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二ノ鳥居の右手前に立つ社号標、揮毫は維新の元勲三条実美公。

枚岡神社、古くは「枚岡社」「枚岡大明神」「平岡社」「平岡大明神」などと呼ばれた時代もあったそうだ。

もうひとつの起源は「社地より南方は概ね平坦にして小高き岡なりしが故称せし」。

つまりここから南は平地で、鎮座地が小高い岡みたいだからという説。

この「平」が「枚」に読み違えられ「一枚(ひとひら)の岡」が地名として定着。

そのまま社名になったと伝わっている。

二ノ鳥居をくぐって参道を奥へ進む。

両脇に高い木々がなく、明るく見通しのいい参道だ。

霊地神津嶽に長らく祀られてきた主祭神が山麓の現地へ奉遷されたのは、孝徳天皇御世の白雉(はくち)元(650)年9月16日のこと。

それから百年と少し後の神護景雲(じんごけいうん)2(768)年、主祭神の天児屋根命と比売御神が遥か大和国へ来臨し、春日神社に祀られた。

これが枚岡神社を「元春日(もとかすが)」と呼ぶ由縁。

さらに宝亀(ほうき)9(778)年、今度は春日神社から枚岡神社へ武甕槌命と斎主命が来臨し、配祀して主祭神は四殿に。

参道を突き当たると右側に手水所がある。

ただし手水舎のような屋根はない。

金網に囲まれた噴水口から剥き出しの岩の上へ三条の水が流れ落ちている。

金網の中を覗き込むと、そこには立派な青銅製の神鹿像。

立派な角を生やした神鹿の口から左右に水が流れている。

それを受け止める竹樋に空いた3つの穴から水が滴り落ちる仕組み。

柄杓に受けた水を左手に受け口に含むと、口腔が清冽な刺激で満たされた。

手水所の前は「参道広場」という楕円形の広いスペースになっている。

手水所から右を向くと、参集所と斎館が並んで立っている。

左側の参集所は昭和11(1936)年に改築、右側の斎館は昭和10(1935)年に竣工した建物。

[旅行日:2014年3月18日]