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参道入口の右側に聳立する巨大な標柱に、深々と刻まれた「住吉大社」の社号。

津々浦々に鎮座する住吉神社の総本社に相応しい堂々たる社号標だ。

全国各地に分布する住吉神社の数は優に2300社を超えるそうだ。

中でも代表格が摂津国の住吉大社、長門国と筑前国の住吉神社。

これら「三大住吉」は、すべて各国の一之宮。

壱岐国の住吉神社と合わせた4社は、すべて神功皇后[じんぐうこうごう]の三韓征伐に由来している。

また4社は互いに独立しており、本社と分社の関係にはない。

そして全国の住吉神社のほとんどは、これら4社いずれかの分霊を祀ったものだという。

一ノ鳥居は石造りの明神鳥居。

ただし柱は円柱で、四角い柱が特徴的な住吉鳥居ではない。

住吉大社の由緒は古事記にキッパリと明記されており甚だ明快だ。

第十四代仲哀天皇の妃である神功皇后は、新羅(三韓)征伐に乗り出すよう神からの教示を得た。

その神とは底筒男命[そこつつのおのみこと]、中筒男命[なかつつのおのみこと]、表筒男命[うわつつのおのみこと]の三神。

伊邪那岐命[いざなぎのみこと]が黄泉の国から戻り「筑紫の日向の小戸の橘の檍原[あはぎはら]」で穢れを禊いだ時に生まれた神々。

ちなみに「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」とは筑前一宮住吉神社のことではないかとの推測もあるそうだ。

新羅を平定して帰還した神功皇后は三神から教示を受け、住吉の地に「住吉大神」として祀ったことが起源とされている。

皇后摂政十一辛卯[かのとうの]年、今から約1800年も前の話と由緒書には記されている。

鳥居をくぐって境内に入ると、住吉公園から列を為しているかのように夥しい数の石灯籠が立ち並んでいる。

霊験あらたかな“海神”として航海関係者や漁民の間で古くから崇敬されてきた証。

遡れば奈良時代、遣唐使は出港の前に必ず立ち寄り、海上の無事を祈願したという。

「住吉に 斎く祝[はふり]が神言と 行くとも来とも 船は早けん」

(住吉にお仕えする神官のお告げでは行きも帰りも船は速かろうとのこと)

万葉集に収められたこの歌は、遣唐使に無事の帰還を約束した住吉大神のお告げを伝えたものだという。

江戸時代に入り大坂を中心とする海上輸送が隆盛を迎えると、廻船業社から航海安全への信仰もピークに。

境内に存在する約600基もの石燈籠の多くは、当時の廻船業者関係から奉納されたものだそうだ。

[旅行日:2014年3月19日]