①36中津神社鳥居

天守閣の南側に中津神社の鳥居が聳立している。
 
東西に延びる石垣の真ん中を断ち切り、堀に橋を架け、参道を通した格好。

もちろん奥平藩時代には鳥居も参道もなく、明治以降新たに設けられたものだ。

①37中津城石垣左

鳥居に向かって左側の石垣。

築城当時の石垣は今より低く、幅も狭かったそう。

また、掘側だけでなく城内側にも石垣があったことも分かっている。

①38中津城石垣内

石垣の真ん中を断ち切る工事をした際、中から古い石垣が顔をのぞかせた。

16世紀末頃に築城された当時の石垣と思われ、高さは根石から約6m弱、天頂の幅は約2.4m。

17世紀になると現在と同じ7mの高さにまで積み上げられ、城内側へ拡張されていった。

従って掘に面した石垣は築城当時の面影を残しているわけだ。

①39蓬莱園
 
参道を出るとすぐ右手に「蓬莱園」という庭園がある。
 
ここには昔「蓬莱観」という、西日本屈指の大劇場があった場所。

明治15(1882)年に建築され、往時には歌舞伎役者や著名な俳優が興行を打ったという。

しかし戦時中の強制疎開で建物は取り壊され、戦後に敷地が庭園として整備されたそう。

庭園の中に劇場の名を受け継いだ喫茶スペース「ギャラリー茶論・蓬莱観」がある。

劇場時代に使われていた引き戸やケヤキの1枚戸、歌手の東海林太郎ゆかりのピアノが残されているそうだ。

①40三斎池

再び鳥居をくぐって城跡へ。

右手に「獨立自尊」と刻まれたオベリスクが立っている。

その先には小綺麗に整備された池。

慶長5(1600)年、関ヶ原の戦などの功績により黒田長政は筑前五十二万石に移封となり、如水とともに中津を去った。

黒田家の後には細川忠興が豊前一国と豊後の国東・速見の二群の領主として入部。

忠興は中津を当初の居城とし、弟の興元を小倉城に置いた。

慶長7年、忠興は居城を小倉城に変更し、元和6(1620)年に家督を忠利に譲った。
 
隠居した忠興は三斎と号し、翌7年に再び中津城へ。

黒田家の後を引き継ぎ、中津城や城下町の整備を進めた。

この際、用水不足を補うため場内に水道工事を行った。

山国川の大井出堰(三口)から水道を場内まで導く大工事だった。

その水を湛えたのがこの池で、鑑賞や防火用水としても使用された。

忠興の号『三斎』の名を冠して『三斎池』と命名。

現在は中津市の上水道を引いている。

①41黒田官兵衛資料館

三斎池の隣にあるのが黒田官兵衛資料館。

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」を当て込んで建てられた施設で、平成26(2014)年1月19日に開館。

ちなみに中津で黒田家関係の施設はここのみ。

同28(2016)年3月末に一時閉館したものの、同年4月29日にリニューアルオープン。

豊前国統治時代(1587~1600)の黒田官兵衛の活躍などを紹介したパネルなどの資料館機能や市内観光地などへの誘導を促す観光情報発信機能。

それらに中津の銘菓や特産品を取り扱う土産店、湯茶などを提供する喫茶スペースが追加されている。


[旅行日:2016年4月10日]