そうして地方の反乱分子を鎮圧し、ようやく大和へ戻った日本武尊。
だがしかし休む間もなく、今度は東国征伐を命じられる。
自分が父から嫌われていると悟った日本武尊は東国へ向かう前に伊勢神宮へ立ち寄った。
そこで斎宮を務める叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)に号泣しながら窮状を直訴。
黙って聞いていた倭姫命は日本武尊が出立する直前、餞に草薙剣と謎の小袋を手渡す。
「窮地に陥った時、この小袋を開けなさい」
相武国で国造の騙し討ちに遭ったが、小袋に入っていた火打ち石のおかげで九死に一生を得。
返す刀で相武国造を成敗した…という逸話は相模国一之宮寒川神社のところでも触れた。
東国を平定して大和へ戻る途中、日本武尊は尾張国造の祖先である美夜受比売(みやずひめ)を娶る。
そして今度は伊服岐(いぶき)の山に跋扈する神を討ちに向かった。
伊服岐の山とは滋賀と岐阜の境にある伊吹山のこと。
この程度の相手なら素手で十分と、美夜受比売に草薙剣を預けたまま出立したのが命取り。
日本武尊は山の麓で牛ほども大きな白い猪と出くわす。
「こいつは山の神の使者だろうから、帰りがけに退治してやろう」
こう言って伊吹山に登った日本武尊を巨大な雹(ひょう)が直撃。
実はその猪こそ、伊吹山に跋扈する神そのものだったのだ。
激甚なダメージを喰らった日本武尊は、ほうほうの体で下山。
麓に湧く玉倉部の清水を口にし、ようやく正気を取り戻した。
故郷へ帰ろうと大和に向かう途中、美濃と伊勢の国境近辺まで来た時。
「普段から空を飛んで行きたい気持ちなのに、今じゃたぎたぎしくて足が前に進まない」
たぎたぎしいとは道がデコボコしているといった意味。
それでこの土地は「当芸(たぎ)」と呼ばれるようになったそうだ。
現在の岐阜県大垣市南部から養老町にかけてのあたりだろうか?
昔あった地名「多芸郡」とは、その名残だろう。
[旅行日:2014年3月19日]