ようやく二の鳥居の前まで来た。
瀬見の小川に小さな石橋が架かっており、その右手に看板が立っている。
この石橋から西側が瀬見の小川で、東側は奈良の小川と呼称が変わる。
看板には、奈良の小川とは上流にある楢の林から流れて来ることに由来していると記されている。
また別の看板によると、最近の発掘調査で発見された平安時代の流路の一部が現在の流路とは別に復元されたとある。
石橋の上から奈良の小川を眺める。
こちらも川よりせせらぎと呼ぶに相応しく、清らかな水面が風にサラサラと揺れていた。
ここまで来るのに参道は一本道だったが、まだ糺の森が広大だった時代は「烏の縄手[からすのなわて]」と呼ばれる参道が幾筋も通っていたそうだ。
烏とは祭神賀茂建角身命の別名「八咫烏[やたがらす]」に由来。
縄手とは細くて狭くて長い道のこと。
八咫烏の神様にお参りする人々の足跡が生んだ踏み分け道が次第に幾筋ものあぜ道に成長。
時代が下るにつれて「烏の縄手」と呼ばれるようになったのだろう。
あぜ道そのものは現存していないが、往時の姿が森の中で部分的に復元されている。
[旅行日:2014年3月20日]