4t下鴨032

光琳の梅の左側に太鼓橋がかかっている。

ここでは「輪橋[そりはし]」と呼んでいるが、これは太鼓橋の一般的な別称でもある。

輪橋を渡った先には大きな明神鳥居。

その下をくぐって右へ向かうと細殿御所[ほそどのごしょ]、左に進むと御手洗池と御手洗社がある。

細殿御所は平安時代編纂の賀茂社『神殿記』にも「細殿」と記載されているほどの昔から存在していた。

歴代天皇の行幸時、法皇や上皇の御幸の際に行在所として用いられてきた。

天明8(1788)年に洛中の大火で京都御所が回禄(火災)に遭った際は、内侍所(賢所)の奉安所となった。

ちなみに内侍所(賢所)とは三種の神器「神鏡八咫鏡[やたのかがみ]」を安置している場所のこと。

文久年間(1861~64)の御所回禄では、後に明治天皇となる祐宮[さちのみや]の行在所に。

文久3(1863)年3月11日に孝明天皇が攘夷祈願のため行幸された際は徳川十四代将軍家茂の侍所[さむらいどころ]になるなど、幕末の動乱期には少なからぬ役割を果たしている。

現在の建物は舞殿や橋殿と同様、寛永五年の式年遷宮で造替されたものを21年ごとに解体修理を施し、維持されてきたものだ。


[旅行日:2014年3月20日]