4t下鴨014

石碑を過ぎて表参道を奥へ向かう。

ここから先は世に言う「糺の森」だ。

少し先の左側に摂社が立っている。

だが、摂社にしてはやけに堂々とした風格。

社号標を見ると「河合神社」と記されていた。

なるほど、鴨川と高野川の二つの“河”が“合”うから河合神社なのかと思ったが、これは単なる思いつきだ。

隣の説明板によると今でこそ下鴨神社の摂社に甘んじているが、元は延喜式に名神大社として名を連ねるほど社格の高い神社だったとある。

社号標の横に明神鳥居が立っている。

ただ、その奥に社殿はなく、ちょうど境内の反対側に同じ形をした明神鳥居が立っている。

東西それぞれに出入口があり、中に入って北側を向けば楼門が待ち構える格好だ。

楼門をくぐって境内に入る。

目の前に舞殿、向こう側に拝殿、さらにその奥に本殿という並び。

河合神社の主祭神は多々須玉依姫命[ただすたまよりのみこと]。

玉依姫命とは特定の神号ではなく「霊(たま)の憑(よ)りつく巫女」を指す普通名詞とのこと。

これは民俗学者、柳田国男の解釈。

上総国一之宮玉前神社の祭神もまた、玉依姫命だった。

こちらは神武天皇の母として古事記と日本書紀にも登場している。

一方、河合神社のほうは記紀ではなく山城国風土記逸文に登場。

下鴨神社の祭神賀茂建角身命[かもたけつぬみのみこと]と丹波の伊古夜日売[いかこやひめ]の間に生まれた娘だ。

玉依姫命は“普通名詞”だけに、他と区別するため「多々須」という”冠詞”を付したのだろうか?

この多々須が変化して「糺」となった…かどうかは分からない。

[旅行日:2014年3月20日]