①31西門跡

小倉口を通り過ぎ暫く行った先の角を左に曲がると、低い石垣が姿を表す。

ここが中津城の西南隅に位置する西門の跡だ。

西門は搦手門で、大手門と同じ櫓門型だったと思われる。

小倉口に最も近いため敵の侵攻を受けやすい門。

それを防ぐべく堀の幅を広くとり、奥に三方を巨石で囲った『桝形』を備えている。

櫓門には武器や道具類を収めていたそうだが、明治2(1869)年10月に焼失したそうだ。

小学校低学年の男の子と女の子が4〜5人ほど、桜吹雪の舞い散る石垣の前で遊んでいる。

戦に備えて設えられた舞台装置が演出する平和な光景だった。

①32汐湯銭湯

西門から桝形へ向かうと左側に「汐湯」という看板が見える。

看板の上方には「割烹」の文字、下方には温泉マーク。

しかし入り口が男湯と女湯に分かれ、見た目は完全に銭湯。

しかも建物は向かって左側がスレート張りの二階棟、右側が木造三階棟と分かれている。

①33汐湯割烹

ここは銭湯なのか? 割烹なのか? 一体何なのか?

創業は明治15(1882)年で、最初は割烹料亭としてスタート。

銭湯は明治29(1896)年ごろ「中津海水湯」の名称で始めたそうだ。

汐湯は汲み上げた海水を沸かしている珍しい銭湯。

白湯は40度でも熱く感じるが、海水湯は42度でも熱さを感じないまろやかさとか。

三階棟は大正時代、二階棟は昭和30年代に建て替えられたもの。

風呂上がりには階上の涼み台で中津川を眺めながらビールを飲みつつクールダウンできるそう。

中津城を見物した後でひとっ風呂浴びてみようか…と思いつつ、通り過ぎる。

①34鍵型

汐湯三階棟の斜向かいに桝形がある。

西門の虎口(城郭への出入口)であり、石垣は状態よく保存されている。

江戸時代は石垣の上に櫓が立っていたはずだが無論、現在では存在しない。

その代わりというか、桜の木が植栽されている。

頭上から桜吹雪が舞い落ち、汐湯の古風な木造建屋にハラハラと降り注ぐ。

城下町の春ならではの美しい光景だった。

①35中津神社社殿

桝形を通り過ぎると左手に中津神社が鎮座している。

文久2(1862)年、江戸幕府は参覲交代や江戸藩邸定住を免除する諸緩和令を出した。

これにより江戸に置かれていた大名の妻子は帰国を許されることとなった。

中津藩も江戸藩邸から帰郷する姫君たちの住まいを建てる必要性に迫られる。

文久3(1863)年8月、本丸下ノ段西側のこの地に新居を建設し「松の御殿」と命名。

以降8年間ここで生活した姫君たちは明治4(1871)年の廃藩置県で他の場所に引き移っていった。

その後「松の御殿」は小倉県や大分県の中津市庁舎として使用されたのだが。

明治10(1877)年3月に増田宗太郎隊長率いる中津隊が西南の役に乗じて襲撃し、御殿は灰燼に帰した。

それから6年後、市内の諸宮を統合して跡地に建立されたのが中津神社というわけである。


[旅行日:2016年4月10日]