石段を登り切ると広い境内の正面奥に拝殿が鎮座している。
現在の拝殿は寛文4(1664)年に徳川四代将軍家綱が造営したもの。
横の長さである桁行は9間(21メートル)、奥行きを示す梁間は4間(8メートル)。
正面に巨大な向拝を設えた江戸時代を代表する木造建築。
大正10(1921)年には国の重要文化財に指定されている。
本殿のない神社への参拝は初めてだったので違和感でもあるかと思ったが、実際のところそれほどでもない。
むしろ他の一之宮と比較しても、ここの拝殿は立派過ぎて圧倒されてしまうほど。
大神神社が「古事記」に登場したのは上巻、共に国造りに励んできた少彦名神(すくなびこなのかみ)が亡くなった場面のこと。
独り残された大国主神が思い悩んでいると、海の彼方から光彩を放ちながら近づいてくる神の姿があった。
その神は大国主神に「私を祭り崇めれば国造りに協力しよう。だが、それが出来なければ難しいだろう」と申し出る。
大国主神は「どのように祭ればよろしいのでしょうか?」と尋ねると、その神様はこう答えた。
「倭の国を青垣のように取り囲む山々の、東の山の頂に、身を清めて私を祭るがよい」
この神様こそ御諸の山、つまり三輪山の上にいる神である…と古事記には記されている。
[旅行日:2014年3月18日]