中門から再び外に出ると、舞殿の左側に小石で囲まれた小さな正方形の一角が目に入った。
四隅に細い柱が立てられ、上部には注連縄が巡らされている。
どこの神社にもある禁足地のようでありながら、その面積は著しく狭い。
解説板には「解除所[げじょのところ]」と記されている。
賀茂社は「鳴くよウグイス平安京」以前の奈良時代から朝廷の崇敬が篤かった神社。
平安遷都の際に桓武天皇が行幸して以降、歴代天皇ご親斎の神社として朝廷と密接に関わってきた。
このため天皇をはじめ皇族が行幸などで頻繁に訪れるのだが、その際に解除(お祓い)を受ける場所である。
解除所が常設されている神社は他になく、賀茂社が朝廷にとって特別な神社だった証と言えるかもしれない。
解除所の横に、見るからに“神殿”という大きな社殿が建っている。
「神服殿[しんぷくでん]」という。
寛永5年の式年遷宮で造替され、21年ごとの解体修理もまた舞殿と同じ。
入母屋造で屋根は檜皮葺きなのも同様だが、桁行5間、梁間4間と少し広い。
読んで字のごとく元は御神服を奉製する御殿だが、時代が下ると勅使殿や着到殿(勅使が着到の儀を行う建物)に。
天皇行幸の際は玉座に使用されたそうで、その一室は「開けずの間」として伝わっている。
また、京都御所が災害に遭った時は臨時の御座所にするよう定められていたそうだ。
それにしても、なぜ本殿から遠く離れたこの神服殿に玉座を置いたのだろう?
それでいて下鴨神社には、後述するが本殿が二棟もあるのだ。
せめてどちらかに玉座を設えたらよかったのにと思うのだが。
なにか、やんごとなき事由でもあったのだろうか。
[旅行日:2014年3月20日]