大阪城一帯には軍事施設が集中していたため、昭和20(1945)年の大阪大空襲で集中的に狙い撃ちされた。
このため櫓など多くの建物を焼失したものの、天守閣は幸いにも無傷のまま終戦を迎える。
それから時代が下ること半世紀余、コンクリ製の復興天守閣にもかかわらず平成9(1997)年には国の登録有形文化財に指定された。
確かに戦前、大阪城の天守閣が再建されなかったら、戦後になって全国の城址に天守閣が競うように建てられるという現象は起こり得なかったかも知れない。
ひいては明治維新以降、全国で“二束三文”状態で放置されていた城跡を、新たな観光資源として“再生”させるための“お手本”ともなった。
その意味では有形文化財としての価値は十二分に備えているように思える。
天守閣の南側は「本丸御殿跡」という名の広場。
天守閣は江戸時代を通じて存在しなかったため、ここにあった本丸御殿で政務は執行されていた。
幕末には十四代将軍徳川家茂が長州征伐の指揮を執るなど、まさに幕政の中枢として機能していた。
しかし、やはり慶応4(1868)年に明治維新の大火で全焼。
明治18(1885)年、跡地に和歌山城二の丸御殿の一部が移築されたものの、これまた昭和22(1947)年に焼失。
以来ここに御殿が再建されることはなく、広場として整備され今に至っている。
広場の端に立ち天守閣の中に入ろうか悩んでいたとき、西洋人の女性から声をかけられた。
振り返ると旅行者らしきカップルが微笑んでいる。
手にしているカメラのシャッターを押して欲しいとのこと。
耳に馴染む英語で語りかけてきたので、たぶんアメリカ人だろう。
首からカメラをぶら下げ一人でボーッと突っ立っていたので、いいカモだと思われたのかも知れない。
2人が天守閣を背景に並んだところで、はいポーズ!
こうした観光地でシャッターを頼まれることはままあるが、すべて日本人か西洋人のいずれか。
東洋系の外国人から頼まれたことは一度もない。
彼らは集団で行動しているから、赤の他人にシャッターを頼む必要性を感じないのかも知れない。
[旅行日:2014年6月23日]