城で購入した共通観覧券の出番。

ミシン目で区切られた各施設ごとの入場券から、磯部邸のそれを切り取って渡す。

他に見学者がいなかったこともあり、受付のお姉さんが屋敷内を案内してくれた。

②24磯矢邸内観1

磯矢邸は明治以降の増改築部分を除き、文政天保期(1800年代前半)の建築と思われていた。

しかし最近の調査で文久4(1864)年と刻まれた瓦や元治元(1864)年の棟札などが発見され、もっと時代が下ってからの建物であることが判明。

しかし、元は安西源兵衛と加藤与五右衛門の屋敷だったのにかかわらず、なぜ安西でも加藤でもなく「磯矢邸」と呼ぶのか?

それは磯矢さんという方が大正5(1916)年に屋敷を買い取ったから。

平成6(1994)年に磯矢さんは屋敷を杵築市に寄贈し、「磯矢邸」の名で市の観光施設となった。

邸内を見物していると、屋敷中どの座敷からでも庭園を眺めることができるのに気付いた。

しかも、全ての窓枠ごとに違う風景が映るよう設計されているという。

②23磯矢邸背ずり

「床柱を見てください。もたれかかっても痛くないように工夫されてます。『背ずり』というんですよ」

確かに床柱の根元の部分が削られている。
これならもたれかかっても痛くないだろう。

藩主休息用の御用屋敷ならではのこだわりが、設計思想の隅々まで行き渡っているのが分かる。


[旅行日:2016年4月11日]