4t住吉01

羽衣駅から乗車した南海電車は20分ほどで住吉大社駅に到着した。

改札を出ると正面に大きな案内図が掲げてある。

太鼓橋の写真を中央に右側が境内図、左側が周辺図。

内容が懇切丁寧で非常に分かりやすい。

初めて来た参拝者にも、これなら迷いようがないだろう。

境内は駅の東側だが、まずは西側に広がる住吉公園に行ってみた。

駅前に「真住吉し 住吉の国」という碑が立っている。

この「住吉」という地名は神功皇后が得た「真住吉」という託宣に由来する。

文字通り「住むのに吉し」という意味、神様が「真に住み吉い」土地ということだ。

古事記の「墨江[すみのえ]」という神名は“よい”を“ええ”と言う関西弁が由来。

つまり「すみいい」が「すみええ」となり「すみのえ」に変化していった。

古事記が編纂された時代に「いい」を「ええ」と言う関西弁が存在したかどうかは知らない。

とはいえ鎮座地住吉区の隣は住之江区、「すみよし」と「すみええ」が隣り合っている。

決して古事記時代の昔話ではないのだ。

公園内を広い道が西へ向かって一直線に延びている。

傍らに立つ碑「汐掛道の記」の説明板には、こうある。

『ここは昔、住吉大社の神事の馬場として使われた場所』

明治4(1871)年に国の所有となり、同6年8月に大阪府へ移管された府下最古の公園なのだそうだ。

『社前から松原が続き、すぐに井見[いでみ]の浜に出る名勝の地』

往時は松原を過ぎれば遠浅の海岸が開けていたが、今の海岸線は遥か10km近くも先。

浜辺は遠くまで埋め立てられ、ここからは当然ながら海岸線は見えない。

歩いていると左側に選挙の候補者掲示板が立っていた。

時は折しも大阪市長選挙戦の真っ只中。

とはいえ12ある枠のうち埋まっているのは右上のひと枠のみ。

前職のポスターだけがポツネンと貼られていた。

[旅行日:2014年3月19日]