中門の前から本殿を覗ける位置まで移動してみる。
祝詞屋の前まで来る事ができたものの、その先の本殿と権殿は目の前の建物に遮られて見ることができない。
先述したが本殿と権殿は文久3年造替の国宝で、他の社殿群は概ね寛永5年造替、そのほとんどが重要文化財に指定されている。
祝詞屋の前に立つ看板には「三間社流造神殿の典型」と記してある。
「三間社」とは本殿正面の柱間が3つ…つまり柱が4本ある様式のこと。
「流造」とは伊勢神宮正殿の建築様式「神明造」の切妻屋根を前方に伸ばした形式のこと。
「典型」とは賀茂大社の本殿から流造の建築様式が全国へ広まっていってたということか。
現在の本殿と権殿は建立から150年ほどしか経過していない。
だが国宝に指定されているのは創建当時の建築様式を現在まで忠実に伝承しているからに他ならない。
ところで何気なく「本殿・権殿」と記してきたが、本殿はともかく権殿とは何なのか?
これまで見てきた摂社末社にも本殿の隣に「権地」があった。
権地とは社殿を修復する際に神様を移すための仮宮を建てるための場所。
権殿もまた、本殿に何かアクシデントが起こった場合に備え、祭神を移設できるよう常設されている仮社殿のこと。
「権」とは2番目という意味なので、権殿は「常設のお仮殿」になる。
下鴨神社も本殿の建物が2つあり、西本殿には賀茂建角身命、東本殿には玉依姫命がそれぞれ鎮座していた。
それに対して上賀茂神社は賀茂別雷大神一柱だけのため常に2つの本殿を用意している。
このような様式は日本全国数多ある神社の中でも上賀茂神社のみ。
それだけ賀茂別雷大神は手厚く祀られている証なのだろう。
[旅行日:2014年3月20日]