大阪スタジアムは昭和25(1950)年、南海電鉄がプロ野球チーム「南海ホークス」の本拠地球場として専売局(現JT)の工場跡地に建設したもの。

それから約40年が過ぎた昭和と平成の端境期。

平成元(1989)年に南海電鉄はホークスをスーパーマーケットのダイエーに売却。

球団は福岡へ移転し、大阪球場は“空き家”となった。

平成6(1994)年の関西国際空港開港に伴う難波地区再開発計画に伴い、大阪球場は同2(1990)年を以って閉鎖される。

ところが折からのバブル崩壊で再開発計画は“塩漬け”となり、大阪球場は解体されず住宅展示場などに利用されて延命。

建物が解体されたのはホークスが去ってから10年近くたった平成10(1998)年のことだった。
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南海なんば駅から、なんばパークスへと続く階段を登る。

なんばパークスは平成15(2003)年に第1期、同19(2007)年に第2期がオープン。

ショッピング&レストラン街とオフィスタワーに分かれている。

ショッピング&レストラン街は地上10階、地下3階建て。

地上部分は地上9階まで段丘状に建てられ、植栽された多種多様の植物に鳥類や昆虫が集う。

建物を上から眺めると、そのユニークな形状に興味を惹かれる。

館内エスカレーターを乗り継ぎながら最上階の9階へ。

ここに「南海ホークス メモリアルギャラリー」がある。

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ホークスが結成されたのは昭和13(1938)年のこと。

それから50年後、昭和63(1988)年に球団が譲渡されるまでの半世紀にも及ぶ歴史が記録されている。

外壁は一面ガラス張りで日差しが内部に差し込み、チームカラーの緑とミクスチャーされて心休まる雰囲気を醸し出している。

中へ入ると正面左側にペナントやトロフィーが整然と陳列されている。

ペナントは昭和34(1959)年の日本シリーズを制して日本一に輝いた時のもの。

このシーズン、エースの杉浦忠はリーグ戦で38勝4敗という驚異的な成績を挙げ、チームも優勝。

日本シリーズでも4連投4連勝という快挙とともに巨人を4タテに斬って捨て、日本一に輝いた。

今に至るまで4連投4連勝を達成した投手は他におらず、まさに空前絶後の大記録である。

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奥へ進むと左側の壁面は南海ホークスの歴史が刻まれた年表。

左に投手、中央下部に打者、右に野手という構成で配列されている。
 
[旅行日:2014年6月23日]